🦀🏺と姉🐙の話/くさはかげ様より
つぼ浦は両手で顔を覆った。ため息を吐けば白のネクタイがキュッと首を圧迫する。薄暗い店内で誰も気にしないと思ったのに、隣の力二が肘で脇腹を小突いた。
「つぼ浦さん、笑顔笑顔」
「無理だ」
「じゃ、せめて前向いてください。折角のスーツですよ」
「これ、ズボン、ステテコにさせてくれ」
「ダメですバランスが崩れる。なに、気に入らない? 俺のイチオシスーツ」
「エネルギーが籠る……」
「自分の毒で死ぬ蛇みたいっすね」
「ムシャクシャするぜ……」
「しゃーねえな。こっち向いて」
力二は結び目に指を入れ、つぼ浦のネクタイをシュルと解いた。いささか汗ばんだ肌は、ほのかな間接照明で飴のように艶々している 。
「ボタン二つ開けてください」
「好きなとこでいいのか?」
「ランダム? マ?」
「冗談だ」
つぼ浦は上からボタンを外して胸元を広げる。力二は自分の首から金のネックレスを外して、つぼ浦の首に留めた。ティファニーの繊細なチェーンは不思議なほど褐色の皮膚に良く似合う。 ピンクゴールドの内側から光るような影は、普段の明るい印象とのギャップでサディスティックな欲を掻き立てた。まじまじネックレスを見るつぼ浦は、力二がかすかに視線をさ迷わせたことに気が付かない。
「苦しくねえ」
「でしょ」
つぼ浦は首を上下に動かしニコニコ笑った。力二はペンギンの被り物をずらしてつぼ浦のネクタイを自分に結ぶ。
「そろそろお客さん、いや、姫の皆様が来ますよ」
「おう。あーあ、5秒で終わんねえかな」
「爆発でもさせます?」
「いいなそれ」
「ロケラン姫にねだりましょ」
クリスタルガラスのシャンデリアが床いっぱいに幾何学模様の煌めきを描く。夢みたいにキラキラ着飾ったホストがレッドカーペットにズラリと並んだ。黒服がギイと扉を開ける。ジャカジャカノリのいいクラブミュージックが流れ始める。
開店だ。
キャイキャイ客がはしゃいでいるのを眺めながら、つぼ浦は腕を組んで壁にもたれかかった。
「まさか署長も乗り気とはなぁ」
「マア、ブームっすから。特別手当も出るし」
「時給2000万だったか」
「今値上がりして3000万です」
「すげえな」
「実際すごい」
2人の会話の通り。 ロスサントスは空前のホストブームに湧いていた。火付け役はカム・カマダ、火口に風を送ったのはALLINだった。そこに市長が特別手当というガソリンを投下したものだから、町中がものすごい勢いで立ち上がった。どこもかしこもノボリを立てて、やれこちらは1日限定、対するこちらは男装ホスト、あちらでは私服メカニック、コスプレ医療従事者等々。とにもかくにも大盛り上がりで、この波には乗らねばならぬと我らが署長ジャック・馬ウワーも拳を上げた。曰く、「署員全員への実質ボーナスだし、市民との交流も図れるし、イベントテロ罪で警察資金も潤う。一石二鳥どころか三羽落としてるんだぞ。やらない理由がないだろう!」とのこと。
つぼ浦は遠い目でグラスを磨きながら口を開いた。
「市長も署長もキツめのバチあたんねえかな」
力二はホストだボーナスだイエーイくらいの気持ちであったが、つぼ浦が煤けているので「買った靴の底全部抜けてほしいですよね」と頷いてやる。
とにもかくにも、一日限定ホスト警察署SGHD(Steamer GrandTheftAuto Hosuto Department)はこうして開店した。尚、アメリカにはホストという概念がないためローマ字表記である。
顔見知りが来たり、ヘルプを頼まれたりとつぼ浦はなんだかんだ忙しく動き回っていた。案外全体を見て足りないところを補う男だ、慣れぬホスト業務と言うこともあり仕事はいくらでもあった。力二はロスサントスの彼氏に恥じぬ働きぶりで指名が途絶えない。
「ラスソンこのまま成瀬安定かなぁ」
「ラスソンって何すかアオセン」
「ラストソング。売上一番の人が店じまいに歌うんだよ」
「へぇ、罰ゲーム」
「お前本職に言ったらぶっ殺されるよそれ」
「違うんすか?」
「リズム天国のハイスコア表記よ。最後の一言みたいな」
「あーなるほど。ペケペケペケデスカ」
「ハイ↑」
「ヘェースゴイデスネ」
「コン☆チャン」
「コッチミテー」
「ア゛アアアア゛ア゛ーーー!」
『つぼ浦指名だぞー。らだおも働きなさい』
馬ウワーの声が無線越しに響く。レジを振り返れば親指で3番テーブルを示され、口パクで「がんばれよ」とエールが送られた。
「つぼ浦なんで署長に中指立ててるの?」
「胃に穴開いて欲しいんで」
「あーね。飲み物にC4でも詰めたら?」
