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第25話:あとは、材料が足りないだけ
それから程なくして治療薬作成のための情報が揃った私は、診療を休止して薬の調合に集中することにした。
そんなある日の深夜の研究棟。書き物机には、反故になった調合紙が幾重にも積み上げられている。長椅子には、「付きっきり」の名目でいつの間にか眠り込んでしまった焔の姿。
この四日間、夜ごと処方の最終調整に没頭していた。そして今夜、ついに最後の一滴を垂らす。しゅわり、と微かな音を立てて、母液が澄んだ琥珀色に変わっていく。求めていた「正解」の色だ。処方は完成した。
その喜びに浸る間もなく、必要な球根の総数を弾き出した瞬間、私の手が止まった。桁が、想定より一つ多い。
「……ふふ」
思わず、笑いがこぼれた。もちろん、愉快な笑いではない。
「陛下」
長椅子で眠っていた焔が、ぴくりと肩を揺らして目を開ける。
「……ん。何だ」
「起こしてすみません。ですが、笑いごとではないので聞いてください」
「珍しいな。お前がそんな声を出すのは」
「処方が完成しました。理論上は、これで疫病の根治が可能です」
「なら、何が問題だ」
「材料が、圧倒的に足りません。霧百合(きりゆり)の球根です。雲海地方の高地でしか採れない稀少な薬草で……本格的に治療を行うには、手元にあった分の五十倍、控えめに見ても、千個近い数が必要です」
「……千?」
「ええ。今夜、処方が完成した喜びより先に、その桁に頭を抱えているところです」
「その程度の差、市場で買い占めればいいだろう」
「それができれば、こうして頭を抱えてはいません。霧百合は雲海地方でしか自生しない上に、収穫期は年に一度、しかもごく短い。今から確保できるのは、どこかに眠っている『在庫』のみです。……私のような、後ろ盾の怪しい『半妖』風情に、大人しく売ってくれるとは思えません」
「やってみなければ分からないだろう」
「勿論、最善は尽くしますが、まぁ望み薄でしょう」
「ふん、今はやれること無しだな。ひとまず今日のところはもう寝ろ、それが“合理的”だろ」
「そうですね、仕方ありません」
私は促されるままに、寝台に着き、焔の隣で眠りにつく。
その時、焔の半分閉じた瞼の奥で、金色の瞳が、私の顔をじっと捉えていることに、私はまだ気づいていなかった。
〇
それから五日ほどが経った、昼下がり。机の上には、開封されたまま無造作に積まれた書簡の山。五軒に当たり、まともに応じたのは二軒のみ。手札を全て切り、それでも千個の壁は微塵も動かない。
「……珍しく苛立っているな」
「苛立っている、というのは些か語弊がありますね……純粋に、徒労感を覚えているだけです。知識や技術で突破できない壁に直面するのは、久しぶりですので」
「つまり、詰んだということか」
「まだ詰んではいません。ただ、これ以上の一手が、私の手札にないというだけです。かつての伝手を五軒当たりましたが、まともに応じてくれたのは二軒のみ。合わせて三十個ほど。他は取り扱ったことがないか、何年も前に貴族が一括で買い占めたと」
「その貴族の名を吐かせて、根こそぎ奪ってくればいい話だろう」
「それはやめてください。相手が素直に差し出すならまだしも、脅して奪える量など知れています。それに、恫喝で手に入れた物は、次に何かを頼む時の伝手を確実に潰します」
「……お前の理屈は、いつも俺の得意なやり方を潰すな」
「陛下の得意な解決法は、大抵『物を壊す』ことに終始していますからね」
「悪いか」
「良し悪しの話はしていません。近縁種の白澪蓮も検証しましたが、効果は三割止まり。瘴魔獣の分泌物も一応検討しましたが、あれは毒性の系統が根本から違う。千の壁はびくとも動きません」
翌日の午後、椿が研究棟を訪れた。机に積まれた書簡の山と、私の顔色を見て、椿はすぐに扇を持つ手を止めた。
「また根を詰めていらっしゃるのね。……お顔の色が優れませんわよ。その山、もしや何かお困りごとかしら?」
「……ええ、恥ずかしながら」
隠すことでもないので、私は今の現状を椿に話した。
「霧百合……。ああ、それでしたら。実はね、薬師殿。……治療薬の材料集めがいつか大掛かりになるだろうと、勝手ながら見越して、少し前から女官たちに『何か伝手があれば』と声をかけておりましたの」
