テラーノベル
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弦さんが鍵を開けてすぐに、背中をポンと押されて家の中へと誘導される。押された勢いのままリビングに入ると、ソファから、顔だけをちょこんと出した洸くんが「おかえり~」と気の抜けた声を出した。
「ひぇ!? なんで新くん!?」
「……あ、おはようございます、」
バチンッと勢いよく洸くんと目が合ったかと思うと、彼は僕の後ろにいた弦さんに「連れてくるなら言うといてよ!!」と叫ぶように怒って、一瞬で自室へ逃げて行ってしまった。
あー……。
脳裏に焼き付いて離れない数秒間の残像。今日はピンクのジェラピケやった。しかも怒ってバタバタと逃げ出した時、フードについていた猫耳が、ピョコピョコ可愛く跳ねとったな。
「……新くん、ノックアウトされてる」
僕が額を押さえ、さっきの数秒の天使タイムを必死で脳内再生していると、空くんがそれを見ながらククッと楽しそうに笑った。
「可愛いやろ? うちの弟」
相変わらずのブラコン全開な弦さんに、僕は深く深く、魂を込めて頷く。
「2人とも適当に座って。美味しい紅茶と美味いパンがあるんよ。秀太は……もう行ったっぽいな」
キッチンに入った弦さんが、シンクに残されている食器を確認してそう言った。
「ありがとうございます」
「新くんはお疲れやから、ここ座っといて。俺、お手伝いしてくる!」
お手伝いというか、単に弦さんの近くにいたいだけなんやろ?
そのツッコミすら口から出せないくらい、幸せそうな顔をして空くんが小走りでキッチンへ駆け寄っていく。カウンターキッチンから覗く2人の仲睦まじい姿は、とても可愛くて、でも少し羨ましくて、自然と口元が緩んでしまう。
「……新くん、おはよう」
聞き慣れた大好きな声が聞こえたかと思うと、僕の前の席に、服を着替え終えた洸くんがスッと慣れた様子で腰掛けた。
「……洸くん、おはようございます」
可愛い……。また前と同じお店で服を買ったんやろか。
今日の洸くんは、オーバーサイズのアイボリーの春ニットを着ている。もちもちしたニットの袖口から少しだけ覗く白い指先。黒ネイルも落としてほんのり桜色をしている。春らしくて優しげな色合いが、洸くんの透明感のある雰囲気に合いすぎていて最高や。
「……かわ、」
「うわ! 洸くん可愛い!! 全然前までと雰囲気ちゃう!!」
『かわいいです、よく似合ってます』
そう言いたかったのに、あまりの神々しさに圧倒されてすぐに言葉が出せへんかった。モタモタしているうちに、空くんがそう言いながら女の子のように駆け寄る。
ええなぁ。俺もそんなふうに思ったことをすぐに口に出せたら、洸くんも今みたいに「ありがとう」って嬉しそうに笑顔で答えてくれたやろうか。
「はい、お紅茶入りましたよ~」
空くんが「パンもどうぞ」と温めてくれたものをテーブルに置き、弦さんがお盆に綺麗なティーカップを乗せて運んでくる。
洸くんはそのカップを一つずつ手に取り、自分のもの、弦さんのもの、そして来客用のカップを僕と空くんの場所にそれぞれ配置した。
「綺麗ですね、そのティーカップ」
さっきの後悔を教訓に、今度は思ったことをすぐに伝えてみた。
すると彼は、僕の方を向いて、とても優しい顔で「ありがとう」と笑いかけてくれた。
幸せや。朝から好きな人とこうやって向き合って、真っ直ぐに笑いかけられている。
「あ……これ、色違いまだ売ってると思う。新くんのもいる?」
「……え?」
「ここに、新くん用のカップ置いといたらええやん」
こ、これは──。どういう意味なんやろう。
僕たちの恋人同士としての未来が、今まさに開けたということやろうか?
