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ねえ。知ってる?
この世界のどこかに、天使がいるんだって。
白い羽を持っていて、透き通るように綺麗で——でも、その姿を見てしまえば。
その人は、たちまちこの世界から消えてしまう。
それを、人々はこう呼んだ。
『天使の怒り』
「……ほんまにおると思う?」
夕焼けに染まる帰り道。隣を歩く初兎ちゃんが、ふとそんなことを言った。
制服の袖を少しだけ引きながら、どこか半信半疑の顔をしている。
「どうだろう。でも、いないとは言い切れないよね」
りうらは小さく笑いながら答えた。
「いややわぁ、そんなん。もし見てしもたら消えるんやろ?ロマンもクソもあらへんやん」
「ふふ、それでも“会ってみたい”って思う人もいるんじゃない?」
「うちは絶対いや。まだやりたいこといっぱいあるし」
そう言って、初兎ちゃんは大きく伸びをした。
夕焼けの光がその横顔を柔らかく照らして、少しだけ大人びて見える。
「りうちゃんは?」
——どきり、とした。
名前を呼ばれるだけで、こんなにも胸が締め付けられるなんて。
「え?」
「もし、天使に会えるなら。会いたいって思う?」
ほんの少しの沈黙。
風が、二人の間をすり抜ける。
「……どうかな」
りうらは、曖昧に笑った。
本当は、答えなんて決まっている。
——会いたくない。
だって。
「……怖いよね、消えちゃうなんて」
そう言うと、初兎ちゃんは「せやな」と軽く笑った。
でもその笑顔の奥に、ほんの少しだけ、何かを考えている気配があった。
その日の夜。
りうらは、一人で屋上に立っていた。
フェンス越しに見える街の灯りは、どこまでも遠くて。
夜風が、髪を揺らす。
「……やっぱり、こうなるよね」
ぽつりと呟いた。
その瞬間。
ふわり、と。
背中に柔らかな感触が広がる。
白い羽が、静かに開いた。
「りうらは、天使だから」
誰に言うでもなく、ただ事実として零れた言葉。
そう。
りうらこそが——その“天使”。
人に見られれば、その人を消してしまう存在。
望んだわけじゃない。
選んだわけでもない。
ただ、生まれた時から、そうだった。
「……会いたくなんて、なかったよ」
震える声は、夜に吸い込まれていく。
翌日。
「おはよー、りうちゃん!」
いつも通りの声。
いつも通りの笑顔。
「おはよう、初兎ちゃん」
りうらも、同じように笑い返す。
この“当たり前”が、どれだけ奇跡みたいなものなのか。
それを知っているのは、りうらだけだった。
「なあ、今日さ」
「ん?」
「放課後、屋上来ん?ちょっと話したいことあんねん」
——やめて。
心の奥で、声が叫ぶ。
来てほしくない。
でも、断りたくない。
「……いいよ」
結局、そう答えてしまった。
放課後。
空はまた、あの日と同じように赤く染まっていた。
屋上には、すでに初兎ちゃんがいた。
フェンスにもたれながら、風に髪を揺らしている。
「来てくれてありがと」
「ううん、大丈夫。それで、話って?」
少しだけ沈黙が流れる。
風が、二人の間を通り抜ける。
「……なあ、りうちゃん」
「うん」
「もしさ」
ゆっくりと、初兎ちゃんが振り返る。
その目は、まっすぐだった。
「天使がおったら、どうする?」
やめて。
「どうもしないよ」
必死に、平静を装う。
「そっか」
初兎ちゃんは、小さく笑った。
「うちはな、思うねん」
一歩、近づく。
「もし天使がおったとしても」
また一歩。
「その人が、大事な人やったら」
さらに一歩。
「消えてもええって、思うかもしれへん」
「やめて!!」
思わず叫んでいた。
「来ないで、初兎ちゃん……!」
でも。
もう、遅かった。
強い風が吹く。
りうらの背中から、白い羽が大きく広がる。
光が、夕焼けの中で淡く輝いた。
初兎ちゃんの目が、大きく見開かれる。
——見られた。
「……ああ、やっぱり」
初兎ちゃんは、どこか納得したように微笑んだ。
「綺麗やな、りうちゃん」
「……いや、だめ……!」
体が、光に包まれていく。
消えてしまう。
「ごめん……ごめんね……!」
涙が、止まらない。
「なんで謝んねん」
優しい声。
「うちは、嬉しいで」
「え……?」
消えかけていた光が、ふと止まる。
初兎ちゃんの輪郭が、崩れずに残っている。
「……なんで?」
りうらは、震える声で問いかける。
「さあな。でも」
初兎ちゃんは、少しだけ考えてから言った。
「たぶん、“怒り”やなかったんやろ」
「え……」
「天使の“怒り”やなくて」
そっと、りうらの頬に触れる。
「天使の“願い”やったんちゃう?」
その瞬間。
ふわり、と。
りうらの羽が、やわらかく光り出す。
まるで、誰かを包み込むような光。
眩しいのに、あたたかい。
そして——
静かに、羽は消えた。
気づけば。
りうらは、屋上に立っていた。
いつもと同じ風。
いつもと同じ夕焼け。
そして、隣には。
「……初兎ちゃん?」
「なんや、変な顔して」
いつも通りの、初兎ちゃんがいた。
「消えて……なかったの?」
「は?何言うてんの」
きょとんとした顔で首をかしげる。
でも。
その目の奥に、ほんの少しだけ、優しい光が宿っていた。
「……りうちゃん」
「うん?」
「うちはな」
少しだけ照れたように笑う。
「絶対、りうちゃんのこと忘れへんで」
「……え?」
その意味を、考える間もなく。
夕焼けが、二人を包み込んだ。
それから。
天使の噂は、少しずつ変わっていった。
「天使に会うと消える」じゃなくて。
「天使に会うと、大切なものを思い出す」
そう語られるようになった。
ねえ。
もしも、いつか。
どうしても忘れたくない誰かがいるなら。
空を見上げてみて。
きっとそこに。
優しく笑う“天使”が、いるから。
その天使はきっと。
うつくしいから。
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