「いいなそれ」
「やるとき教えてね、Twixで拡散するから」
「俺の顔モザイクかけてくださいね」
「アロハシャツで手遅れだから安心しな」
「チクショウ」
『つぼ浦早くしろー。あとその手はお客さんの前ではやめよう。な、ホストだから。今日一日ホストだからなつぼ浦も』
『うーっす』
ものすごく気のない棒読みを無線で送り、つぼ浦はようやく3番テーブルに向かった。天鵞絨の長椅子に、燃えるような長い赤毛の女が座っている。
「よーお、待たせたな」
女はちらとつぼ浦を見る。キリンくらいまつ毛が長いな、とつぼ浦は思った。『ローズマリーの赤ちゃん』の頃のミア・ファローみたいに小顔で、瞬きをすると目から光がパチンと広がる。鮮血よりもなお赤いリップが透明に泡立つシャンパンを呷る。息を飲ませる華やかな美貌だった。
女は廊下に向かってぱっと右手を上げた。
「チョコレート・グラスホッパーを二つ!」
両手を組んでそこに顎を乗せ、ゆるりと小首をかしげた。
「弟のセンスでしょ、それ」
「あ?」
「イタリアのスーツ。明るい薄緑に黒いシャツ、とどめにほっそいネックレス。いかにも弟の好みだわ」
「……弟ってことは、あんたカニくんの兄か姉か!」
「どう見ても姉でしょ。マ、そういうこと。いつも弟が世話になってまーす」
「へえー。こちらこそいつも世話してるぜ」
「文章なんかおかしいな、こちらこその後に続く文じゃないだろそれ」
「あ? 事実だぜ。特殊刑事課のつぼ浦は嘘をつかないことで有名だからな」
「やることなすこと全部無茶苦茶の間違いでしょ」
「あんたは……タコ(たこ)?」
「夕コ(ゆうこ)です」
「おう、タコ(たこ)さんだなよろしく」
「人の話聞いてないな」
「いや聞いてるぜ。会話のテンポがカニくんそっくりだ」
黒服が淡い緑のカクテルグラスを机に置いた。一杯は夕コの前に、もう一杯はつぼ浦の前に置かれる。
夕コはグラスを持ち上げて、透かすようにつぼ浦を見た。とろりと濁った美しい翡翠色が並ぶ。
「やっぱこの色」
「ジャケットか。グラスホッパーってバッタだろ? 比べたらカニくん怒るぜ」
「カクテルな。確かに名前の由来はそうなんだけど、あくまでカクテルな」
「へえ、カクテル」
「飲んだことない?」
「ないぜ」
「なら気に入るよ。ほら、グラス持って」
「おう」
「乾杯」
「乾杯。……何にだ?」
「じゃあ弟に」
「いいな。カニくんに」
チン、と行儀悪くもカクテルグラス同士をぶつける。涼やかな音の通り、グラスホッパーからはミントの香りがした。口に含めばホワイトチョコのまろやかな甘みとアルコールの熱に浮かされたような苦みがぱっと広がる。
「美味い」
「でしょ。俺のチョイスに外れはないんだよなぁ」
「詳しいのか、こういう……。なんだ、あれに」
酒が回り始めたつぼ浦は、言葉が出てこず右手をくるくる動かした。
「カクテルドリンク? それともお酒飲めるところ?」
「それだそれだ」
「まあ詳しいかな。前の街ではストレス発散に随分通ったし、この街のバーもいいお店だし」
「Violet Fizz」
「そこ。つぼ浦ー……、さん? ごめん、何歳?」
「23」
「同い年じゃん! 呼び捨てでいい?」
「馴れ馴れしいぜ」
「私も夕コでいいから」
「タコさん、くん? さんだな、カニくんのご家族だからな」
「家族じゃなかったら何になってた?」
「タコスさん」
「原型よ」
「不満か?」
「不満だろどう考えても。ならなくて良かったよ」
「おう、良かったな! 特殊刑事課に感謝しろ」
「はいはい」
肩をすくめ夕コはグラスホッパーを飲んだ。ツマミはないが目の前の男がいい肴になる。口が上手いので会話は途切れないし、何より見た目がよかった。弟のセンスに間違いはない。褐色の肌はアルコールでほてり、内側から赤がにじみ出ていた。薄暗いセクシーな照明の下なのに薄緑のスーツがレフ版となってつぼ浦の輪郭を引き立てる。触れたいと思わせる胸元のピンクゴールドと、警戒するような色の濃いサングラス。奥に秘められた光り輝く瞳。
見れば見るほど夢中になる良い男だ。度数の高い酒を前にした時のような、トキメキと躊躇を与えるデザインをしている。
流石我が弟、と夕コは思った。力二は全力でつぼ浦を飾り立てたのだろう、人目を引かず、されど強烈に。
「つぼ浦次何飲む?」
「詳しくないんだよな。タコさんと同じの頼む」
「ホストっぽいね」
「そうなのか」
「そうなんだよ。じゃ~、色。なんか好きな色言って」
「赤」
「いいね」
「あんたの髪みたいな色がいい」
「うっわ! ホスト!」
「そうなのか」