……いや違う。言うてもここは上重三兄弟の家や。これはただの友達に対する親切で、そんな意味深な言葉じゃないよな。だから、もし、洸くんに振られてしまったら、そのカップはただ虚しくこの家に居座り続けるだけなんやろな……。
「じゃあ俺らも後で買いに行く? このカップ古いし、買い替えて俺も空くんとお揃いにしたいなぁ」
「え! 嬉しい! ……でも、俺行けるかな?」
少し不安げに返事をした空くんの様子に弦さんがすぐに笑顔で返事をした。
「大丈夫、俺がついてるやん!ビュンビューンって早く行けば大丈夫!」
その真っ直ぐで根拠のない、だけど世界一頼もしい「大丈夫」に、空くんの顔にいつもの笑顔が戻ってくる。
「うん……! 俺も、弦とお出かけしたい!」
僕たちの会話を聞いてはしゃぐ2人を尻目に、僕がどう返事をしていいか迷っていると、洸くんが僕の小指をギュウギュウと悪戯に引っ張ってくる。
驚きと、その指先の感触に、僕があっけにとられて見つめていると、洸くんはこそっと、僕にだけ聞こえるような小さな声で話しかけてきた。
「新くん、寝てないんやろ? あとで俺のベッド貸してあげる。起きたら一緒に買いに行こ?」
「ブッッッッ──」
何気なく口に運んでいた紅茶を、思わず全力で吹き出しそうになる。
あっぶな!! 洸くんの前で一生の失態をおかすところやった。急いで手のひらで口をガードしたから良かったものの、もうちょっと紅茶を多めに含んでたら、鼻からも飛び出してたかもしれん。
「ふふっ、はい、ティッシュ」
そばにあったティッシュを何故か嬉しそうな洸くんから渡され、「すみません」と焦って受け取る。
「え、なんか2人とも仲良いやん」
「……そんな事ないよ」
弦さんの鋭い問いかけに、少し照れながらそっぽを向いた洸くん。
その仕草と表情の破壊力が凄すぎて、弦さんと空くんは、ポロッと、まるで漫画のように手に持っていたパンを同時にテーブルに落とした。
「そ、そうや。洸くん、最近カフェ巡りにハマってるって……」
限界を迎えそうな心臓を落ち着かせるように、次の約束をこぎつけるための話題を必死に思い出す。
「ん、そう! 新くんのところのカフェが最高すぎたから、色んなとこ回ってるねん。特に、オリジナルメニューがあるところ! 料理って奥深くてすごいなって。──でも、」
洸くんは少しだけ表情を切り替えて、僕を真っ直ぐに見つめた。
「俺はまだ、新くんの作ったものを超えるものには出会ってない」
少しはにかむように微笑みながら、僕にストレートに伝えてくれる。
あー、嬉しくて、どうしよう。人間、本当に嬉しい時って、なんて言ってええか分からんようになるねんな。
「そう!俺も料理を新くんから学んで気づいた。いくらレシピがあっても、そのまま作るだけじゃただの美味しい料理やねん。省きがちな下処理も、火加減も、その料理に合った調理器具も……一つ一つの丁寧な『愛』が、新くんの作るものをより美味しくさせてんねんなぁ」
洸くんの隣で、空くんがしみじみと師匠である僕を褒め称えてくれる。
「流石、野中さんの生徒やな?」
弦さんがそう言って笑った直後、おもむろに、洸くんが真っ直ぐに手を挙げた。
「ん! 俺も、新くんがお料理してるとこ見学したい!!」
これは……!!! またとない、最大のチャンス到来では!?
隣にいる弦さんと、斜め前の空くんが「行け!!」と言うような熱いアイコンタクトで僕を応援してくれている。
「仕事終わりの仕込み、見にこられますか!? もちろん、オーナーに許可は頂いておくので!」
勢い任せに、少し無茶な提案をする。
ここで「今日一緒に料理をする」という流れにした方がスマートやったやろか。パーマ別の日大作戦の時みたいに、2人きりになることにこだわって、欲張りすぎたやろか──。
「え! いいの!? 行きたい!!」
不安になる僕の思考を置き去りにして、洸くんに咄嗟に両手をぎゅっと握りしめられる。
あまりの体温の近さに気が遠くなりそうな中、僕は必死で意識を繋ぎ止めながら、「はい……」と弱々しく、けれど最高の喜びを込めて返事を返したのだった。
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