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チャイムが鳴ると同時に、俺は小さく息をついた。
初兎が隣に座っているだけで、無駄に意識してしまう。
(…なんなんだよあいつ。)
午前の授業中、初兎は結局一度もりうらに触れてこなかった。
椅子の距離も、紙一枚挟めそうなくらい絶妙。
「触れたらだめ」と気を遣ってるのが丸わかりで、逆に落ち着かない。
放課後。
掃除の時間、りうらは窓拭きの担当で教室に残っていた。
ほとんどの生徒が帰りはじめた頃
「りうちゃん、まだ残っとんの?」
その声に、りうらの手が止まる。
初兎がモップを肩にかけて、こっちを見ていた。
『…掃除当番。』
「一緒や。サボらずちゃんとやってるん偉いな」
『サボってたら教師に怒られるでしょ』
「じゃあ“怒られたくないりうちゃん”なんやな」
『……っ、うるさい』
軽く煽るような言い方なのに、不思議と嫌じゃなかった。
初兎はりうらの周りに近づかないよう気をつけて、
モップで床を拭き進める。
(…なんでそこまで気にすんの)
りうらはガラス越しに初兎をちらっと見た。
初兎は、どこか考え込むような顔でりうらの背中を見ていた。
(りうちゃん、今日一日ずっと緊張してるな…)
その心の声が突然流れ込んで、りうらは布巾を落とした。
『っ……!』
初兎がびくっと反応する。
「り、りうちゃん?どうしたん?」
『な、なんでもっ』
初兎がしゃがんで布巾を拾おうとした、その瞬間。
りうらは条件反射で後ずさった。
『触んないで……!』
初兎の手が止まる。
その顔が、一瞬だけ寂しそうに揺れた。
「……ごめん。怖がらせるつもりちゃうかった」
『別に…怖いとか…』
りうらが言いかけた瞬間。
「嘘や」
初兎の声は、優しいけど逃げ場がなかった。
そして、初兎はゆっくりと距離を置き、
床に落ちた布巾を指でちょん、と動かすだけにして拾わなかった。
「りうちゃん。 俺、ほんまは……もっと近づきたいって思っとる」
「でも、嫌がるなら触らん。怖がらせたくない。 けど、そのぶん……ずっと気を遣うし、気になる」
心の声じゃない。
“言葉”で言ってるのに、心の奥まで響く。
『……っ』
「ほんまに、距離置いたほうがええんかな……?」
初兎が少しだけ俯く。
その横顔が、思っていたよりずっと弱くて、切なかった。
りうらは胸がぎゅっと掴まれたようになり、
気づけば小さく呟いていた。
『……やだ』
「……え?」
『距離、置かれんの……やだ』
自分でも驚くくらい素直な声だった。
初兎の瞳が、ゆっくりと揺れて、熱を帯びていく。
「りうちゃん、それ……嘘ちゃうやんな?」
『……っ、嘘かどうかぐらいわかってるでしょ』
その一言で、初兎の表情が一気に柔らかくなった。 そして、ほんの少しだけ近づく。
でも、触れない距離を守ったまま。
「ほんなら……このまま、そばにいてええ?」
りうらの鼓動は、とっくに限界だった。
『……勝手にして』
初兎の頬が、かすかに赤く染まった。
翌日
教室に入った瞬間、りうらは悟った。
(……初兎ちゃん、昨日より近い)
机の距離も、歩くときの位置も、声をかけるタイミングも。
触れないギリギリを保ちながら、確実に“近づいてきている”。
「りうちゃん、おはよ」
『……おはよ』
その声は柔らかくて、昨日の弱い横顔を思い出して胸が少しだけ熱くなる。
自然と会話も増え、りうらの顔に笑みが浮かぶことも多くなった。
(……なんか、最近のりうら、初兎と仲良すぎじゃね?)
(距離近くね?前まであんなに人避けてたのに)
クラスの男子たちの視線が、少しずつ変わっていくのを初兎は感じていた。
(りうちゃん、狙われとる)
初兎が距離を詰める“理由”は、りうらの気持ちだけじゃない。
守りたい。
絶対に、他の誰かに傷つけられたくない。
その胸の奥の声を、りうらがふと腕に触れてしまったときに聞いてしまい、頬を赤く染めたこともあった。
『……守るとか、そんな大げさなこと…』
「嘘ちゃう」
初兎は、りうらの反応を見て満足げに笑った。
そして
数日が経った。
りうらの笑顔は増え、初兎も明るくなった。
周りからも「仲いいよな、あの二人」と囁かれるようになり、初兎は内心で焦りながらも嬉しくて仕方なかった。
⸻
数日後
今日は委員会で初兎ちゃんが遅くなり、りうらは先に帰ることにした。
夕日の廊下を歩いていると、誰かが後ろから呼び止める。
〈おい、りうら〉
りうらは振り返る。
クラスの男子、二人。その顔には笑ってるようで笑ってない陰があった。
『……なに?』
〈ちょっと話あるんだけどさ。初兎と仲良くしてんじゃん?〉
〈アイツ、誰にでも優しいだけなの知ってる?お前だけ特別とか思ってんの?〉
『……別に、思ってないけど』
〈じゃあさ、距離とれよ。アイツの周り、お前のせいで空気悪ぃんだよ〉
(……嫌だ。初兎ちゃんが、離れるのなんていやだ)
だが、その感情を言葉にする前に、男子の手がりうらの腕をつかんだ。
「いいからちょっと来いよ」
『触んなっ!!』
触れられた瞬間、相手の苛立ちや嫉妬の感情が雪崩のように流れ込んできて、りうらは奥歯を噛みしめた。
〈うわ、なに急に。避けんなよ〉
『放せって言って』
「おい。ずいぶん楽しいことやってるみたいやな?」
低く抑えた声が背後から響いた。
振り返ると、初兎ちゃんが扉のところに立っていた。
夕日の逆光に照らされたその瞳は、怒りを静かに燃やしている。
「りうちゃんに触んの……やめてもらええ?」
初兎は一歩、二歩と近づく。
その歩みはゆっくりなのに、空気が一気に張り詰めた。
男子の手は、自然とりうらから離れた。
〈なんだよ初兎、別にちょっと話してただけ〉
「嘘やな」
初兎の声は低くて、いつもの優しさはなかった。
「お前ら、嫉妬しとるだけやろ」
男子たちがびくっと肩を震わせる。
初兎はりうらの前に立ち、その体を陰で覆うようにして、
「りうちゃんには、触んといて」
毅然とした声で言い放った。
その瞬間、息がつまり、震えが止まらなくなった。
(……なんで、こんな……)
初兎は横目でりうらをそっと見た。
その瞳は、怒っているのに優しかった。
「あー、唇思いっきり噛んじゃあかんやろ?血でとるやん。りうちゃん。帰ろ」
その手は伸ばされない。
触れられないように、絶妙な距離で。
でも、誰よりも近かった。