テラーノベル
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藤白りいな…お転婆で学校のマドンナ。天然で、先輩や後輩など学校のほぼすべての人が名前を知ってる。
はるきと付き合ってる。海と仲が良いが、最近結構意識してる
天童はるき…ツンデレの神。りいなのことが大好きだが、軽く、好きなど言えない。嫉妬深い。
男子と仲のいいりいなが誰かにとられないかと心配してる。海に嫉妬中!
佐藤海(かい)…りいなのことが昔から好き。りいなと好きなど軽く言い合える仲。
結構チャラめ(?)デートなどはゲームだと思ってる
月下すず…美人だがなぜかモテない。はるきと海の幼馴染。りいなのことは好きだが、嫉妬中(?)
はるきと海のことが気になってるが、どちらかというとはるきのほうが好きらしい(?)
りいな目線
放課後、蝉の声が教室の窓を震わせる。誰かが机を軽く蹴った音と、隣から聞こえる微かな息遣い。 「…りいな」
呼ばれた瞬間、心臓がひとつ跳ねた。 机の隣で、はるきが目を逸らしながら口を開く。
「次の…土曜、空いてる?」
私は答える前に、軽くうなずいてしまっていた。 それがどんな予定でも、はるきが言うならきっと…と、心が先に走ってしまう。
「夏祭り、さ。行きたいって思ってて。お前も…浴衣とか、着るの?」
横目で見てくるその視線に、なんでもない会話なのに妙に照れてしまう。
「着る…と思う。去年、着られなかったから」
「じゃあさ、俺と一緒に行かね?」
はるきの言葉に、胸がぽっと熱くなる。 照れて笑い返そうとした、その瞬間――
「え~!? なになになに? 夏祭り?俺も行くー!」
教室の前から、元気な声が跳ねてきた。海だった。 手に持ってた消しゴムを転がして遊んでたのに、いきなり椅子を引いてこっちに走ってきた。
「なにそれ、デートの誘い的な?ズルくね?りいな、俺も浴衣で隣並びたいっす!」
はるきが小さくつぶやいた。
「…なんで俺はいつもこいつに邪魔されるんだよ」
顔は笑ってたけど、目は真面目だった。 海は、そんな空気を全然気にしてない。
「えー?俺がいなきゃ場がもたないっしょ!屋台で一番テンション高いの、俺だから!」
私は思わず笑ってしまった。 はるきが少しムッとしたけど、海はいつものように自分の世界で爆走してる。
放課後、学校の昇降口で靴を履いていたりいなの隣に、唐突に海が滑り込んだ。
「はいっ、今日の任務は“りいなの浴衣選び”、出動するぞ~!」
「ちょっと…声大きいよ」
りいなが笑いながら小声で返すと、海はいたずらっぽくウィンクして、軽く小走りに自転車へ向かった。
商店街の風は、夕方の匂いが混ざっていて、どこか懐かしい。 浴衣屋の入口にぶら下がった風鈴が、チリンと鳴った。
「わ~!柄がいっぱいありすぎて、逆に目が泳ぐね」
海がくるくると棚の間を回りながら、派手な赤地の浴衣を頭に乗せて「これどう?祭りの女王!」とかふざける。
「それ、完全に海が着る側のテンションでしょ。私じゃないし」
「えー?似合うと思うけどなぁ。…いや待って、これ!これがマジでいい」
海がすっと指差した先にあったのは、淡い藤色の浴衣。 細かく描かれた撫子の花に、金糸でさりげなく流れるような模様。
「…綺麗」
「でしょ?なんか、“夜に隣並んで歩いたら、まじでキスしたくなるレベル”なやつ」
「はいはい、海はキスネタにすぐ走るんだから」
「だってー、本気で言ったら動揺するでしょ?」
その一言に、りいなは一瞬言葉を止めてしまった。 笑ってるけど、海の目は冗談じゃない光を宿していた。
「…海、私、なんか変なこと言っちゃった?」
「ううん。俺が変なこと言ってる側だよ。でもさ――」
海が少しだけ距離を縮めて、棚の奥にあった浴衣を手に取り、りいなに向けてそっと差し出した。
「これ、俺との夏の思い出にしてよ。“選んだ”だけでも、いいからさ」
「…ありがとう。じゃあこれにするね」
その言葉に、海は満足そうに笑った。でも、目だけはほんの少し照れているようだった。
