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西村が1回目の任意での事情聴取を受けたその朝、太田の遺体は検死解剖に回され殺傷痕とスパナの形状が一致、死因はスパナによる頭部打撲に拠るものと断定された。
太田の茶色い革のセカンドバッグには黒革の名刺入れと《《営業用》》携帯電話が残され、名刺入れには夜間接客業女性店員の名刺が19枚、然し乍ら聴き取りの結果19名全員が事件当日の23:00〜26:00の間、金沢市片町、昭和町にある各々の勤務先で働いていた事が確認された。
また太田は特別な顧客は抱えておらず、《《営業用》》携帯電話に登録された数名の客の現場不在証明も明らかだった。その時間帯、太田の《《営業用》》携帯電話の発信着信履歴も無い。
「出ました!」
ところがもう1枚、太田の泥に塗れたスーツの内ポケットからしわくちゃに丸められた名刺が見つかった。茶色く濡れそぼり色味は判別しにくかったが文字は明確で、所在地は加賀市山代温泉、デリバリーヘルス、ユーユーランド、《《金魚》》と印刷されていた。
あの夜、124号車のSDカードに録画されていた加賀市加茂交差点でUターンした106号車。その124号車を運転していた北重忠の幾つかの証言と照らし合わせると106号車を運転して居た西村裕人が今回の事件に何らかの関わりが有る事は明白だ。
そこで大聖寺警察署の警察官は106号車がUターンして駐車場に進入した加茂交差点の牛丼店の防犯カメラ、小松警察署の警察官は”川北大橋”の上下流の河川水位カメラならびに防犯カメラの洗い出しに取り掛かった。
「加賀市ですね」
「そうだな」
「イケますね」
「さぁ、俺らも行くとするか」
《《金魚》》と印刷された名刺、その捜査資料を手に久我と竹村はスーツの背広をバサっと羽織り、事務所用の茶色い長机にパイプ椅子を勢い良く突っ込むとカツカツカツと黒い革靴で階段を駆け降りた。
「竹村さん!車、正面に回しておきます!」
「お、ありがさん」
ところが竹村はここ最近の冷え込みで以前負傷した腰が痛んでいる。左腰の中程を庇いながら、コツンコツンとやや辿々しく手摺りに掴まって階段を降りた。
チーチチチ チチチチ
「昼間はそこそこ車の通りもあるんですね」
「それでも少ない方だがな」
「そうですね」
「なのに暴風雨、深夜、あの2台は何故|こんなところ《川北大橋》に居たんだ?」
一昨日の明け方とは打って変わって穏やかな流れの”手取川”を渡るシルバーグレーの捜査車両のハンドルを握る久我、助手席で肩肘を突いて車窓を眺める田村は暴風雨のあの晩を想像し考えあぐねていた。
「112号車と、106号車」
「あぁ、106号車は何でここに来た」
「誰かに呼ばれた、としか」
「けど、太田の携帯電話から西村への発信は無かったぞ?」
「西村の携帯電話の着信履歴を確認したいですね」
「そうだな」
加賀産業道路は国道8号線に合流し、捜査車両と1台のパトカーは山代温泉街と書かれた看板で左に折れ、温泉宿が立ち並ぶ中央線の無い細い道路を進んだ。宴会場や客室露天風呂を兼ね備えた高級ホテルや老舗の旅館が立ち並ぶ湯処、その中央には如何にも観光客が喜ぶレトロな木造の|総湯《公衆浴場》が建ち、2台の車はその路肩に停車した。
「駐車違反で切符、切られませんか?」
「そんなん聞いた事ないわ」
「そうですか」
山代温泉のアスファルトに降り立った2人は随行したパトカーの警察官と何軒かの風俗店や土産物店に立ち寄って聴き取り調査を行ったが該当のデリバリーヘルス店に辿り着けないでいた。
「無許可の店なんでしょうか?」
「探せばそこらにあるだろう」
「そうでしょうか」
「ほれ、あの小汚い路地の奥とか」
如何にも小さな温泉街という風情のスナックの軒先には紫色の趣味が良いとは言えない看板が立て掛けられていた。入り口には飲み干された缶ビールや缶チューハイが透明なゴミ袋にこれでもかと目一杯に詰め込まれている。空のビールケースが積み上げられた勝手口、店と店の隙間に薄暗い路地。
突き当たりにはコンクリートに鼠色のトタンを貼り付けただけの小さな建物が確認できた。
「ほれ」
