◻︎頼れる夫
夫からの連絡が入り、市民病院へ運ばれたらしい。
「さ、行くよ礼子。保険証とお財布と持った?私、乗せてくから」
「うん、ありがとう、美和子」
市民病院の救急外来へ向かう。
「よかったね、見つかって」
「…うん…」
助手席の礼子は、何か思い詰めたように見える。
「怪我の具合を確認してさ、それから考えようよ。旦那さんにも連絡したほうがいいんじゃない?今度はいつ帰ってくる予定?」
「えっと、いつだったかな?なんか細かいこと記憶できなくてさ…」
「睡眠不足が続いてるからだね、なんとかできないか、相談してみよう、ほら、なんだっけ?病院にいる、なんちゃらさん」
「え?」
「なんとかワーカー?」
「あ、ソーシャルワーカーかな」
「うん、なんでもいいけどさ、プロに聞いてみよ」
ナースステーションで確認して、処置室へ向かった。
「お、きたきた!こっちだよ」
処置室の前で夫が待っていてくれた。
「ありがとう!よく見つかったね」
「うーん、勘?イメージ的にどこかにうずくまってるような気がしたんだよね」
「なんで?」
「ほら、よくテレビでさ、認知症になってしまった人が頭を抱えて小さくうずくまってるシーンを見てたから?よくわからないけど。あの団地の外側に大きな排水路があるの、知ってる?そこに落ちたのかな?土管の入り口のとこでうずくまってるのが見えてさ。れいちゃんのばあちゃん?って聞いたら違う!って言うから、逆にそうだと思った」
よくわからないけど、夫の勘とやらでばあさんは発見できたようだ。
「すみません、ありがとうごさいました」
夫に深々と頭を下げる礼子。
「えー、そんなかしこまらなくてもいいよ、友達じゃん?」
「でも、朝早くからずっと、こんな…」
「あーーっ!しまった、会社に電話しないと無断欠勤になっちゃうよ、ごめん、電話してくる、ついでに一服!」
「一服の方が目的だろがっ!」
そう言いながら、なんだかんだと頼れる人なんだなと夫をほめたくなった。
「あの、ご家族の方はどちらですか?」
処置室から看護師さんが出てきた。
「はい、私です」
「先生からお話がありますので、こちらへ」
礼子が中へ入った。
私は通路にある長椅子に腰掛けて、ほっと息をついた。
しばらくして、夫が戻ってきた。
「説明がめんどくさいから、嫁が倒れたことにしといた」
「はぁ?そっちのほうが面倒でしょ!」
「不死身だから1日で復活したって、明日話すからいいよ」
_____まぁ、なんでもいいか
「それにしても、本当にお疲れ様でした。よく見つけてくれたね。助かったよ」
「うん、なんかさ、俺を見てずっとカズヨシって言ってたんだけど、もしかして、れいちゃんの旦那さん?」
「あー、そうだわ。息子さんと間違えられてたんだね」
「そう思ったからさ、母さん、迎えに来たよって話しかけたら、素直にしたがってくれたんだ。で、本人は?」
「中国だったっけか?でも、話して帰ってきてもらうようにするよ、もう礼子が限界だから」
そんな話をしていたら、ガッシャーンと金属の何かもろもろが落ちた音がした。
「おかあさん、やめて、落ち着いて、ね」
「静江さん、わかりますか?ここは病院ですよ、落ち着いてくださいね」
「あんた、誰だ!うちの和義はどこ行った!出てこーい、カズヨシ!!」
大きなばあさんの声がした。
暴れているようだ。
これはなんとかしないと、礼子がもたないと強く思った。
思わず処置室のドアを開けて、中へ入った。
医師と看護師と礼子がばあさんを抑えようとしている。
「おい、こら、母さん、何してるんだよ、大人しくしないと迷惑かけるだろ?」
私をどけて、ばあさんへ駆け寄り声をかけたのは夫。
「あー、カズヨシ、早くうちに連れて帰っておくれ、こんなとこはいやだよ、早く!」
ばあさんは立ち上がろうとしたけど、立ち上がれない。
「ダメですよ、まだ治療が終わってません。これから詳しく検査して…」
「うるさい!さわるな、あたしはなんともないよ、出て行け!カズヨシ、早く、母さんを…」
夫はそっと、ばあさんの腕を取り肩に乗せてゆっくり立ち上がらせようとした。
「あいた、た、た、」
「おそらく足の骨にヒビが入っているか、折れているかと思われますし、まだ詳しく検査しないといけないんですよ、だから、大人しくしてください」
「母さん、オレがついてるから、ね!」
夫はゆっくりと、ばあさんを座らせた。
診察のための機材やカルテらしき書類、筆記具などがそこら中に散乱している。
「息子さんですか?」
「いえ、知り合いです。なんでか俺のことを息子と勘違いしてるんだけど」
「すみませんが、もうしばらくここにいてもらえませんか、私どもだけでは落ち着かせることができなくて」
「わかりました」
夫はばあさんの息子…つまり礼子の旦那さんのフリを続けることにしたようだ。
「ここは俺がいるからさ、礼子ちゃんと外に出てていいよ」
「うん、お願いね。礼子、さ、ここは任せといて外で旦那さんに連絡しよう、ね?」
礼子はすみませんと頭を下げて、旦那さんに電話をかけに外に出た。
私は少し離れた所で待つ。
それにしても…。
_____あんな風に変わってしまうんだ…
さっき見た、ばあさんの様子を思い出した。
何度か会ったこともあるし、おしゃべりもしたことがある。
お洒落でハキハキしていて、今流行りのお笑いのネタでも盛り上がれる人だったのに。
顔つきというか、目が違った。
私が知ってるばあさんじゃなかった…。
優しくて楽しい人だった家族が、ある時からあんな風に豹変して、それが元に戻らないなんて…。
怖いなと思った。
しばらくして、電話が終わって礼子が戻ってきた。
「旦那さん、どうだって?」
「明日1日、時間をくれって。もうずっと日本にいられるように、会社に話すからって。それで退職になるかもしれないけどって」
「じゃあ?」
「うん、明後日には帰ってきて、そのまま日本にいてくれるみたい」
「よかった、本当によかったね」
「うん、ありがとう」
「これからは、1人で頑張らなくていいんだよ、相談できる家族がそばにいるって一番だよ」
ほどなくして、ストレッチャーに乗せられたばあさんが出てきた。
眠っているようだ。
「礼子ちゃん、先生が話があるって呼んでたよ」
夫と入れ替わりに、礼子はさっきの処置室の中へ入っていった。
「ばあさんは、しばらく入院になりそうだよ。あ、礼子ちゃんの、旦那さんは?」
「今中国なんだけど、明後日には日本に帰ってくるみたい、もう海外に行かなくていいようにしてからって」
「そうか、よかった」
「色々、ありがとうね」
私は夫の背中をポンポンと叩いた。
ぷっ!ぷっ!
「あー!」
「だって、背中押すと出るよね?」
「歩きながらするなって、遥那にも言われたでしょ!」
緊張感が一気に抜けたら、お腹が空いていることを思い出した。
「礼子も連れて、朝ごはん食べに行こうか?」
「そうしよう」
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