喫茶 桜の店休日。
普段の賑やかな店内とは打って変わり
静かな空気が居住スペースの
リビングに広がっていた。
「おはよぉございま〜すぅ⋯⋯ふぁ」
階段から降りてきたレイチェルが
大きな欠伸を噛み殺しながら
リビングに入ってきた。
髪は寝癖が残ったままの
ラフな服装に着替えただけの姿。
目元を擦りながら
ソファにボスンと座り込む。
「はよ。」
短く声を掛けたのは
テーブルに座るソーレンだった。
目の前には
ちょうど
彼が淹れたばかりのコーヒーが
置かれていた。
その芳醇な香りが
ふんわりとリビングに広がっている。
「⋯⋯ん?」
レイチェルは
コーヒーを受け取るアリアに目を向ける。
「⋯⋯あれ?時也さん、居ないの?」
「ん?
アイツなら、まだ起きて来てねぇよ」
ソーレンは気怠そうに答え
コーヒーを口に運ぶ。
苦味を感じると同時に
喉の奥がじんわりと温まる感覚に
彼は静かに息をついた。
「へぇ?珍しい事もあるのね!」
レイチェルは
意外そうに目を丸くする。
時也は休みでも
誰よりも一番に起きてきていた。
だからこそ
余計に珍しく思ってしまうのだった。
「⋯⋯アイツ、たまに
読心術のせいで
部屋に閉じ篭る時があんだよ」
ソーレンは、何気なく答えたが
その声には
僅かに気遣う響きが混じっていた。
「今回も、それじゃねぇかな?」
「⋯⋯そうだよね」
レイチェルの表情が僅かに曇る。
彼女は
以前にソーレンの提案で
時也に擬態したことがある。
その時
時也の〝読心術〟の苦しみを
ほんの僅かではあったが
感じ取ったのだ。
声が無数に押し寄せ
頭の中を埋め尽くす。
怒り、悲しみ、恐れ⋯⋯
その一つ一つが
時也の心に波のようにぶつかり
心を削っていく。
「⋯⋯精神、削るもんね⋯⋯」
レイチェルの声は
自然と小さくなっていた。
「ま、ソッとしときゃ
そのうち出てくるから心配すんな」
ソーレンは
無造作に髪をかき上げながらそう言った。
その言葉は
どこか不器用な慰めにも聞こえた。
「⋯⋯わかった」
レイチェルは、深く息を吐き出す。
「おい、アリア⋯⋯
時也のコーヒーじゃねぇからって
フリーズしてんじゃねぇよ」
ソーレンが
アリアの頬を指先でつつく。
アリアは
カップを持ったまま
まるで時間が止まったかのように
無表情のまま固まっていた。
彼女の目は
空の一点を見つめているようで
何処を見ているのかも分からない。
ソーレンの指先が軽く触れた途端
アリアは僅かに瞬きした。
「⋯⋯きっと
時也さんが心配なのよ。
ね?アリアさん?」
レイチェルが
優しく言葉をかける。
アリアはその声に反応し
一瞬だけ彼女を見た。
その深紅の瞳が僅かに揺らぎ
そして、ゆっくりと伏せられた。
「⋯⋯⋯」
アリアは
再びコーヒーを口に運びながら
何も言わなかった。
だが
その仕草は何処か
無理に平静を装っているように見えた。
そのアリアの椅子の隣には
青龍が床で正座し
目を閉じたまま静かに座っていた。
幼子の姿のまま
彼の背筋はぴんと伸び
その表情はどこか険しい。
まるで
時也の苦しみを
静かに背負っているかのように──
レイチェルは
ソファに沈みながら静かに呟いた。
「⋯⋯時也さん
早く元気になると良いなぁ⋯⋯」
誰も言葉を返さなかったが
その願いは
きっと皆の心に響いていただろう。
リビングに広がるコーヒーの香りは
どこか切なく
静かに漂い続けていた。
静寂が一瞬にして
張り詰めた空気に変わる。
アリアの横で瞑目していた青龍が
突然目を開き
慌ただしく立ち上がったのだ。
その素早い動きに
ソーレンとレイチェルは
思わず彼の後ろ姿を目で追う。
「どうしたの?青龍」
レイチェルが声を掛けるが
青龍は返事もせず
まるで何かに急き立てられるように
奥の部屋へと駆け込んだ。
数秒もしないうちに
パタパタと足音を立てて
戻ってきた青龍の手には
ふわりとしたブランケットが
握られていた。
「⋯⋯アリア様
どうぞお掛けくださいませ」
静かだが
何処か焦りを含んだ声で
青龍はアリアに
ブランケットを差し出した。
青龍の動きに何かを察したのか
ソーレンが無言のまま
アリアの肩に
そのブランケットを優しく羽織らせる。
「俺、薪を用意してくるわ」
「うむ。頼んだ」
季節は初夏に差し掛かり
朝から少し暑いくらいであった。
「え?薪?こんなに暖かいのに?」
レイチェルが不思議そうに首を傾げる。
「いーから。
お前も羽織るもん持って来い」
ソーレンの声には
普段とは違う緊迫した響きがあった。
レイチェルは
その空気に飲まれるように立ち上がった。
その時──
ジリリリリ⋯⋯ッ!
