テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第四話 薄れゆく教室
夕暮れの光が教室に斜めに差し込み、机の影を長く伸ばしていた。
だが、その影はどこか歪み、形も不自然に揺れている。
空気は重く、音は届かず、子どもたちの声も笑い声も、霧に溶けてしまったかのようだった。
安倍晴明は教壇に立ち、手元の教案に目を落とす。文字は紙に印刷されているはずなのに、光に滲み、意味が揺れていた。
「、、、昨日までと、何かが違います」
小さな声でつぶやく。
文字も音も、視界も、すべてが溶けていくような錯覚に胸がざわつく。
廊下の向こうから、静かな足音が近づく。
学園長だ。
その歩みは優雅で、しかし空気を濃く押し広げるような存在感を伴っていた。
「晴明くん、少しこちらに来てくれませんか?」
学園長の声は穏やかだが、胸に重く落ちる。
晴明は返事をせず、静かに頷きながら教壇を離れる。
「世界が薄れていくように感じるのです」
「ええ、気づかれましたか。二人だけの空間は、こうして形を変えていくのです」
学園長は教壇にゆっくりと歩み寄り、窓際の光と重なる影を揺らす。
視界の端で、机や椅子、掲示物の輪郭が徐々に溶け、存在がぼやけていく。
しかし学園長の姿だけは、鮮やかに濃く浮かんでいた。
「、、、こうなると、外の声も届かないのですね」
「そうです。ここにあるのは、わたしと貴方だけ。不要な音は消えます」
その言葉に胸がぎゅっと締め付けられ、視界の歪みがさらに濃くなる。
晴明は息を詰め、机に手を置く。紙の上の文字も、黒板の文字も、薄く霞んでいった。
学園長は肩に手を添え、優しく微笑む。
その掌の温もりは確かにあるが、胸に圧迫感が押し寄せ、息が詰まる。
「貴方がここにいることは、わたしにとってどれほど大事か、、、わかりますか?」
「、、、はい、理解しているつもりです」
答えながらも、晴明の胸には不安と恐怖が入り混じる。
外界の存在は遠く、消えかかっていた。
学園長は微かに肩を揺らすように立ち、視線を晴明の瞳に固定する。
その眼差しには、甘い優しさの奥に独占の意志が隠れていた。
「もし、他の世界がすべて消えても、、、貴方は、私の隣にいてくれますね?」
晴明は咄嗟に目を逸らす。
胸の奥で、逃れられない予感がざわめく。
「、、、ええ。ずっと一緒にいます。」
吐き出した声は小さく震えた。
世界の輪郭が揺れ、机も椅子も壁も、白い霞に溶ける。
二人の影だけが濃く残り、教室全体が静寂と圧迫感に包まれる。
学園長はゆっくりと微笑み、手を晴明の肩から胸へ滑らせる。
温かさと重みが同時に伝わり、心臓がぎゅっと締め付けられた。
「貴方とわたし、二人だけで歩む世界――本当に美しく、静かで、完璧です」
言葉は甘く、穏やかだが、心の奥に冷たい確信が潜む。
外界の色も音も消え、時間さえ止まったかのような教室で、二人の影だけが長く濃く伸びていた。
晴明は学園長の瞳を見つめる。
その奥にある執着と優しさの混ざった光に、胸を捕まれたような感覚を覚える。
世界の端が押し広げられるように揺れ、日常の輪郭が崩れ、二人だけの空間が鮮明になった。
窓の外に視線を向けると、誰もいない。光も音も、色彩も消えた世界の中、
学園長の存在だけが確かにそこにある。
教室は静かで濃く、恐ろしく美しい。
そして晴明は悟った――
この空間の奥には、逃れられない未来が待ち受けていることを。
コメント
2件