「あー、祭り本番が楽しみすぎるわ。りいな、屋台は一緒に回ってくれる?はるきには黙っとくからさ~」
「…海、それは余計に怪しまれるやつだよ」
りいなが浴衣に袖を通すと、心の音が急に大きくなった気がした。 鏡に映る自分の姿に、少しだけ慣れていない顔。けれど、その藤色の模様が、“誰かが選んでくれた”という記憶にぬくもりを宿している。
商店街から少し外れた神社前。提灯が風に揺れて、浴衣姿の人々が集まり始める。
「おっ、藤色!やっぱそれ選んだんだな~!」
海が駆け寄ってくる。 うちわを片手に、ヨーヨーすくいで無駄にテンションを上げたらしく、すでに汗ばんでいる。
「かわいい…まじで。やばい、今日ずっと隣でいたい」
「…ありがとう。海も、はしゃぎすぎないでね?」
「はしゃぎたい夜に、はしゃげないとか無理っしょ!」
その口調に笑ってしまったけれど、目の端にははるきの姿が見えていた。 少し離れたところで、ラムネの瓶を握りながら、どこか視線を彷徨わせている。
夜が更けていくにつれ、りいなと海は自然に二人きりになる時間を見つけた。 神社の裏、ひと気のない噴水の前。金魚すくいの紙のように、繊細で破れそうな空気が流れていた。
海が、急に真顔になる。
「…ねぇ、りいな。この浴衣選んだ時、俺ちょっとふざけてたけど、本音だったよ」
「え?」
「俺…好きだから、しょうがないじゃん」
その言葉が落ちたとき、海の手がりいなの肩にそっと触れた。 そして、唇が近づく。やさしくて、すこし震えていて――
一瞬の静寂。そして、キス。
その瞬間だった。 遠くから、誰かが歩いてくる音。 はるきの顔が、噴水の灯りに浮かび上がった。
止まった。何も言わない。けれど、その目は、すべてを見てしまっていた。
祭りの夜、金魚すくいの屋台横。 りいなは海と並んで歩きながら、笑っていた。海はいつものように冗談ばかり言ってて、その声に周囲の提灯さえ明るく見えた。
そんなふたりを、はるきは少し離れた場所から見つめていた。 ラムネの栓を開けずに、ただ手の中で握っているだけ。
「…楽しそうじゃん」
隣にいた友達がそう声をかけても、はるきは答えなかった。 その目は、りいなと海の距離――指先ひとつ分の隙間に釘付けだった。
やがて噴水の前。海がりいなに顔を寄せたタイミングで、はるきの手がラムネを強く握りしめた。
「ってかさ、りいなが一番綺麗だったわ。あの浴衣選んだ俺、天才じゃね?」
「ほんとは照れてるだけでしょ」
「いやいや、俺わりと本気なんですけど」
その言葉と、距離の近さに、はるきの視線が揺れる。 屋台の明かりが彼の横顔を照らしていたけど、目は伏せられていた。
そのあと、りいなが少し離れてラムネを買いに行こうとしたとき、はるきが後ろから静かに呼び止めた。
「りいな」
振り向いたその瞬間、はるきの目はまっすぐにりいなを捉えていた。
「…浴衣、似合ってる。今日、一番綺麗だった」
「…ありがとう」
それだけの会話。なのに――はるきの声には、感情が詰まりすぎていた。
りいなが去ったあと、はるきはラムネを地面に静かに置いて、ひとり噴水を見つめた。
海目線
祭りって、いつも俺にとってはゲームだった。 誰を笑わせるか、誰と一番屋台回れるか。そんなことばっか考えてて、ずっと“ふざけてる自分”でいられた。
でも、りいなと並んで歩いてる時だけ、ちょっとだけ足取りが遅くなる。 なんか…ね、一歩が重くなるんだ。隣にいるってだけで、うれしいくせに、言葉が軽くなりすぎちゃう。
藤色の浴衣が、夜の光に混ざって、冗談抜きで綺麗だった。あれ、俺が選んだんだよ。俺だけが知ってるんだよ。 なのに「似合う」って言うだけで、心臓がバクバクして、笑ってごまかした。
噴水の前で、りいなが俺の顔を見てきた瞬間。ふいに声が出た。
「好きだから、しょうがないじゃん」
たぶん、今までで一番素直だった。 で――キスした。初めて、自分から。
キスって、あんなに静かなものなんだ。りいなのまつげがほんのすこし震えたのも見えた。 …それだけで、俺、生きてるって思えた。