「そうでしたか。非常に助かります」
「今のところ、三件ほど心当たりがございますわ。薬種問屋を営む女官の実家、雲海地方に赴任していた元官吏の未亡人、南の街で薬屋を営む元女官。三軒とも合わせれば、控えめに見ても四百五十は集まるかと。薬師殿の手持ちと合わせて、ちょうど五百程度ですわね」
「椿様。改めてになりますが……貴女、本当に人脈で生きてきた方ですね」
「あら、褒め言葉として受け取ってよろしいのかしら?」
「もちろんです。知識や技術で解決できない問題を、こうも軽々と半分まで縮めてしまうとは……脱帽します」
「ふふ、薬師殿にそう言っていただけるなんて、光栄ですわ。……ですが、残りの五百については、わたくしの伝手ではここが限界ですわ。雲海地方からの直接の取引となると、直接関係のある教会の伝手を頼るのが最も確実ではないかしら」
「……仰る通りかもしれません」
「それと、女官たちの実家からは、あちこちの患者の様子も自然と耳に入ってきますの。まだ名簿に載っていない患者さんも、きっと大勢いるはずですわ」
「助かります。近日中に、分かる範囲で構いませんので未把握の患者の洗い出しも、お願いできますか」
「もちろんですわ。……薬師殿に頂いたご恩を思えば、こんなことは些細なものですわ」
椿が去った後、残る不足分をどう埋めるか、私は再び頭を悩ませていた。
「……まだ悩んでいるのか」
「悩んでいるわけではありません。次善の策を検討しているだけです」
「その次善の策の中に、なぜ聖女の名が出てこない。あそこなら調合でも助力を期待できるだろうが」
「……聖女殿に借りを作るのは、些か気が引けます。それに、これは私が完成させた処方箋です。最後まで自分の手で調合も――」
「誰にも頼らず何もかも背負い込むな、いい加減目障りだ。さっさと聖女にでも投げて、お前は楽になれ」
「……それは、陛下にとって都合が悪い、という意味でしょうか」
「お前が背負って、潰れでもしたら……ッ。――治療そのものが滞る。俺の呪いも、この疫病も、宙に浮いたままだ。……いい加減、人の使い方くらい覚えろ」
効率の話をされている。それだけのはずなのに、なぜだか、頭の中の天秤が、いつもより軽い。
「……分かりました。彩に、託します」
「はじめからそう言えばいい」
「今、そう言いました」
〇
同日午後、城下の仮設治療所。最後の患者を見送った彩は、私たちの姿に気づくと、疲れた様子ながらも笑顔を見せた。
「玲様、陛下! 今日はどんな御用ですか?」
「いえ、聖女様に話があって参りました。治療薬の処方が完成しました。ですが、材料の確保が、こちらの伝手だけでは追いつきません」
「材料、というのは?」
「霧百合の球根です。全患者に行き渡らせるには千個近く必要ですが、現状確保できるのは、良くて五百程度。……処方箋を、貴女に託します。これを完成させられるのは、おそらく貴女のところの伝手だけです」
「わたしに……?」
彩は書面を両手で、まるで宝物のように受け取った。その瞳が、みるみる潤んでいく。
「こんなに信頼していただけるなんて……嬉しいです。……必ず、必要な分を用立てます。……玲様のためだけでなく、苦しんでいる皆様のために、わたしにできることを、全てを賭けて!」
本当に、迷いなく頷く人だ。けれど今回だけは、その眩しさに、素直に助けられよう。
〇
その後の帰り道。
焔がからかうような目で私を見てきた。
「……随分と、殊勝なことを言うようになったな」
「陛下の入れ知恵ですよ」
「知るか」
夕暮れ前の空が、まだ高いところで白く光っていた。
コメント
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みぅです🤍🥀 第25話、お疲れさまでした…! 処方が完成した瞬間の“桁が想定より一つ多い”で笑っちゃうところ、すごく胸に来ました。やっとできたのに、現実はこんなにも重いんだなって。 焔が「お前が背負って潰れでもしたら」って言うところ、表面上は効率論だけどなんだか少し心配してるように聞こえて、ドキドキしました…。 椿さんの人脈、めっちゃ頼もしかったです。そしてラストの彩に託すシーン、眩しくて泣きそうになりました。 材料集め、うまくいくといいな…次が気になります!🌙