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めっちゃよかったです!
“呪霊”と呼ばれる化け物に襲われていたところを棘くんが助けてくれた。ここに来た理由が全く思い出せないわたしに、家入さんはそう説明してくれた。
記憶が混乱しているのも襲われたショックだからだと言われ、どこか腑に落ちないものを感じながらもわたしは頷いた。
『棘くん、助けてくれてありがとう』
「しゃけ」
頬を緩ませてそう言うわたしに、彼は顔の横でピースサインをつくりながら言葉を返返してくれた。
「どういたしまして」という意味だろうか。ネックウォーマーのように伸びた制服の襟で口の隠された棘くんの表情がどこか優しいものに思え、自然と顔が輝く。
「特に目立った傷もないしもうそろそろ帰ってもいいよ。」
しばらく時間が経った頃。白衣姿の家入さんにそう声をかけられ、わたしは座っていたベッドからゆっくりと立ち上がって家入さんに感謝の意を込めてぺこりとお辞儀をする。
「いいよ別に。あ、一人で帰れる?」
そう言われ部屋の真ん中に設置された窓を覗くと、空はもうほとんどの日が落ちているせいで薄暗く、“呪霊”に襲われた後に一人で帰るのは少し心細いかもしれない。第一ここがどこなのか、家とどこまで遠いのかも分からない。
母親に連絡して迎えに来てもらおうとも考えたが仕事中のあの人に迎えを頼むのは少し気が引けるし、そもそも電話に出るかすらもが怪しい。
「ツナ、こんぶ!」
不安要素だらけ帰宅をどう解決しようかと悩んでいると、棘くんはいきなりそう言葉を落とすと自分の方を指差し、わたしと家入さんの顔を交互に見つめる。
「送ってってくれる?んじゃ頼むね」
ヒラヒラと手を振りながらあっさりと退散していった家入さんの背にもう一度頭を深く下げながらありがとうございましたと告げる。
そして、ガチャリと完全に扉が閉まったのを確認するとわたしは視線を棘くんの方へ移し、心の中にぽっと火が灯されたようなほのかな温かさを感じながら言葉を紡ぐ。
『ごめんね棘くん、何から何まで…』
「しゃけしゃけ」
そう言って笑ってくれる棘くんの優しさがじわりと胸に優しく沁みていって、つい無意識のうちに笑みの皺が顔いっぱいに頬に刻まれる。
─…あぁ、好きだって気持ちが胸に溢れた。
廊下へ出ると気まずくなるかなと思っていた空気は、案外そうはならなくて、自然と話は進んでいった。幼馴染といっても高校から別れてしまい、お互いあまり会えなかったからこうやって話すのが懐かしく、激しい喜びが心に沸き上がってくる。
ちらりと視線を動かした拍子に見えた花壇では、花々が色を競い合うように鮮やかに咲き誇っていた。棘くんが日々水やりなどをして育てたらしい。昔からのそういう優しいところは高校生になった今も変わっていないんだなと思うと胸が温かくなった。
『わ…すごい山奥。本当にここ東京?』
東京都立呪術高等専門学校
棘くんの通う学校は、わたしが通っている高校や近くの高校とは全然違うお寺のような建物が並んでおり、緑の多い場所でついじっくりと見つめてしまう。
呪術…昔からわたしたちが知らないところで危ないことをたくさんしていたということは知っていたがまさかわたし自身がその“あぶないこと”に巻き込まれるとは思っていなかった。それに“呪霊”に襲われたことも全く覚えていないし。
せっかく棘くんが助けてくれたのに何も覚えていないなんてなんだか申し訳ない。
「…高菜」
無意識のうちに難しい顔で俯いてしまっていたのか、棘くんは気にするなと声をかけてくれた。ゆっくりと顔を上げると優しく細められた紫色の瞳と視線がぶつかる。
『…ありがとう』
子供のようにあどけなく笑う棘くんの顔が可愛くて、でもやっぱり17歳の男子高生という事実が脳をちらついてかっこいいという単語も生まれてくる。
小さいころまではずっと棘くんの顔を見て喋れていたのに何故か今は彼の顔を見るたびに胸の中で何かがドキドキと張り詰めてくるのを感じ、上手く喋れない。
『…棘くんだいすき』
体が勝手にそんな言葉を吐いてしまい、心臓が激しく鼓動し始める。
なんでだろう。前まではこんなんじゃなかったのに。
ちゃんと顔を見られて、ちゃんと声を聞けて、ちゃんと普通で居られたのに。
『大好きだよ、棘くん。』
息が苦しくなるほどの激しい動悸に告げた声が震える。
すきだよ
「…おかか」
だけど、棘くんは否定した。
わたしのことを嫌いだとか、そういうのじゃなくて、“わたしの思い”自体を否定した。
わたしが好きなのは棘くんじゃないって
変な棘くん。
わたしは本当に棘くんのことが大好きなのに。