でもすぐに空気が変わった。 光の隙間から“誰か”の視線。見なくてもわかった。はるきだった。
あいつの目、冗談も嘘も通用しない目だった。俺、笑えなかった。
はるき目線
俺は、言えなかった。“好き”っていう一言が、ずっと喉の奥に詰まったままだった。 でも、りいなを見てる時間だけは、いつも安心できてた。 助けたこともあった。笑わせようとして失敗したこともあった。俺なりに、大切にしてきたつもりだった。
だからこそ、言えなかった。言った瞬間に、全部変わる気がして。 でも――今日変わった。海のキスで。
俺は祭りの空の下、ラムネの瓶を握りしめながら、りいなの唇に触れた“誰か”を見てた。 唇がふれたその瞬間、心臓が音を立てて崩れた。
走って止めようと思えばできた。でも、動けなかった。 怖かったんじゃない。負けたんだ。言葉じゃなくて、タイミングに。
キスをした海。目を見てこっちを見なかったりいな。 俺は、誰にも気づかれない場所で立ち尽くして、何も言えずにその場を去った。
その夜、家で浴衣姿のりいなの写真を見返して、俺は思った。
りいな目線
りいなを駅まで送っていった帰り道。祭りの提灯はひとつずつ消えて、境内に残った光はわずかだった。 海はポケットに手を突っ込んで境内に戻ると、そこにははるきが待っていた。
「…やっぱ、お前ここに戻ってきたな」
はるきは、声を抑えていた。でもその瞳は夜よりも鋭かった。
「ふたりっきりで歩いてたって聞いて、まあ、予想通りだけど。浴衣も、お前が選んだんだよな」
海は笑った。肩をすくめながら。
「観察力バツグンだな〜。そ。俺が選んだ。りいな、似合ってたよな?オレ的神チョイス」
「それだけじゃないだろ。あの噴水前で…お前、りいなに…」
言葉が途切れた。はるきは拳を軽く握ったまま、最後の一語が出てこない。
海はあえて笑ったまま言った。
「キスしたよ。りいなのファーストキス、もらったぜ?俺、彼氏でもなんでもないのに」
はるきの表情が動いた。その一瞬だけ、冷静さが崩れる。
「…なんでお前が。なんでその“最初”が、海なんだよ」
「はるき、お前ってさ、言わなかったろ。“好き”って。りいなに言ってたか?あいつの目見てさ、ちゃんと伝えた?」
「…それは」
「だったら、先に動いた奴が勝つんだよ。俺はふざけキャラだけどさ―― 気持ちだけはふざけてない。俺の“好き”は、ちゃんと届けた」
はるきは静かに目を伏せた。 その背中に、祭りの灯りがほんのり落ちる。
りいなと海のキス──それは人目に触れたほんの数秒で、恋の全てを揺るがせた。 校内にはまだ、りいなとはるきが付き合ってることは知られていない。だからこそ、噂は好き勝手に走り出した。
「かいとキス…?りいな、やっぱ“狙ってる”系?」 「はるきと話してるとこ、見たことあるけど、ただの友達じゃないの!?」
海派の女子たちだけでなく、はるきを推してる女子もざわつき始める。 りいなは「はるきの彼女」でありながら、それを言えない。まだ二人で“秘密の恋”として育ててきたから。
はるき目線
放課後。誰もいない教室で、はるきが机に指をトントンと鳴らしている。
「俺さ、彼氏なんだよな。りいなの」
その言葉を、ぽつりと口にする。誰にも言っていない、自分だけの“確信”。それでも…
「みんな、知らない。りいなが俺のこと、どう思ってるかも。 キスなんて…俺が先にしたかったのに。堂々と、ちゃんと、“俺の彼女”って伝えるようなやつを」
声は冷静。でも、唇は震えていた。
「海に取られた気がした。しかも、堂々とあいつが見せつけた気すらする。俺だけが、隠れて我慢してたみたいでさ」
そして、彼は心の中で叫ぶ。
“俺は、恋人だからこそ傷ついてるんだ。 それが、誰にも理解されないこの感じ…悔しいよ。”
海目線
「あの時、祭りの夜の空気、今も頭に残ってる。 提灯の光にりこの笑顔が反射してて、なんか…あれ、無敵だった。
俺、前から知ってた。りいながはるきの彼女だってこと。 でも、好きになっちゃうって、そういうこと関係なくない?
