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ゆ(旧「ゆゆゆゆ」)
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ゆ(旧「ゆゆゆゆ」)
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FORSAKENの領域に、ひときわ深い、完全な静寂が訪れる夜があった。
吸血鬼にとって、数十年、あるいは数百年に一度訪れるという、抗いがたい長い眠りの周期。
肉体を維持するための魔力を休眠させ、魂の澱を洗い流すための、死にも似た永眠の 時間がノスフェラトゥに近づいていた。
部屋の中央に設えられた、黒檀の棺。
その内部は、吸血鬼の眠りを守るための極上の絹と、スペクターが好む乾いた薔薇の香りで満たされている。
いつもなら夜の闇とともに覚醒するノスフェラトゥの四肢は、今や鉛のように重く、皮膚の冷たさは死者のそれへと近づきつつあった。
だが、彼の心は、かつてないほどの平穏に満たされている。
なぜなら今、その狭い棺の闇の中に、スペクターが共に身体を横たえてくれているからだ。
「……主様」
消え入るような擦れた声で、ノスフェラトゥは隣の温もりを呼んだ。
衣服が擦れる微かな音とともに、赤いシルクハットを被ったままのスペクターが、ノスフェラトゥの身体を横から優しく抱きすくめる。
主の、確かな胸の鼓動。
そして、常に彼を縛り、救い続けてきたあの濃厚な支配の気配が、至近距離でノスフェラトゥの全身を包み込んだ。
「ここにいるよ、ノスフェラトゥ。もうすぐ、心地よい闇が君を連れ去る」
スペクターの指先が、ノスフェラトゥの額から、すでに冷たくなり始めている頬へと滑り落ちる。
その愛撫は、これまでのどんな調教よりも静かで、そして絶対的な所有の重みを伴っていた。
ノスフェラトゥは、重い瞼を辛うじて開き、暗闇の中に浮かび上がる主の輪郭を見つめた。
被ったままの、鮮烈な赤い帽子。
それこそが、彼を古代の傲慢から救い出し、完璧な家畜へと仕立て上げた美しい檻の象徴。
「主様……一つだけ、私の最後の我が儘を、お許しください……」
「なんだい。良い子の願いなら、聞いてあげないこともないよ」
ノスフェラトゥは、残された微かな力でスペクターの胸元に顔を埋め、その衣服の布地をきつく握り締めた。
これから訪れるのは、己の意識さえも完全に消失する、果てしない時間の空白だ。
考えることも、ねだることも、主の命令に身体を震わせることもできなくなる、絶対的な無の世界。
それが、今の彼にとっては、何よりも恐ろしい「自由」の再来に思えてならなかった。
「もし私が……このまま二度と目覚めなくても。私の魂が、永遠の闇に溶けて消えてしまっても……」
ノスフェラトゥは喉を震わせ、涙で濡れた瞳で、主の赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「あなたはその赤い帽子を被ったまま……私が死体になっても、灰になっても、私を支配し続けてくれますか」
それは、吸血鬼がその永遠の生命のすべてを賭して捧げる、最も重い服従の呪文だった。
生きている時間だけでは足りない。
目覚めている一瞬だけでは満たされない。
死の如き眠りの中にあっても、己の全存在が「スペクターの所有物」であり続けることを、彼は魂の底から懇願していた。
自分で自分の生死を選ぶことすら放棄し、その生殺与奪の権を、永遠という名の揺り籠ごと、主の指先へと明け渡す。
スペクターは、ノスフェラトゥのそのあまりにも歪みきった、美しい告白を聞くと、満足そうに低く笑った。
彼の長い指先が、ノスフェラトゥの喉元――かつて首輪があった、そして今は内なる鎖が完全に食い込んでいるその皮膚を、強く、爪を立てるようにして撫でる。
「当たり前だろう、ノスフェラトゥ。君が目覚めていようと、眠っていようと、君の居場所は私の足元だけだよ」
その冷徹で、この上なく甘い約束。
「君が灰になっても、私はその灰を私の小箱に収め、永遠に私の部屋に飾ってあげよう。君は、一瞬たりとも自由にはなれないよ」
「……っ、……スペクター……」
その言葉を聞いた瞬間、ノスフェラトゥの胸に、圧倒的な幸福感が広がった。
これ以上の救済が、この世にあるだろうか。
目覚めぬ闇の中でも、自分はあの赤い帽子の男の檻の中に囚われ続け、愛され、管理され続けるのだ。
古代の王としての栄光も、孤独も、すべては遠い過去の幻。
今の彼は、ただ主の腕の中で、その愛撫の痕跡だけを抱いて眠る、幸福な玩具に過ぎない。
「……ありがとうございます……私の、……主様……」
満足に満ちた微笑みを浮かべながら、ノスフェラトゥの長い睫毛が、ゆっくりと、完全に閉じられた。
身体から完全に力が抜け、微かな呼吸の気配すらも、スペクターの胸の中で静かに停止していく。
やがて、静寂が訪れた。
スペクターは離れる前に、ノスフェラトゥの額にそっと口づけを落とす。
「おやすみ、ノスフェラトゥ」
黒檀の棺の蓋が、静かに閉じられる。
光の一筋も届かない完全な暗黒の中で、しかしノスフェラトゥの魂は、主の見えない鎖に固く、優しく繋がれたまま、永遠の揺り籠の中で心地よく微睡み続けるのだった。