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昨晩のリンゴ泥棒騒ぎから一夜明けた。
穏やかな朝日が果樹園を照らす。鳥のさえずりが心地よく響き、まるで何事もなかったかのような静けさが広がっていた。だが、その穏やかさとは裏腹に、ワイの頭の中ではまだ昨晩の出来事がぐるぐると渦巻いとる。
「昨晩はどうなることかと思ったわ」
「うん。でも、怖い人とかじゃなくて良かったよ」
ケイナは朝露に濡れた草を踏みしめながら、ほっと息をつく。その顔には安堵の色が浮かんどった。確かに、昨日の連中はそこまで危険な奴らやなかった。悪さはしたが、命のやり取りはなかった。それでも──ワイの胸にはまだ引っかかるもんがある。
「楽観的でもおられへんで」
ワイはそう言いながら、手のひらの上でリンゴを転がした。艶やかな赤い皮が朝日を受けてきらめく。指先でそっと撫でると、ひんやりとした感触が伝わってくる。けど、リンゴの表面がどれだけ滑らかでも、その内側に虫が潜んでいることもある。ぱっと見、なんの問題もなさそうに見えても、内側からじわじわと蝕まれてるかもしれへん。そんな嫌な予感が、昨晩の出来事を思い出すたびにじわじわと膨れ上がってくるんや。
「え、どゆこと?」
ケイナが不思議そうに首を傾げる。彼女はまだ深刻には考えてへんのかもしれん。
「壁だけじゃ足りへんってことや。考えてもみぃ。昨日の奴らがガチの曲者やったら、もっと面倒なことになっとったで」
昨日の連中は、食うに困ったガキ共やった。リンゴを盗む程度の連中や。
けど、もし本気の襲撃者が来たら? 武器を持ち、計画的に仕掛けてくるような連中やったら? そのときはもちろん、ワイも全力で抵抗する――拳で。ワイには”半殺し”の能力があるから、連中も迂闊には動かれへんはずや。でも、他の街とかから人員を集めとる最中の可能性はある。
「えっ? もっと壁を強化するの?」
「せや。ワイはここを”守れる果樹園”にする」
ワイは腕を組み、じっくりと考え始めた。守りを固めるために、単純に壁の高さを三メートルから十メートルに引き上げるのも一つの手や。けど、それにはいくつもの問題がある。
いくらワイの【ンゴ】スキルで堅固にしても、さすがに十メートルの壁を維持できるかは微妙なんや。木材や土で最初に壁をつくるんも大変やし……。無事に作れても、長期間維持できるとは限らん。もし倒壊すれば、近隣住民を巻き込んだ事故が起きるかもしれん。さらに、あまりに高い壁を作ってしまうと、果樹園壁際の日当たりが悪くなる。リンゴもマンゴーも日光を浴びんと甘くならん。防御を固めすぎて作物が不作になったら本末転倒や。
ワイが守るべきは、ただの土地やない。ここで育つ果樹や。そして、それを育てるワイら自身や。ただ壁を高くするだけやなく、もっと賢い方法を考えなあかん。
そこで、現実的な策として三つの方法を考えた。
1.迷路式の果樹配置
リンゴとマンゴーの木を戦略的に植え直し、侵入者が簡単に奥まで進めんようにする。ただ無造作に植えるんやなく、通路を複雑にして、たどり着くのに時間がかかるようにするわけや。敵が迷う間にこちらが先手を打てる仕組みやな。
2.見張り台の設置
壁の数カ所に高台を作り、外の様子を監視できるようにする。これがあれば、遠くからでも敵の動きが察知できるやろ。実際に見張れる人員はワイとケイナしかおらんけど、”見張り台がある”っちゅう事実だけでも多少の抑止力にはなるはずや。
3.罠の設置
落とし穴や転倒しやすい丸太を配置し、不審者の侵入を妨げる。特に夜襲に備え、仕掛けを工夫する必要があるな。隠し扉や偽の通路を作って敵を撹乱するのもありや。
「な、なるほど……。ナージェさん。すごい!」
ケイナが目を輝かせながら言うた。ワイは鼻をこすりながら軽く笑う。
「大したことあらへんわ。それより、ケイナも手伝ってくれるか?」
「もちろん!」
頼もしい返事が返ってくる。ケイナのやつ、小柄やけど器用やし、こういう作業には向いとる。ワイ一人で考えても限界があるし、協力してくれるのはほんまに助かるわ。
準備は着々と進む。ワイらの果樹園を守るために。
「ナージェさん、これなら……本当に守れそうだね」
ケイナが希望を込めた声で言う。ワイは腕を組んだまま、果樹園の全体図を指でなぞりながら考え込んだ。
「まだ終わりやない。いくら施設を充実させても、人員がワイら二人やったら限界がある」
「えっ? なら、この前言っていた昔の仲間の人たちを頼るってこと?」
ケイナが不安げな顔をする。
「んなわけないやろ。あいつらは信用できん」
ワイの声は低く、断固としたものやった。ケイナは驚いたように目を瞬かせる。あいつらをこの果樹園に招き入れるなんて、リスクが高すぎる。下手すりゃ内部から崩されるだけや。
「果樹園の中に招き入れるに足る人材に、心当たりはない」
護衛用の冒険者を雇う? それも却下や。腕の立つやつもおるが、チンピラ崩れの荒くれも多い。五人パーティーを雇ったとして、夜中に裏切られてワイらが暗殺される可能性も十分にある。首を敵対組織に差し出される未来が目に浮かぶわ。
奴隷を購入する? これも却下や。奴隷は単純作業には向いとるが、護衛を任せるには信頼が足らん。ちゃんと衣食住を与えて人として扱えば、いずれ心を開くかもしれんが、時間がかかる。それに、ケイナを巡る一件で、この街一番の奴隷商とは敵対関係になったばかりや。今奴隷を買おうとすれば、相手が何かしらの嫌がらせを仕込んでくるかもしれん。
「なら、どうするの?」
ケイナが不安げに尋ねる。ワイはリンゴを軽く放り投げ、宙でくるりと回ったそれを、片手でぴたりと受け止める。
「ええ手があるんや。――ただし、ちぃとばかし変わりもんやで」
口元に笑みを浮かべながら、ワイはリンゴに軽く歯を立てた。甘酸っぱい果汁が、静かに広がる――。