テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
放課後のチャイムが鳴ると同時に、俺のクラスに現れた奏は「珍しく、このあとちょっと寄り道してく?」と軽く声をかけてきた。いつもなら即答で頷くのだが、今日は僅かに間が空いた。
「……悪い、今日は用事がある」
「そっか。じゃあまた明日ね」
奏はあっさりと笑って手を振る。その背中が教室の出口に消えていくまで、机に手を置いたまま動かなかった。
教室に残ったのは数人だけ。ふと視線を窓の外に向けると、昇降口の前で神崎が壁にもたれて立っているのが目に留まった。片手でスマホをいじりながら、時折入口の辺りをちらりと見る。
(神崎……待ってる相手は、いったい誰だ?)
胸の奥で、乾いた音がひとつ弾ける。気づけばスクールバッグを持って立ち上がり、無意識のうちに昇降口へ向かっていた。
階段を下りる途中で、ガラス越しに奏の姿が見えた。神崎と並び、なにかを話している。奏が笑っている雰囲気に見える――その笑顔は、確かに俺が知っているものと同じ形をしていた。けれど、その光が俺以外に向けられていると思った刹那、胸の奥でなにかが冷たく砕けた。
思わず足が止まり、心臓が痛いほど脈打つ。手すりを握る指先は薄っすらと白くなって、呼吸がやけに浅くなる。頭の中で、神崎の言葉が昨日よりも濃く、鮮やかに蘇った。
『君が大事にしてる奏は、俺が一番よく知ってる』
目の前で、神崎が軽く奏の肩に触れた。その瞬間、胸の奥に溜まっていた砂が、一気に崩れ落ちるような感覚が走った。
神崎の指先が奏の肩から離れるより早く、昇降口の扉を乱暴に開け放った。ガラス戸が大きく音を立てると、ふたりの視線が同時に向く。
「……神崎、なにをしてる」
感情を低く抑えた声。だがその奥には、抑えきれない熱があからさまに滲む。奏が一歩前に出ようとした瞬間、神崎が口の端を意味深に上げた。
「なにって、奏と昔話をしてただけだよ。氷室、そんなに警戒しなくても――」
「奏から離れろ!」
俺の声は鋭く、空気を断ち切った。周囲のざわめきが一瞬止まり、昇降口の外の風の音まで遠ざかった気がする。
俺と神崎の間に、奏が慌てて割って入った。
「蓮、落ち着いて。別に――」
「落ち着いていられるか!」
その言葉は、自分自身にも驚くほど大きな声になった。握りしめた拳が震える。胸の奥に積もっていた砂が、今まさに崩れ落ち、渦となって吐き出されていく感覚だった。
「俺は……俺は、奏が神崎に触れられるのが嫌なんだ、わかれよ……」
俺から放たれる雰囲気で、昇降口の空気が張り詰める。神崎の印象的な瞳がほんの僅かに細まり、奏は言葉を失ったまま俺を見上げた。
「奏は……俺の隣にいる」
告げた言葉は短く、それでいて決定的だった。
次の瞬間、神崎が小さく笑い「そうか」とだけ言って背を向けた。その背中が遠ざかっていく間、奏は俺の腕を掴んだまま動けずにいた。
その手の温もりを確かめるように腕から外し、強い力で握りしめる。握りしめた奏の手の温もりが、確かにそこにある。
それなのに胸の奥には、もう戻れない影が静かに広がっていた。その影が自分を強くするのか壊すのか――まだ、わからなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!