あの瞬間、俺の中に“これ以上、好きになっちゃダメだ”って感情があったけど、 それよりも、“今なら届くかもしれない”っていう気持ちが勝ったんだよ。
触れてしまった唇は、りいなのものだけど、 俺の中では、“俺を見てくれた”って証みたいでさ。
正直、罪悪感?ねえよ。 あれは…めちゃくちゃ嬉しかった。 俺が見ていたりこが、俺のほうも見てくれてたって感じられたから。」
海とはるき
夕焼けに照らされた屋上。風が熱を引きずっていて、蝉の声が遠くで響いていた。
海は柵にもたれて、ぼんやり空を見ていた。その背後から、足音が響く。
「…海」
はるきの声は、感情を押し殺していた。
「キス、したんだってな。りいなと」
海はゆっくり振り向く。目を伏せたまま、言う。
「うん。したよ。あの時、俺は…どうしても止まれなかった」
「わかってるよ。りいなが俺の彼女って、知ってたはずだよな」
「知ってた。でも、止められなかったんだよ。 お前に悪いとか、そんな気持ちより…俺に向けられた笑顔のほうが、ずっと強かった」
はるきの拳が、制服の袖の中でぐっと握られる。 海は一歩近づく。目はまっすぐ、でもどこか苦しげで。
「俺さ、嬉しかったんだ。あんなふうにキスできたこと。りいなが、俺の存在をちゃんと見てくれてたって思えたから」
「……お前さ、わかってないだろ」
はるきの声は震えていた。怒りなのか、哀しみなのか。
「俺は、ずっと“言えなかった彼氏”なんだよ。 好きって気持ちも、彼女だってことも――誰にも言えなくて、でも、全部守ろうとしてた」
「言えなかったのは、りいなのせいじゃない。お前が守りすぎたんだ」
沈黙。そして、はるきが言う。
「俺のほうがずっと、彼女を大事にしてたんだ。 お前みたいに、“一瞬の感情”で動いたりしない。 俺は…ずっと、りいなの未来まで考えてた」
海は笑わない。ただ、静かにこう言う。
「それでも――りいなは俺のキスを拒まなかった。 それが事実なら、俺は…そこに意味を信じる」
屋上に風が吹く。二人の視線がぶつかる。
これが、誰かを好きになるってこと。 綺麗なだけじゃない。痛いくらいに、ぶつかることもある。
りいな目線
夕暮れの校舎。屋上の扉が静かに開く。
「はるき……海……」
りいなの声に、二人は反射的に振り向いた。沈黙の空気が、たちまち形を変える。
はるきは一歩下がり、海は目を伏せる。 りいなは戸惑いながら、ふたりの間に立つ。
「聞いたよ…全部じゃないけど、声が響いてて…」
彼女の指が無意識に、自分の唇へ伸びていた。昨日のキスの記憶が、指先にまだ残っているようで。
「ごめん。海のキス…止めなかった。断れなかった。 でも、はるきのこと…好きじゃなくなったわけじゃない」
その言葉に、はるきの視線が揺れる。
「俺、りいなの全部を信じてた。守るつもりだった。 でも…守られてたの、俺じゃなかったのかもしれない」
「違うよ。あの時だけだった。…ただ、寂しかったの。はるきと話せなくて。会話が減ってて」
りいなの声は、小さく震えていた。
海が口を開く。
「それでも、りいなは俺を見てくれた。あの瞬間だけでも、俺に向けて笑ってくれた。 それが、俺にとっては全部だった」
屋上の風が、三人の間をすり抜ける。 誰が悪いわけでもない。でも、誰もが少し傷ついた。
はるきが去った後、屋上には風と蝉の声だけが残された。 鉄の扉の音が閉じた瞬間、りいなはほんの少し、身体の力を抜いた。 彼の背中を追いかけたい気持ちと、今ここにいるかいの気配に、心が引き裂かれるみたいだった。
海はまだ視線を逸らしたまま、柵に指をかけていた。
「……ごめん、って言葉は、やっぱ言わない。 りいなが俺のキスを受け入れてくれたこと、後悔してないから」
りいなは驚かなかった。ただ、目を伏せて小さく笑った。
「うん。その言葉、海らしいなって思う」
「俺さ、はるきのことも尊敬してるよ。 自分の気持ち、ちゃんと抱えて、全部守ろうとしてた。 でも…それでも、俺はりいなを好きになったし、好きになった以上、簡単には諦めない」
夕陽が、海の瞳の奥を赤く染めていた。 彼の声は淡々としてるのに、妙に熱がある。
りいなはその熱を感じながら、そっと訊いた。
「キス、嬉しかったの?」