玄関のインターホンが鳴り響いた。
「ん?配達かしら?行ってくるね!」
レイチェルは
特に気にする様子もなく
軽やかに玄関へ向かっていった。
「おいっ!
⋯⋯行っちまった。
⋯っと、急いで薪を持って来ねぇと!」
ソーレンが舌打ちし
慌ただしく裏手に向かうのが聞こえた。
⸻
玄関。
「はーい!」
レイチェルは扉を開け
思わず息を呑んだ。
扉の向こうに立っていたのは──
まるで
「光」と「影」が
具現化したかのように対照的な
二人の少女だった。
一人は、金色の波打つ髪を持ち
雪のように白い着物を纏っている。
もう一人は
黒褐色の髪を肩まで流し
深い闇のような
黒い着物に包まれていた。
二人とも
深紅と鳶色のオッドアイ──
互いに鏡合わせのような瞳が
印象的だった。
年齢は12〜15と
いったところだろうか。
どことなく⋯⋯
誰かを思い起こさせる顔立ち。
「知らないお姉さんね、ルナリア」
金髪の子が
目だけを隣に向ける。
「ええ。初めましての方ですね、エリス」
黒褐色の髪の子も
同じく視線だけを向け
静かに答えた。
レイチェルは、言葉が出なかった。
その場の温度が
何故かじわりと下がっていくのを
肌で感じる。
背筋に冷たいものが這い上がり
知らず知らずのうちに腕を擦る。
—ドタッ!バタバタッ⋯⋯ドンドンドンッ!
突然、二階から轟音が響き渡った。
「⋯⋯?」
今、二階にいるのは
時也だけだったが⋯⋯
彼がこんな慌てた音を出すだろうかと
レイチェルは
僅かに揺れる天井を見た。
「少し待ちましょうか、エリス」
「ふふ。
支度が整ってないみたいだものね
ルナリア」
優雅に微笑み交わしながら
双子は落ち着いた様子で
レイチェルの前に立ち尽くしていた。
レイチェルは
背筋を凍りつかせながら
なんとか言葉を絞り出そうとする。
「⋯⋯ど、どういう⋯⋯」
その瞬間
階段を駆け下りる音が
後方のリビングから響いてきた。
「アリアさんっ!
あぁ、良かった⋯⋯
暖かくされてますね!」
リビングに響いたのは
時也の声だった。
そして、続くのは優雅で静かな足音──
時也が
落ち着いた様子で玄関へと姿を現した。
彼は
着物の上からしっかりと羽織を纏い
冬の寒さを
完全に意識した格好をしていた。
その目は穏やかに微笑みながらも
何処か
はしゃいでいるようにも見える。
「エリスさん、ルナリアさん!
よく来ましたね!」
時也が言葉をかけると
双子の少女達は微かに微笑み
優雅に頭を下げた。
「「ごきげんよう!お父様」」
「は⋯⋯」
レイチェルの口から、呆けた声が漏れた。
「お⋯⋯え?お父様ぁっっっ!?」
レイチェルの驚愕の声が
喫茶 桜に響き渡った。
冷たい空気の中で
双子の笑みは
柔らかいものなのに
だが
静かに凍るように冷たかった。
その不思議な空気が
リビングへと広がっていく──
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喫茶桜に訪れた、光と影を纏う双子の娘たち。 不器用な愛と静かな絆が、冷たい空気の中に温もりをもたらしていく。 無言の想いが交差する、家族の物語──