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白い空の端で、君を待つ

第五話 閉じられた空間




翌朝の校舎は、妙に静かだった。

晴明は廊下を歩きながら、知らず知らずのうちに呼吸が浅くなっていくのを感じていた。

昨日の“教室が溶ける”ような感覚――思い出そうとすると、胸がぎゅっと掴まれる。


(……逃げたい、そんなはずはない。学園長は優しい。けれど……)


教室へ向かう足取りは軽くない。

空気が重い。光が弱い。壁紙の色は昨日より少しくすんで見える。


教室前まで来た瞬間、動悸が跳ねた。


扉の向こうに「学園長がいる」――

そんな確信が、理由もなく胸に落ちる。


晴明は息を呑み、扉に手をかけるのをためらった。


「……朝から、どうされました?」


背後から、穏やかな声。

喉がひゅっと縮まり、晴明は振り返る。


学園長が、静かに微笑んで立っていた。

光に背を向けているのに、その姿だけ輪郭がはっきりしている。


「い、いえ……少し、具合が」

「珍しいですね。晴明くんがそんな顔をするのは」


学園長は一歩近づく。

何気ない動作なのに、晴明は後ずさっていた。


その“無意識の一歩”に、学園長の目がわずかに細くなる。


「……逃げようとしているのですか?」


一瞬、空気が止まった。

晴明は自分の背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。


「そ、そんなつもりは……」

「ならば、どうして避けるのです?」


学園長は晴明の腕をそっと取る。

優しい力だが、離れようとしても動かない。


「昨日のこと、覚えているのでしょう?」

「……はい。でも、ただ……」

「怖かったのですか?」


その問いは、ナイフのように胸に刺さった。


晴明は目を伏せ、言葉を探す。

本当は何が怖いのか自分でもわからない。

ただ、揺らぐ世界と、濃く強く刻印される学園長の存在――その差に、身がすくむ。


「晴明くん、わたしは貴方を縛ろうとしているわけではありません。

ただ……離れていかれるのが、少しだけ、嫌なだけです」


穏やかな声。

けれどその奥に、静かで冷たい熱がある。


晴明は言葉を飲み込んだ。

逃げたい――わけではない。

けれど、このままでは “自分が消えてしまう” という得体の知れない感覚が胸を締めつける。


学園長は指先で晴明の頬に触れ、囁く。


「貴方がいなくなると、世界が崩れてしまうのです。

だから……そばにいてください」


その瞬間、廊下の照明がチリ、と音を立てて瞬いた。

遠くで誰かの話し声がしたかと思うと、すぐに消える。


晴明は気づく。


――校舎の“外”の気配が薄くなっている。


教室の奥から、誰もいないはずの机がきしむ音がした。

風の通らない廊下でカーテンが揺れた。


(まただ……昨日の続きのような……世界が歪む前触れだ)


「晴明くん?」


学園長の声に、晴明ははっと顔を上げた。

学園長は微笑んだまま、晴明の反応をじっと伺っている。


「……今日は、授業を休ませてもらえませんか?

少し、心が落ち着かなくて」


自分でも驚くほど素直な声が出た。

嘘でも強がりでもない、逃げるための本音だった。


学園長は静かに首をかしげる。


「ええ。良いですよ」

「……本当ですか?」

「もちろん。わたしは、晴明くんが“正直でいてくれること”が何より嬉しいのです」


その声は優しいのに、どこか底知れない。

晴明の胸には、ほっとした安堵と、奇妙なざわつきが入り混じる。


学園長は続けた。


「ただ――」

「ただ?」

「逃げる必要は、ありませんよ。

だって……ここは、貴方を閉じ込める場所ではないのですから」


その瞬間。

晴明の背筋がぞくりと震えた。


“閉じ込める”という言葉を使わないようにしたようで、逆に強く響いた。


廊下の奥でまた照明が揺らぎ、天井の影が歪む。

ふと教室の方を見ると――

誰も触れていないのに、黒板消しがストンと床に落ちた。


世界がまた、変わりはじめている。


晴明はとっさに視線をそらした。

逃げたい。

でも逃げたら、もっと“別の何か”が始まる気がした。


「晴明くん」


学園長は、声だけで振り向かせるような強さで呼んだ。


「どこへ行っても、わたしは見つけますよ」


優しく、穏やかで、背筋を凍らせるほどの確信のこもった声だった。


晴明は答えず、ただ息をのみこんだ。

胸がざわざわし、鼓動が耳の奥で響く。


廊下の先が少しずつ霞んでいく。


――逃げても、逃げ切れない。


その予感が、確かな形を持ちはじめていた。

白い空の端で、君を待つ

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