海は、すぐに答えなかった。 少し考えてから、ゆっくり言った。
「……うん。めちゃくちゃ。 りいなが笑ってくれた瞬間、俺のなかで全部が肯定された気がした。 その笑顔、はるきにも見せてあげてよ。 でも…俺にも、まだ見せてほしいって思っちゃった」
その言葉は、りいなの胸の奥にしっかりと届いて、そこで静かに熱を灯した。
「わたし、たぶん迷ってるの。 はるきの隣にいたい気持ちも、海に手を伸ばしたい瞬間も、どっちも嘘じゃない」
海は頷く。
「なら、迷ったままでいいよ。 俺はその迷いも含めて、好きになる。 りいな自身がどんなふうでも、全部俺が見たい」
沈黙。 だけど、重くはなかった。少し切なくて、でもやさしい。 りいなが口に出せなかった言葉たちが、夕空の中に溶けていった。
朝の教室。りいなは自分の席に座りながら、机に視線を落としていた。
視線を感じる。言葉にしなくても、周りの空気は冷たい。 ざわざわとした声の断片が、耳元を掠める。
「やばくない?海とキスしたとか…」 「男を振り回してるってことでしょ?」 「はるき、知らないの?さすがに可哀想…」
“海にキスされた子”として扱われる視線。 その背後には、「りいなが誰かを傷つけた」という非難が、静かに漂っていた。
りいなは、じっとその「罰のような朝」に耐えていた。
頬を伝う感情を、押し込めて。 恋をした自分を、責めるように。
そしてそのときだった。
ガラッ、と教室の扉が開いた。 誰かが入ってくる音。でも、その足音は速くない。
はるきだった。
彼はゆっくりとりいなの後ろに立ち、何も言わずに、両腕をりいなの肩にそっと回す。 教室中が、静まり返った。
「言わせてくれよ。…りいなは俺の彼女だ」
その声は低く、でも揺らがなかった。 りいなは驚いて振り返る。はるきの瞳は迷っていない。
「誰に何を言われてもいい。俺が守る。 かいとのキスがあっても、俺は――りいなを、好きでいることをやめない」
女子たちの視線が、凍りついたように彼らを見つめる。
はるきはりいなの耳元にそっと囁く。
「恋をしたからって、罰を受ける必要なんかないよ。 …俺が、それを全部、上書きしてやる」
りいなの瞳に、光が戻っていく。 苦しみに蓋をしていた心に、ようやく風が通ったような気がした。
はるきの腕の中にいる自分が、誰かの所有物じゃなくて、ちゃんと「選ばれた存在」なんだって、初めて実感できた。
昼休み。教室中がザワザワしていた。 誰かがスマホを見て、声をあげる。
「ねぇ見て!“はるきがりいなにバックハグして、彼女って公言した”って!写真もあるんだけど」
「えっ本物?てか、りいなってはるきと付き合ってたの!? じゃあなんで…かいと…キス……?」
「うわ、やば。かいどう思ってるんだろ」
誰かが“#はるきの彼女”ってハッシュタグ付きの投稿を拡散して、あっという間にトレンド入り。 画像には、はるきがりいなを抱きしめている一瞬が、鮮明に切り取られていた。
海目線
かいはひとり、部室の窓際でスマホを見ていた。 その画面には、たしかにりいなの髪。はるきの腕。そして、愛を告げるようなバックハグ。
指が画面に触れたまま、動かない。
「……そうなんだ。付き合ってたんだ。ずっと前から?」
スクロールするほどに、胸が苦しくなった。 “キスされたのに彼氏は別”――それが拡散されてる。 だけど、かいの目には、キスじゃなくて“りいなが安心して抱かれてるその姿”が焼きついていた。
友達が話しかける。
「かい、大丈夫?あれ…見た?」
かいは苦笑して、スマホをポケットにしまう。
「見たよ。でも、……まだ終わってない」
「え?」
かいの目は静かだけど、奥に火を灯していた。
「はるきがりいなの彼氏でも、俺が好きなことは変わらない。 …俺は、あのキスを嘘にするつもりはない。 りいなに触れたこと、ちゃんと意味があったって信じてるから」
彼は静かに立ち上がる。
「あのハグの中に守られてたりいなが、どこかで俺を思い出してくれるなら―― それだけで、俺はまだ好きでいていいよな」
はるき目線
午後の教室。スマホを開くと通知が止まらない。 “バックハグの彼氏って…はるき?” “あれってリアルに公認カップルなの?” “でもさ、りいなってかいとも関係あるよね…?”
