第一話:初めての敗北
冬の気配がまだ残る早春の午後。薄曇りの空から差し込む弱々しい光は、ある家のカーテンの隙間を通り抜けて、一人の少女の横顔を照らしていた。
少女の名は――
円堂レナ。
雷門中の伝説の守護神・円堂守の孫でありながら、いまは家にこもったまま、サッカーから距離を置いた日々を送っていた。
廊下から遠く聞こえる家族の声も、テレビのサッカー中継の音も、レナの心には届かない。
(サッカーなんて……もう、関係ないよ……)
ふと視線を落とした先には、埃をかぶった古いゴールキーパーグローブ。小さい頃、初めて祖父からもらった宝物。
触れようとすると、胸の奥が痛んだ。
だからレナは、いつもそのグローブを見ないように生きてきた。
■突然の電話
その日、家の電話が鳴った。珍しくレナ宛。
不審に思いながらも受話器を取ると、落ち着いた中にも必死な声が聞こえてくる。
「円堂レナさん……ですよね? 雷門中サッカー部の顧問です!」
「……雷門中? わたしに何の用ですか」
「単刀直入に言います! あなたに雷門中サッカー部の――監督になっていただきたいんです!」
「……は?」
レナはあまりの内容に言葉を失った。
「ムリです。わたしは……もうサッカーなんて」
「たしかに今の雷門中は弱い、やる気もない。でも、あなたなら……円堂守の血を継ぐあなたなら変えられると思うんです!」
「そんなの……関係ないです! おじいちゃんはおじいちゃん、私は私!」
電話を切ろうとしたその時、相手の声が、少しだけ震えて聞こえた。
「このままじゃ部がなくなっちゃうんです……! レナさん、お願いします……!」
息を呑んだ。
かつて、自分も「仲間がほしい」と泣いた日の記憶が胸に蘇った。
(……関係ないはずなのに。なんで心がざわつくの?)
レナは深く息を吸った。
「……わかりました。やります。でも、後悔しないでくださいね」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
こうしてレナは、仕方なく――本当に仕方なく――雷門中サッカー部の監督になることになった。
■雷門中サッカー部、やる気ゼロ!
翌日、レナが校庭に向かうと、想像以上の光景が広がっていた。
グラウンドの片隅で、部員たちはボールを蹴るでもなく、座り込んでゲームをしていたり、雑談をしながらストレッチもどきをしていたり……。
「なにこれ……」
レナは額に手を当てた。
そのとき、金髪の少年がパチンと指を鳴らしてこちらを見る。
「新しい監督ってアンタ? 本気でやる気なら悪いけど帰って。オレら、サッカーなんて適当にやればいいって思ってるから」
他の部員たちも「あー監督?どうもー」「サボっていいっすか?」など、ふざけた雰囲気ばかり。
レナはため息をつきつつ、きっぱりと言った。
「あなたたちがやる気なくても、私は監督としてやることをやります。まずは……練習試合をします」
「練習試合? 今のメンバーで? 勝てるわけないっしょー」
「勝つかどうかはどうでもいいです。ただ……あなたたちが“本気になれるかどうか”を見るためにやります」
その眼差しは、普段の引きこもり生活からは想像できないほど鋭かった。
(おじいちゃん……私、ちゃんとできるかな……)
胸の奥が少しだけ熱くなる。
■練習試合開始
相手は近隣の強豪校・北辰中。
部員たちは最初こそ舐めていたものの、いざ試合が始まると――
「う、うわっ!? 速っ!」
「なんであんな正確にパス通るんだよ!」
雷門中は、相手の圧倒的な技術に完全に翻弄されていた。
レナはベンチでじっと観察しながら、腕を組んだ。
(……このチーム、悪い子たちじゃない。けど“勝つサッカー”を知らないだけ)
そして――
前半終了:0-7
惨敗と言うよりは、もはや虐殺に近いスコアだった。
レナはハーフタイムで選手たちを集めた。
「悔しいですか?」
「……別に」
「本気でやってないから」
「そもそも勝てると思ってないし」
その言葉に、レナの胸の奥がチクリと痛んだ。
かつて自分も、過去の“ある出来事”で心を閉ざし、同じようなことを思った時期があった。
レナはゆっくりと、選手たち一人ひとりを見つめた。
「……あなたたち。負けた理由、わかりますか?」
「技術がないから?」
「練習不足?」
「全部違います」
レナはグローブに触れた。
祖父からもらった――思い出の詰まったグローブ。
「勝ちたいと思ってないからです」
選手たちが息を呑んだ。
「サッカーは“気持ち”で負けたら、そこで終わりなんです。
私は昔、それができなくて……全部失った。だから……あなたたちには同じ思いをしてほしくない」
その目には覚悟と切実さが宿っていた。
「後半……せめて一つでいい。自分たちの“本気”を見せてください」
選手たちは初めて、レナを真正面から見た。
■後半戦――小さな火が灯る
後半開始。
今度の雷門中はまるで別のチームのようだった。
「おい、ちゃんと走れよ!」
「……うるせー! でも、パス行くぞ!」
拙いながらも走り、声をかけ合う。
それだけでチームは明らかに変化し始めた。
「レナ監督……俺たち、まだやれる!」
その言葉に、レナの胸が熱くなる。
(そうだよ……本当は、みんなサッカーが好きなんだ)
試合は結局――
1-10で敗北。
けれど、その1点は、雷門中にとって大きな意味を持つ“初めての本気のゴール”だった。
■初めての敗北、そして初めての一歩
試合後、選手たちはレナのもとへ集まった。
「監督……今日の試合、悔しかった」
「もっと強くなりたい……です」
「勝ちたい。あんな強いチームにも、絶対勝ちたい!」
レナは、ふっと優しく笑った。
「それが……サッカーですよ。
“負けた悔しさ”からしか、本当の強さは生まれないんです」
選手たちの目に、初めて本物の光が宿った。
レナは空を見上げる。
(おじいちゃん……わたし、またサッカーを始めてもいいのかな?)
心の奥の扉が、ほんの少しだけ開いた。
■そして、レナの“過去”が――
その夜、レナは祖父・円堂守の形見のノートを開いた。
ページの端には、幼いレナの文字が書かれている。
“いつか、じいちゃんみたいな『仲間を守れるキーパー』になりたい!”
その言葉を見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
しかし次のページで、レナは手を止める。
そこには――
レナがサッカーをやめるきっかけとなった、あの日の記憶が蘇るメモがあった。
レナは震える手でノートを閉じた。
「……まだ、向き合えるほど強くないよ……」
だけど、
「監督ー! 明日も練習ありますよね!?」
「レナ監督、明日はもっと走ります!」
部員たちからのメッセージがスマホに届く。
レナは静かに微笑んだ。
「……うん。私も……強くならなきゃね」
こうして雷門中サッカー部と円堂レナの、“世界”を目指す長い物語が始まった。
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