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2年ぶりに会ったユイくんは、新しくピシッとした紺色のスーツに身を包んでいた。茶色だった髪色は黒色になっていて、いつも寝癖をつけていたのにそれは整髪料で程よくセットされていた。「久しぶり」とぎこちなく微笑む彼は、とんと押してしまったら崩れてしまうような儚さを纏っていて。それでいてあの頃の無邪気さを思い出させるような気もした。
「就職してたんだね、おめでとう。こうしてお互いの仕事終わりに会うなんて、なんだか不思議だね。」
木製のテーブルを挟んだ正面のユイくんは、私の言葉にただ「そうだね」と返す。ユイくんは二人の間に置かれたウーロンハイの入ったグラスを見つめていた。
「…部屋を失ったこと、聞いたんだ」
「そっか」
「俺の自意識過剰かもしれないけど、それは…俺のことがあったからなんじゃないかと思って。ずっと謝りたかった。」
ユイくんの声は小さい。居酒屋、私達だけの空間、この個室の中に籠るような声だった。謝るというのは、何に対してだろう。部屋をなくした私が、社会的に生きづらくなったから?部屋をなくした私が、もう愛を見つけることができなくなったから?
ユイくんの輪郭や線が次第にぼやけて、それは中学2年生の頃の私の姿へと変わった。
「ユイくんはあの時、寂しかったんだよね。」
「え?」
「どれだけ分かったつもりでいても、相手を想って干渉しても、愛という結果が現れなかったことが、寂しかったんだよね。」
“私達は、分かり合って寄り添いあっていたはずだったのに”
そっと、テーブルの上、ユイくんの左手に自分の左手を重ねた。先程まで冷たいグラスに触れていたからか、ユイくんの手はひんやりと冷たかった。あの冬の日、私の手を暖めてくれた心地の良い温度は消え去っていた。
「愛とは”ふたりの部屋”で、見つけるものだと思っていた。でも、私の中で、私ひとりでも、確かに愛は存在したよ。」
「でも…俺達は、」
「”ふたりの部屋”を貴方が愛と呼ぶなら…。私は、ユイくんと過ごしたあの4年間と、ユイくんの目に映る私を、愛と呼ぶよ。ほら私、部屋がないから。」
そうやって生きるんだ、私は。部屋が、私達の愛を形に出来なかったとしても。私達の心には愛が確かに存在したんだと。それは個体でもなく、液体でもなく、気体でもない、不確定なものかもしれないけれど。
ユイくんと並んで歩いた私がこの世にいる限り。あれは愛であったと、私が断言してみせる。
「だからね、部屋をなくして救われたの。愛を教えてくれて、本当にありがとう。」
ユイくんと目が合う。濡れる瞳は個室を照らす照明にきらきらと装飾されていた。鼻先や頬の赤色は、オレンジ色のライトの中ではもっと鮮やかで美しかった。
部屋のある、形のあるユイくんには、この愛は理解できないだろう。けれど大丈夫。貴方は私を、大事に大切に愛してくれた。大丈夫。寂しくないよ、もう寂しくないんだ。
「よかった…ユウナちゃん、よかった、よかった、…大好きだったよ、本当に愛していた…っ」
「うん、大丈夫だよ、私も愛していたよ、ユイくん。」
ユイくんは大学卒業後、やりたいことを探すためにフリーターをしていたけれど、私と別れたあとにフリーターを辞め正社員として働き始めたのだと話してくれた。特にやりたい仕事に就けたわけではなかったという。
そして、その職場で出会った女性と半年前ほどに付き合い始めたのだと話してくれた。「もう25歳だもんね、大人になったよね」と笑う彼は、まだ幼い子供のようなあどけなさが残っていた。
ユイくんと居酒屋の前で別れたあと、私はユイくんの連絡先を消した。私の歴史の教科書には、世界を大きく変えた偉人としてユイくんの名前が刻まれていることだろう。部屋をなくし、愛を知って、そして。