コメント、リツイート、ストーリー。 どの画面にも「はるき」「りいな」「かい」の名前が並ぶ。 はるきは何も言えず、スマホを伏せた。
指先が震えている。 嬉しいはずだった。 「恋人だ」と宣言した瞬間を、見てもらえたはずなのに――なぜこんなに苦しいんだろう。
はるきは校舎裏に出る。風が吹いて、制服の襟が揺れる。
「なんで…“俺が彼氏です”って言っただけなのに、 みんなは“かいとキスした彼女”って言うんだよ…」
彼は言葉を呟くように吐き出した。 愛を証明したはずの行動が、「もう遅かった」と扱われている気がする。
「…俺の気持ち、ずっとあったのに。 本気で、誰よりも大事にしてきたのに。 一枚の写真で、全部騒がれて、全部かいの影にされるのか?」
はるきの心には、嫉妬と焦り、そして“置いていかれる不安”が渦巻いていた。
遠く、昇降口にりいなの姿。 誰かに話しかけられ、笑おうとしている。 でも、その笑顔の奥に、「かいとのキスを責める視線」に怯える影が見えた。
はるきは拳を握る。
「……あんな騒ぎに、りいなを晒したのは俺だ。 守るつもりが、晒しただけだった。 …でも、逃げない。俺が“彼氏”なら、彼氏のまま踏み込む」
彼はスマホを開く。 タイムラインの炎に指を滑らせながら、投稿画面を開いた。
《はるき:俺は本気でりいなが好きです。全部、俺の言葉で伝えていく。》
その文字には、嫉妬も痛みも、愛も全部こもっていた。 愛される資格を取り戻すために。 そして――誰よりも深く、りいなを想う自分を信じるために。
海目線
「画面に書いてある“好き”は、きれいすぎて、俺には遠かった。 はるきは、ちゃんとした人だから。宣言するってことができる。 でも、俺は──そういうの、うまくできないんだよな。
触れたいって思った。もう一度。 りいなの髪、あの細い手、唇。 “好き”って言葉より先に、俺の指が先に動いた。
SNSじゃ、全部嘘みたいに見える。 はるきが彼氏って投稿されてる横で、 俺とのキスは“間違い”とか“ハプニング”って書かれてて。 ……違うだろ。俺は、本気だった。
あのキスには、俺の全部が詰まってた。 だから俺は、今さら『ごめん』とは言わない。 俺の好きは、目の前にいたりいなにだけ届けばいい。
でも、それでも思うんだ。 もう一度、りいなに触れたいって。 “好きだよ”なんて文字じゃなくて、 肩でも、袖でも、指先でも…俺の温度で伝えられるなら、それがいい。」
「はるきとりいなが並んで歩いてる。笑ってる。 手は、繋いでないけど、肩の距離が近い。 誰かに見せるための“恋人らしさ”じゃなくて、 ふたりの間にだけ通じる空気みたいな、そういうやつ。
…俺、たぶん、誰かと並んであんな風に笑えない。 りいなといた時も、胸が高鳴りすぎて、息が浅かった。 キスした時も、目が回ったし。 でも、触れてしまった手の温度は、今も消えてない。
周りが『はるきが彼氏でしょ』って言うたびに、 俺の中で“もう引いたほうがいい”って声が響く。 でも、引けないんだよ。 心が、言うこと聞いてくれない。
俺はまだ、りいなが笑う理由になりたい。 “安心”じゃなくて、“衝動”として残ってたい。 はるきが守ってくれるなら、 俺は壊したくないけど、忘れられたくもない。
…これ、ずっと続くのかな。 苦しいけど、 それでも、りいなを諦めたくない。」
りいな目線
放課後、校舎の裏庭。 夕陽の光が傾いていて、りいなとはるきは並んでベンチに腰掛けていた。
「今日もお疲れ」と、はるきがそっとジュースを差し出す。 その優しさに、りいなは笑顔を返すけれど、どこか落ち着かない。
ふと、髪が揺れた。風ではない、気配のようなもの。 その瞬間、りいなは振り返った。
視線の先。 校舎の陰から、かいが立っていた。
