「ピアノ、うまいんですね」
席に戻った俺に、あの娘は言った。俺は彼女の、サンタモニカの空のような透き通った瞳を、不思議な思いで凝視した。
「音楽のお仕事されてるんですか」
彼女は艶のある下唇に人差し指をあてた。
「いいえ、」俺は顔を下に向けると、自らの膝にあるジーンズの穴と目が合った。公私兼用のスポーツシューズは、両足とも、かかとが外側に磨り減っている「週末は朝から晩まで旅行会社でバイトしてます」
彼女のすらっとした指には、クロムメッキの指輪が二つはめられている。一つはどくろが象られている。足元は、黒の編み上げブーツで固められている。ロサンゼルスではあまり見かけないスタイルだ。
「ピアノはもう諦めたつもりだったんですけど、今こうしてお話しているからには、まだ忘れられないんでしょうね」と彼女は言った。
じゃあちょっと弾いてみてくださいというと、若い女性は上目使いの微笑みに、少し顔を赤らめた。彼女の場合はクラシックで、譜面がないと弾けないうえに、しばらく練習していないのだという。
「ロックの人かと思ってましたよ」
「私こんな格好してるから、よく軽い女に間違えられるんですけど、内面はわりと古風なんですよ。だから、よくチャラチャラしたのに声かけられるんです。最初にあんなこと言っちゃって、ごめんなさい」
彼女は短期留学生で、昼はここの英会話クラスに在籍し、夕方からはハリウッド高校で行なわれている公開英語講座にも参加しているという。
俺は校舎を出ると、夕方の空に向かってガッツポーズを決めた。門の近くにいたスクール・ポリスが血相を欠いて飛んできた。
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