「本当ですね、行ってみましょう」
苔むした溝からは汚水の臭い、ドブネズミでも這い回っていそうな雰囲気に足元がゾワゾワと落ち着かなかった。鼠色のトタンの壁には長四角の日焼けの痕がある、狭いアスファルトの通路に看板らしき物が立て掛けられている。
「ほれ、見てみろ」
久我が屈んでその裏を覗くと確かにあった。薄汚れたピンク色に色褪せた赤いハートが舞い散るその看板には、(株)ユーユーランドと黒いゴシック文字が並んでいる。
「廃業したんですかね」
「その様だな」
この寒い時期にも関わらず雨水と泥で汚れた木枠のガラス戸は開け放されていた。ガランと何もない室内、コンクリートが剥き出しの床、天井には蜘蛛の巣が張っている。
「こりゃあ、一から出直しかな?」
「困りましたね」
すると部屋の奥から、まるで胡麻塩を振り掛けた髪を天辺で束ねたシワだらけの着物を着た貧相な顔の高齢女性がぬっと顔を出した。
「何、うちにはもう買える女の子は居ないよ」
竹村がスーツの内ポケットから警察手帳を取り出すとその女性は開口一番、その女性店員の名前を呼んだ。
「何、金魚が何かしたのかい?」
その高齢女性は《《金魚》》というキーワードを自ら口にした。久我と竹村が顔を見合わせると、女性はフフンと鼻先で笑い、ガタンと鈍い建て付けの悪そうな音を立て、木製の扉を背に寄り掛かった。
「あの子はいつか何かヤルと思ってたんだよ」
「ど、どういう事ですか?」
「あんたら、私をサツに引っ張って行かないだろうね」
「はい」
「任意同行とか、勘弁だよ?」
竹村は胸ポケットから小さなメモ帳と鉛筆を取り出すと、芯の部分をペロリと舌で舐めた。
「失礼ですが、あなたのお名前をお聞かせ下さい」
「菊。」
「氏名で。お願いします」
「|菊野 恵子《きくのけいこ》。花の菊に野原の野、恵むの恵、子どもの子」
「お話を聞かせて頂けますか?」
そこで真っ先に西村裕人の名前が出て来た。隔日勤務の西村は深夜24:30頃にデリバリーヘルス女性店員の山下朱音、源氏名《《金魚》》と加茂交差点の牛丼店で待ち合わせ、金沢市まで送迎して居た。
「・・・・久我」
「はい」
「菊野さん、その山下さんのお住まい、住所は分かりますか?」
「ちょいと待っとくれ」
菊野恵子は腰を叩きながら奥の部屋に引っ込んだ。ガタガタと何かを引き摺る音に続いてギシっと軋む。椅子に登ったのだろうか、くしゃみをひとつすると紺色の分厚いバインダーを取り出して来た。1枚、2枚ペラペラとページを捲るがなかなか《《金魚》》を見つけ出せない。
「・・・・ったく、ちゃんと順番にしろって」
ボリボリとシワの目立つ首を掻き、ヨレヨレになった紙から比較的真新しい《《履歴書》》をバチンと音を立てて取り出す。それに合わせて数枚の《《履歴書》》がハラハラとコンクリートの床に舞い落ち、久我が屈んで拾うとすると菊野恵子の声が厳しくなった。
「触らない!」
「・・・・あ、申し訳ありません」
「あぁ、それは個人情報だからね。触らないでおくれ」
「は、はい」
菊野恵子は老眼で細かい文字が見えないのか暗がりで見難いのか、その《《履歴書》》を食い入るように見て首を横に振り、今後は目を細めて近付けたり離したりしている。この時間がもどかしい。
「えーと、《《金魚》》の住んでたとこは・・・金沢市、|米《こめ》?」
「米?」
「これは何て読むんだい?」
ほれ、と竹村に《《履歴書》》を手渡すが文字がぼやけて良く見えない、これは老眼だ。ほれ、と竹村が久我に見せるが今度は暗がりで良く見えない。回れ右をして玄関先の明かりでそれを読み上げた2人は顔を見合わせた。
「|米泉町《よないずみまち》」
「金沢市|米泉町《よないずみまち》、北陸交通の近所じゃないか」
「はい、その並びですね」
「こりゃぁ、偶然にしても宜しくないな。」
「菊野さん、この《《履歴書》》、ご提出頂けますか?」
「仕方ないね」
菊野恵子は着物の袖から煙草の箱を取り出すとその1本に、水色の透明な100円ライターで火を点けすうと煙を吸い込むとふぅと久我の顔に吐き出した。
ゴホッゴホッ
口元に肘を付けて咽せる久我の涙目を覗き見てニヤリと笑う。
「あんた、良い顔してるから特別だよ」