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要圭は二人いる。
別に都市伝説でも何でもない、単なる事実だ。同年代、同学年、同じクラスに二人の要圭が存在する。「要圭いる?」なんて安易に聞こうものならまず間違いなく「どっちの?」という返事が返ってくるのは、この都立小手指高校では常識になっていた。
さて、ではなぜ瓜二つの双子に同じ名前が付けられたのか。簡潔に言えば両親が出生届の記入を誤ったから。以上だ。元々は響きが近しい別の名前が考えられていたらしいのだが、出生届の二枚共に誤って『圭』の名を記入しそのまま提出してしまったらしい。まぁ、性別・身長・出生体重からほぼ全てが同じ男児ともなればそんな間違いもあるだろう。役場に訂正して貰えば全てが解決する。
しかしそこは大らかすぎる母だ。役場からの連絡を受けて誤記入が発覚したのだが、「でも何だか二人とも圭の方がしっくりくるわぁ」と。何やらフワフワとした理由により訂正をしなかった結果、この世には二人の要圭が誕生したのだった。
「うわ、これめちゃくちゃ美味い。ちょ、智将も飲んでみ」
「またそんなに甘いものを飲んで…そのカフェオレ分、今日は長めに走り込みだからな」
「えぇ〜⁉︎基礎トレやんの⁉︎テスト前なのに⁉︎」
「当たり前だろ、むしろ主人の勉強時間を確保するために走り込みだけにしてやってるんだぞ。赤点なんて取って補修にでもなってみろ、パワーアンクルを手足に五個ずつ着けて走らせるからな」
「鬼畜の所業。厳しすギルティじゃん」
下校のチャイムを合図に解放された生徒たちが次々に帰路へつく中、二人もまた同じく昇降口へと向かっていた。ごく自然に口にしている「智将」と「主人」という呼称は、幼い頃のごっこ遊びの延長線で呼んでいるものだ。初めこそ「どちらも同じ要圭では不便だ」という理由で、半ばふざけて呼び始めた名前だったのだが今では随分と口に馴染んでいる。
「ところで主人。随分と鞄がペラペラなようだが、忘れ物はないか?」
「………やべっ、教室に教科書忘れてきた。取ってくるわ」
「……本当に勉強する気はあるんだろうな?」
「あっ、あるってェ〜!やだな智将さん、俺のこと疑ってんスか?」
「じゃあ俺の目を見て言ってみろ」
「分かったて!取ってくるってもう!智将これちょっと持ってて、飲んでもいいからさ。あ、一口な!」
「いらん、早く取ってこい」
たどり着いた昇降口で各々の靴を手にしながら、しかし智将はふと主人の鞄がペラペラなことを指摘した。智将からの指摘にあからさまに目を逸らす主人に「まったく」と聞こえよがしにため息をつく。普段からめんどくさがって置き勉をしている主人のことだ。大方今日だって、持ち帰るのが面倒になり智将の教科書を一緒に使わせてもらえばいいとでも思ったのだろう。その思惑に智将が気付かないわけもなく。キッと責めるように睨んでやればようやく観念したのか、主人は手にしたカフェオレを智将に預けて教室へと駆けて行った。その後ろ姿を見送りながら、智将はまたやれやれとため息をつく。ほんの数秒とは言え智将よりも先に生を受け、戸籍上は『兄』にあたるのだからもう少ししっかりしてほしいものだ、とはもうこれまでに何度となく思ったことか。
(…まぁ、それでも肝心な時には兄らしくあろうとする姿勢があるだけいいか)
しかし智将はかつて打ち取ってきた相手からの憎悪に当てられ荒んでいた時期に、勝手に布団に潜り込んできた日の兄の姿を思い出すと、小さく笑った。
幼馴染である葉流火を至高のピッチャーとして世界に送り出すことに躍起になっていた智将を、そうして才能の差に打ちのめされていた自分を、主人は…兄は独りにはしなかった。
『打ち取ってきた相手のことは忘れんな』
『でも、お前たちに負けた敗北感で何かが変わるヤツだっていると思うからさ』
『だったらせめて、いっそ清々しくて笑っちまうくらい大差で勝ってやろうぜ‼︎』
幼い頃にごっこ遊びをしていた時のように、顔を近付けて視線を合わせながら内緒話をするように。その主人の言葉は、いとも簡単に暗がりにいた智将の手を引き眩しいほどの日の下に連れ出した。
どうしようもなくこの人は自分の半身で“兄”なんだ、と実感した瞬間だ。
「あの…」
「ん?」
そんな昔の記憶に思いを馳せていると、不意に後ろから声が掛かり振り返る。そこには同学年の女子生徒が何やら物言いたげに、上目遣いにこちらを見ていた。少し上気した頬と潤んだ瞳、彷徨う視線と所在なさげに忙しく動く手。ちらり、と女子生徒の数メートル後ろに目をやれば友人らしき女子生徒二人が固唾を飲んで見守っている。
(あぁ、なるほど)
その視覚情報だけでこれから起こるイベントなど容易に予測可能だ。告白か遊びの誘いか。チラホラと人目のある昇降口で、それも予告なしとなれば恐らく後者。
それから、可能性はもう一つ──
「何か用事?」
「あ、あの…ッ、圭君、だよね…?」