「そうなんだよ」
「じゃあ、無しで頼むぜ」
「なんでだよ、仕事出来てるってコトじゃん! もうそういうこという仕事なんだからホストなんて」
「へえ。好きな色を……」
「違う! 口説くようなこと言うんだよ客をお姫様扱いして」
「姫」
「そう、姫。言ってみ?」
「姫……。こんな下賤な場所に来ねえほうがいいぜ。帰りな」
「違うわ!」
「違うのか」
「もう0点。全力で0点」
「0点か。10点どっかで取ったら100点にならねえか」
「テストの点数改ざんする小学生かよ」
夕コは手を叩いてゲラゲラ笑った。つぼ浦はアルコールでふらふらしていたが口だけはよく回る。自分の喋った言葉の意味も分かっていないが、笑ってもらえたので良しと思う。
「よし、分かったつぼ浦。俺の言葉繰り返して」
「おう、まかせろ」
「夕コさん、僕と」
「ゆーこさん、ぼくと」
「っ――」
ダン、と机にトール・グラスがたたきつけられた。真っ赤なレッド・アイが噴火のように飛び出して机を濡らす。ペンギンの被り物が返り血を浴びたようにポタポタしずくを垂らしている。成瀬力二が無言でそこにいた。
「よぉ! カニくん!」
酔っぱらっているのでつぼ浦は空気を一切読まなかった。ニコニコ笑って自分の隣をポンポン叩く。隣に座れの合図だ。
力二は座らず、つぼ浦の手を引いて立ち上がらせる。
「悪いんだけど、この人借りるから」
「へえ」
「行きましょつぼ浦さん」
「あ? お?」
口を半開きにしたままつぼ浦は連れていかれた。
言葉少なに立ち去った力二に、夕コは暫し考え込んで。
「すいませーん、ここにいる皆に一杯ずつ奢らせてくださーい!」
未来の義弟に乾杯することにした。姉という生き物は妖怪のようなもので、特に弟の片思いなんかお見通しなのである。
「がんばれ力二、あれは相当手ごわいぞ」
夕コはニヤリと笑ってレッド・アイを飲み干した。
コメント
6件
新作も素晴らしかったです!!姉弟と🏺という、実際は絶対あり得ない3人の絡みが最高でした。 靴の底とかC4とか、たまに出るボケ(?)も絶妙なラインで面白かったです。そして何よりリズム天国!!!だぁ本人を推してる人間としては感動しました、あの2人だからこそできる会話…w あの姉弟はお互い執着というかブラ(シス)コンの解釈なんですが、🏺が絡むとそっちを優先しようとした🦀が好きです。私自身弟を持つ身なので、強い姉が好きです。最高でした。

ごめんなさい、興奮のままに書いてしまったので1度コメントを消しました あらためて、ほんとうに素晴らしい作品をありがとうございました なんど感謝してもしきれません もともと🐙🏺は2人とも自由奔放で頭が回るので、実はとても相性が良いのではとずっと考えていました その私では言語化できない関係をこんな風に形にしていただけてすごくすごく嬉しいです 序盤で🦀が🏺に対して、靴の底抜ければいいと同意したのは🏺だからなのかなとか 強烈なのに人目を引かない、そんなコーディネートをしたのは危機感とか独占欲とかが入り交じっているからだろうかとか 引っ張りだこだった🦀が🐙🏺に気づけたのは🏺を気にしていたからなのかなとか 割と姉に甘いのに嫉妬むき出しなのは🐙と気づいてないのかはたまた分かっていても動揺したのか 🐙が🏺に言わせようとした言葉……想像するのが楽しくて仕方がないです また、手強いと称しつつ「未来の義弟」と🦀が🏺を射止めるを確信している様子も、何もかもお見通しな🐙の余裕が分かって心にズキュンと来ました 本当に本当に素晴らしい作品で、今まで読んできた🏺作品の中でお世辞抜きで1番好きな作品です 本っ当にありがとうございました! その他リクエスト、二次創作作品も楽しみにしています これからも応援しています
う腐、ぐへへ(少々お見苦しいところをお見せしました) いや、いいっすね!ホストとか向かなそうなイメージあったけど、 なんか、天性の才能?みたいなかんじで人を引き付けてしまうつぼ浦概念好き。 弟の片思い察してつぼ浦の事指名するって…性格がいいのやら悪いのやら。 あの!気になってレッド・アイのカクテル言葉調べてみたんですけど、 「親しい友人や恋人に悩みを打ち明けられた時や相談事をされた時に そっとレッドアイを頼むのが粋」(コピペ)って出てきたんですけど、 弟の恋愛事情(相談事)にレッド・アイを頼んだっていう そういう意図があるんですか!!?(語彙力なくてすみません) 意図的じゃないとしてもチョイス最高です!! 今回の作品もとても面白かったです!次も楽しみにしてます!! (長文失礼しました!!)