彼は何も言わない。ただ、じっとりいなを見ていた。 何の感情も貼りつけていないのに――その目だけが、ずっと“伝えようとしていた”。
りいなの胸が、少しだけつまる。
(視線……優しくない。怒ってもない。でも、ずっと、わたしのことを見てる。 あの目、どこかで見た……昨日、キスの直前。あのときと同じ、熱を含んだまなざし。)
はるきが気づいて声をかける。
「どうした?…疲れてる?」
りいなは笑って首を振る。けれど、心の中でこう呟く。
「ねぇ、かい。そんな目で見られたら、思い出すじゃん。 はるきに守られてるのに、あなたの熱がまだ、わたしの中にあるってこと」
その瞬間、かいは小さくうなずいたように見えた。 りいなが気づいたことを、確信したように。
それでも、かいは近づいてこない。 ただ、距離だけが“好き”の深さを静かに示していた。
海目線
…目が合ったんだよな。りいなと。 こっちを見た。その一瞬、俺を見た気がした。
あの目…忘れてない。祭りの夜の灯りの下で、キスする前に見てくれたあのまなざし。 似てたんだよ。今日の放課後、ベンチ越しにふり返ったその目に。
はるきの隣にいて、笑ってた。守られてるって感じた。 でも、俺が立ってた場所を、ちゃんと見てくれた。 見ないふりしなかった。
もしかして、俺の気持ちに気づいた?って、 馬鹿だな。そんなことで期待するなんて。 …でも、してる。期待してる。
“また見てほしい”とか、 “忘れないでほしい”とか、そんな欲張りばっかり湧いてくる。
わかってるんだよ。今ははるきの隣がりいなの“居場所”だって。 でもさ、それでも―― 俺はまだ、りいなの中に少しでも残れてるかもしれないって、思っちゃってるんだ。
気づいてくれて、ありがとう。 気づかないふりしてたら、きっと俺、もう何も言えなくなってた。
木曜の午後。 教室を出て、昇降口までの短い距離のなかで、かいは何度もポケットの中のスマホを触っては、ため息をこぼしていた。
靴箱の前。りいながまだ靴を履き替えずに、後ろを振り返った。
「かい、どうしたの?帰らないの?」
「あ、…いや、ちょっとだけ、待ってた」
彼の声は、校舎の影に落ちる日差しみたいに、柔らかかったけど不安定だった。
「待ってたって……だれを?」
「……りいなを」
その答えに、空気がわずかに揺れる。
かいは言葉を選ぶように、視線を靴の先に落とした。 そのあと、ふっと顔を上げて言った。
「週末さ、海に行かない?ひと駅向こうのほうの、ちょっと人少ないとこ」 「夕方がきれいなんだよ、そこ。──それに、りいなと見れたら、もっときれいになる気がした」
沈黙。 りいなは、思わずバッグの持ち手をぎゅっと握った。
(かいが海。…なんで今なの。はるきのこと、知ってるはずなのに。 “もっときれいになる”って、その言葉だけで…心が揺れそうになる)
「…どういう意味?」
「意味は……ごまかせないな」 かいは、顔を真っ赤にして照れながらも、目だけはまっすぐだった。
「俺ね、りいなの隣にいる時間が、他の誰より好きなんだ。 いつも教室で、話してくれるだけでも嬉しいけど… 海なら、誰も俺たちの声を遮らないじゃん。だから、もっと話せると思って」
りいなは、少し首をかしげて笑った。 気づかないふりをしていたかいの気持ちが、ようやく形になった気がした。
「ねえ、かい。海ってどんな音がするの?」
「……りいなが笑ってくれる時の音に似てる。静かで、でもずっと響くんだ」
その瞬間、りいなの瞳の奥がすこしだけ潤んだ。 靴を履き替えながら、ふっと返す。
「うん。土曜、空いてるよ。行こう、海。かいと一緒に」
かいは、言葉が出なくて、ただ静かにうなずいた。 夕焼けのなかに、ふたりの影だけが並んでいた。
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