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光の中で、僕は目を覚ました。
風の音。鳥の声。
それは、どこまでも懐かしい“日常の音”だった。
ると、柔らかな朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。
部屋は見慣れているようで、少しだけ違う。
壁の色も、机の位置も、どこか新しい。
だけど、心の奥には確かな実感があった――
「戻ってきた」という感覚。
ベッドから起き上がり、窓を開ける。
風が頬を撫で、遠くで子どもの笑い声が響く。
世界は、静かに呼吸をしていた。
ポケットに手を入れると、ペンダントが入っていた。
冷たい金属の感触が、現実の証のように感じられる。
中を開けると、写真が変わっていた。
いむぬんが笑っている。
その隣に立つ少年も、自分によく似ている――けれど違う。
少し年上で、どこか穏やかな表情をしていた。
「……そうか。」
少年は呟いた。
これは“別の時間”の自分。
時間が再生したとき、彼らは別々の場所へ分かれたのだ。
それでいい――そう思った。
いむくんが生きている世界がある。
それだけで、十分だった。
外に出ると、街の風景が輝いていた。
雨上がりのような透明な空気。
建物の影がゆるやかに伸び、人々の足音が混ざり合う。
誰もが生きている。
止まっていた時間が、確かに“動いている”。
通りを歩いていると、向こう側から少年が歩いてきた。
淡いピンク髪、バチバチのピアス。
――ないちゃん。
ないちゃんは気づかないまま、僕の横を通り過ぎた。
その瞬間、風がふわりと吹いて、ないちゃんの髪が頬をかすめた。
懐かしい香りがした。
思わず立ち止まる。
「……ないちゃん?」
呼びかけた声は、風に溶けた。
ないちゃんは振り返らなかった。
けれど、ほんの一瞬だけ。
歩き去るその背中が、まるで“いむくん”のように見えた。
見た目全然違うのに不思議よな。
寂しさと、温かさが同時に胸の奥に広がっていく。
永遠なんて、もういらない。
僕は今を生きる。いむくんのいた時間を抱えたまま。
そのとき、空の彼方で鐘が鳴った。
“時の塔”の音だった。
まだ存在しているのだ。
けれど、今はもう誰もそこを恐れない。
時間は、再び流れ始めたから。
僕を上げ、光の方へ歩き出した。
通りの向こうに、新しい朝が広がっている。
過去と未来の境界が溶けていくような、優しい朝だった。
風の中で、かすかな声がした。
「――ありがとう。」
立ち止まり、微笑んだ。
振り返っても、そこには誰もいなかった。
だけど確かに感じた。
その声が、自分の“永遠”の中に生きていることを。
そして僕はもう一度、歩き出した。
新しい時間の中へ。
“永遠の少年”としてではなく、
ただひとりの、今を生きる少年として――。
季節は、春だった。
街路樹の並木道に、風が通り抜ける。
花びらが舞い、陽光が地面を照らしている。
ゆっくりと歩いていた。
再生された世界は、穏やかで美しかった。
時間は流れ、季節は巡り、人々の笑顔が戻ってきた。
それでも、時折ふとした瞬間に――
風の中に、懐かしい声が混ざることがあった。
「ねぇ、時間ってね、優しいと思う?」
振り向いても、誰もいない。
でも、心の奥で確かに感じる。
その声は、今もこの世界のどこかに生きている。
僕は、以前と同じ小さな図書館に向かっていた。
かつていむくんと過ごした場所。
けれど建物は新しくなり、入り口には「リメリア記録館」と書かれていた。
中に入ると、空気が少し冷たい。
壁一面に、過去の街の写真が展示されている。
その中に、一枚だけ――
雨の中で笑う少年の写真があった。
水色の髪。
濡れた髪。
どこか遠くを見ているような瞳。
少年は息をのんだ。
――いむくん。
胸の奥で、静かに何かが弾けた。
足が勝手に動いて、その写真の前まで歩み寄る。
説明文にはこう書かれていた。
「旧世界・終末期に撮影された少年。
撮影者・不明。
撮影データには“時の塔”のエネルギー反応が検出されています。」
“旧世界”。
つまり、崩壊する前の時間。
いむくんはその世界の記録として、ここに残っていたのだ。
そのとき――
「その写真、気になるの?」
後ろから声がした。
振り向くと、ひとりの少年が立っていた。
ないちゃんだった。
けれど以前より少し大人びて見える。
時間が経ったのだろうか。
それとも――この世界では、ないちゃんが別の人生を生きているのだろうか。
「……君は、また会ったんやね。」
僕の声に、ないちゃんは少し驚いたように首をかしげた。
「え? 初めて会うけど。」
その瞬間、胸の奥がかすかに痛んだ。
――やはり、この世界ではないちゃんは何も覚えていない。
でも、それでいい。
今、ここにいる彼は“ないちゃんとして生きている”。
それこそが、時間を取り戻すということ。
「その写真、俺も好きなんだ。」
ないちゃんは写真を見上げながら微笑んだ。
「この子、どこかで見たことある気がするんだよね。
懐かしいというか……あたたかい感じがして。」
僕は頷いた。
「わかるよ。たぶん……その子は、時間の中で生きてる。」
ないちゃんは不思議そうに彼を見る。
「時間の中?」
「うん。誰かの記憶の中で、ずっと。」
静かな沈黙が流れた。
窓の外では、光がゆらゆらと揺れている。
まるで、この世界そのものが呼吸をしているようだった。
ないちゃんはふと笑った。
「ねぇ、名前、教えてくれる?」
「……僕は、初兎(しょう)っていうんや。」
ないちゃんの目が一瞬、何かを思い出したように見開かれた。
でも、そのまますぐに微笑んだ。
「そっか。いい名前だね。」
その瞬間、壁の時計が静かに鳴った。
“時の塔”と同じ音だった。
少年は微笑んで言った。
「……この音、やっぱり好きだな。」
ないちゃんは頷く。
「私も。なんだか安心する音。」
二人は並んで、しばらくその写真を見つめていた。
光が差し込み、いむくんの笑顔が少しだけ明るくなった気がした。
そして、風が吹き抜ける。
その風の中で、確かに聞こえた。
「――ありがとう、しょーちゃん。」
僕は目を閉じ、そっと微笑んだ。
その声は、もう幻ではなかった。
時間を越えて、確かに“今”へ届いた声だった。