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ご飯を食べ終え、自ら後片付けを申し出た。健吾さんに美味しい夕飯を作ってもらった恩返しをすべく、豆を挽いてコーヒーを落とす。
湯気の立つマグカップを手に、キッチンからリビングに戻ると、おいでおいでと手招きされたので、壁に寄りかかっている健吾さんの横に座り込んだ。
そっとマグカップを手渡して、芳醇な香りを楽しみながら、コーヒーに口をつける。同じタイミングでコーヒーを飲んだ健吾さんの口角が、嬉しそうに上がった。
「美味い。俺好みの味だ」
「本当ですか?」
「ああ。おまえと一緒にいると、こんなに美味いコーヒーが、いつでも飲めるんだな」
マグカップのコーヒーに視線を落とす、健吾さんの穏やかな横顔を眺めているだけで、幸せをひしひしと感じた。
「はるくんとはネットで知り合った。当時彼は大学生で、遊び慣れていた俺からしたら、初心な彼を騙すなんて、造作のないことだった。ホテルに連れ込んで、無理やり行為に及んだんだ」
唐突にはじまった過去の話。健吾さんが持つマグカップが少しだけ揺れて、コーヒーの水面に映っている顔が歪んだものになった。
さきほどまで穏やかな表情だったのに、まぶたを大きく伏せただけで、がらりと面持ちが変わり、彼の中にある不安を映しているみたいに見えた。
あまりにつらそうな横顔に、質問が頭の中を右から左へと流れていく。今は黙って、彼の言葉に耳を傾けた。
「行為を終えたあとに、スマホですぐさま彼の裸の写真を撮った。大学の友人にゲイだと知られたくなければ、俺の言うことを聞けって脅した」
「…………」
「そんな歪んだ関係を、数か月続けた。気に入ったコを飽きるまで抱いて捨てる。そんな醜いことを俺はしてきた。そんな男と、おまえは付き合ってるんだぞ」
(僕を一切見ないのは、どんな顔で見られているのか怖くて、見ることができないんだろうな。人の心を手玉に取っていた人だからこそ、機微に聡いから――)
マグカップを持っていない健吾さんの片手を、ぎゅっと握りしめた。
僕の行動がきっかけになったのか、健吾さんは伏せていたまぶたをゆっくり上げてから、恐るおそる隣を見る。不安を映すまなざしをビシバシ受けたけど、自分なりに微笑みかけた。大丈夫なことを示すために愛情を込めて、満面の笑みを浮かべる。
笑いかけた僕を見て、健吾さんはマグカップを床に置くと、握りしめた手の上に、あたたかな手を重ねる。ふたりそろって、重なり合う手をじっと見つめた。
(今朝やってしまった険悪なやり取りが、嘘みたいに思えるからこそ、正直に伝えられる!)
「健吾さんの過去のおこないのせいで、地獄へ行くことが決まっているのなら、迷うことなく僕もあとを追います。どんなところにだって、ついて行く覚悟はできてます!」
自分よりも一回り小さい、華奢な手の温もりをひしひしと感じながら、素直な気持ちを告げた。
「敦士……」
「やってしまったことは、消すことができませんが、昔の健吾さんは過去のものですよ。まぁ僕としては、大好きな貴方に騙されるのは、本望ですけどね」
言い終える前に、健吾さんは一瞬だけ歪んだ表情を見せたけど、目を閉じてなにかをやり過ごしたのか、すぐにいつもの顔に戻った。
「敦士、おまえの優しさは俺にとって、希望の光そのものだ。夢の番人だったときも、そのお蔭で助けられた。今だって……」
いつもの声とはちょっとだけ違う、慈愛に満ち溢れた健吾さんの低い声色を聞いてるだけで、胸がじんとした。持っていたマグカップをそっと床に置いて、躰を反転させるなり、かばっとしがみついた。
「おっと! どうした?」
「嬉しくて……ただただ嬉しくて」
鼻の奥がツンとして、泣き出しそうになる。それを我慢するために、下唇を強く噛みしめた。