にこり、と人好きのする笑みを浮かべて詳細を問えば女子生徒の頬は更に朱に染まる。そうして吃りつつも、確かめるように紡がれた名前に智将の纏う空気は氷点下まで下がった。もちろん例えの話であり、実際に二人を取り巻く空気は然程も変わっていない。近しい人間であれば、それこそ小手指メンバーであれば気付く程度の感情の機微。しかしそれに気が付かない女子生徒は無言を肯定と受け取ったのか、更に言葉を続ける。
「その、よかったら今度の日曜日に二人で出かけない…?桃パフェが美味しいって評判のカフェがあって…圭君、好きかなって。わ、私も行ってみたくてさ」
隠しきれていない恋心は説明するまでもなく、“兄の要圭”に対するものだった。初手で「圭君」と呼ばれた時点で何となく察してはいた。弟であり智将である要圭のことを、周りは「要君」や「圭様」と呼ぶからだ。それから甘いものや菓子類を口にしないことは周知の事実であり、それを知っていれば「桃パフェを食べに行こう」なんて勝算の低い誘い方はまず間違いなくしない。
雰囲気が違うせいかあまり間違えられることはないんだがな、なんて。感情のない表情で女子生徒からの誘いの言葉を聞き流しながら、落とした視線の先で目に入ったのは主人の飲みかけのカフェオレの紙パックだった。そこでようやく合点がいく。どうやら智将が口にしない甘い飲み物を手にしていることから、兄の要圭だと判断したようだ。だから最初に呼ばれた名前が疑問系だったのか、と腑に落ちる。
(この子はたしか、この前の──)
改めて女子生徒に目を向ければ薄らとだが見覚えがある気がして。数秒間だけ記憶を探り、そこでようやく先日主人が何気なく手を貸した女子だと思い出す。抱えていた重そうな備品を廊下ですれ違い様にヒョイと掠め取り、「どこに持ってけばいい?」なんて笑うものだから。陽だまりのような優しさで意図せず落としてきたうちの一人なのだろう。智将自身もその性格に救い上げられた一人だから、気持ちが分からんでもないのだが。誰にでも笑顔で手を差し伸べる、人たらしもいいところだ。
だからこそ──
(主人の笑い方、こんな感じだったか?)
「うわ、めーっちゃ嬉しいんだけどごめん‼︎その日は弟と予定があってさ」
脳内で思い浮かべた主人の笑顔を貼り付けてヘラリと笑う。と、口調を真似てその誘いをやんわりと跳ね除けた。途端に引き攣る女子生徒の表情は散々と打ち取ってきた選手たちの表情に、少しだけ似ている気がする。
「あっ…そう、なんだ…」
「ほんっとごめんな…‼︎あと、大会前だから野球に集中したくて…ほら、智将も目ェ光らせてっからさ。あんま遊んでると怒られちゃう」
「…うん、そうだよね。ごめんね、気にしないで。大会、頑張ってね。応援してるから‼︎」
「…うん、ありがとう」
深く頭を下げながら溢す言葉は本心だ。もちろん日曜日に予定があることも、大会に向けて遊んでいる暇がないことだって嘘ではない。この場にいたのが主人であっても、きっと返事は変わらなかった。
だから自分は主人に代わって返事をしておいただけ。
言い訳のような大義名分の裏に隠した「碌に見分けも付かない他人に取られてたまるか」という醜い嫉妬は、とてもじゃないが主人には見せられない。尤もいずれ見つかったとて、あのお人好しは「俺のこと好きすぎじゃね?」なんて。受け止めて、受け入れて、アホみたいに笑うのだろうけれど。それでも、自分でも異常だと感じるほどの執着心を打ち明けるのは今ではない。
「おっ待たせ〜‼︎」
「遅いぞアホ」
「アホて。これでも結構急いだのよ?って、あれ…?」
「どうした?」
「ん、いや……何かあった?顔、曇ってんじゃん」
「………別に何も?」
その場を後にした女子生徒が二人の友人に慰められながら去っていくのを見送ると、程なくして何も知らない主人が智将のもとへと戻ってきた。「どれだけ置き勉をしてたんだ」と感じずにはいられない、パンパンに教科書が詰められた鞄についてはもう何も言うまい。そんな諦めにも似た心境の智将の顔を暫く見つめた主人が、不意に沈んだ表情について指摘する。そこ数分の出来事による感情の変化すらも見逃さないのだから、やはりアホでも観察眼の鋭さは本物だ。そんな指摘を笑って受け流すと、智将は僅かばかりの腹いせにと主人の片頬を摘んでミョ、と引っ張ってやる。
「もう少し締まりのある顔だったらな」
「鏡見て言えよお前‼︎ 同じ顔だろがい!」
自分に向けられた好意も執着も歪んだ愛情も、何も知らない。何も知らずに、主人は眩しい太陽のように無邪気に、無垢に笑っては今日もどこかで誰かを無意識に惹きつけるのだ。人の気も知らずに。まったくもって腹立たしくて愛おしい。
「うわ、甘……」
「飲むんかい。つーか文句言うなら飲むな‼︎」
預かっていた飲みかけのカフェオレを徐に一口だけ口にすれば、依存してしまいそうなほどの甘さが広がる。その甘さは、主人から無償で差し出される愛情によく似ていた。幼い頃からその愛情を飲み下して生きてきた自分は既に中毒なのだろうな、なんて。小さく笑うと、主人の頬を解放してカフェオレを手に持たせてやりながら、これ以上の中毒者を増やさないようにと釘を刺しておくのだった。
「甘すぎるのは程々にしておけよ」