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朝の一服をするため、喫煙所に向かいかけた俺の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。

「先輩、おはようございます!」

その声がきっかけで、胸の中に不快感が支配する。眉根を寄せながら嫌々振り返ると、俺がスパーンと思いっきり平手打ちしたせいで、若干頬を腫らした顔見知りの新人が、背後に立っていた。

「あ、おはよ……」

新人は平手打ちされたことがなかったように、イケメンを輝かせるような笑みを浮かべて、持っていたスマホの画面を俺にいきなり見せつける。

「くっ!」

「苦労知らずの七光り新人の僕の頬が腫れあがっているのを、部署にいる職員の方たちが放っておかなくて、すっごく大変でした」

告げられた内容と、明るすぎる新人の笑顔がまったく噛み合っていないせいで、俺は困惑するしかなく、さらに顔を引きつらせた。

「隣の部署の島田に叩かれたって、ハッキリ言えばよかっただろ……」

理由はどうあれ、華やかなバックグラウンド付きの、高身長なメガネのイケメンを叩くなんて、いったい誰の仕業だと、新人のいる部署が大騒ぎになったのが目に浮かぶ。

(もしかして、仕返しまでセットだったりしたら、俺はこの会社で生きてはいけないかもな)

そんな物騒なことを考えていると、新人は力なく首を横に振った。

「そんなの嫌ですよぉ。先輩が注目の的になってしまったら、どこぞの物好きな女子社員が迫る可能性があるじゃないですか」

「俺みたいな、見てくれの悪い男に迫るヤツなんていない」

「だってこの僕を、先輩の大きな手が叩いたんですよ。なんて大胆なことをする人なんだろうなって、興味を持たれるに決まってます」

「やっ、あれは反射的に手が出てしまって、だな。されたことが衝撃的過ぎて、驚きついでというか……」

コイツにキスされただけ――唇と唇の僅かな接触くらいなら、胸を強く押して離れたらよかったのに、スマッシュする勢いで手が出てしまった。まんま先輩からのパワハラである。

「だけど、おまえも悪いんだからな。俺が男だからそこまで騒がないが、女子社員に同じことをしてみろ。セクハラで訴えられるぞ」

「安心してください。僕の好みは男性なんです。女性とは、そういうことをしません」

そしてふたたび、例のスマホ画面を見せつける。画面には、俺に叩かれた頬を指差しながら、眩しすぎる笑みを浮かべる新人の自撮りが映し出されていた。

「おまえ、さっきからなにをしてるんだ?」

「なにって、先輩に叩かれた立派な証拠を、きちんと確認してほしくて」

「確認しなくたって、嫌でもわかってる……」

ため息まじりに告げた。さてここからどうやって、コイツから解放されようか、頭を悩ませていると。

「先輩に慰謝料請求します!」

「慰謝料、だと!?」

「はい。先輩に叩かれた頬の跡が消えるまで、僕と付き合ってください!」

「なんだって?」

「言ったでしょ。僕は半年間、先輩にたいする恋心を募らせていたって」

(そういやコイツ、俺のことを好きとかほざいていたな――)

告白されたあとに、卑猥なワードをこれでもかと連呼された衝撃で、その部分をすっかり失念していたことに、自分の記憶力のなさを痛感する。

「俺も言ったよな、付き合えないって。これ以上、変な想いを募らせるな。そして一刻も早く諦めてくれ!」

負けじときっぱり言い切り、新人から注がれる視線を振り切るように歩き出した。

「お父さんが、先輩に用があるって」

廊下に響く新人の声が、俺の鼓膜にグサッと突き刺さった。

「お父さん⁉」

慌てて振り返り、新人の傍に焦って駆け寄る。

「おおっお父さんって、あの花園常務のことか?」

社内でおこなわれる新年会と忘年会の挨拶や、社運を賭けたプロジェクト関連の大会議じゃないと、滅多にお目にかかれない相手だった。

「はい。きっと呼び出されると思いますので、覚悟してください」

「おまえを殴ったこと、について、を……親として厳重注意する、みたいな」

声が震えて、まともなことが喋れない。

「安心してください。僕が先輩を怒らせることをして、叩かれたと言いました。ですので、きっと叱ることをしません」

「じゃあ、なんで呼び出されるんだ? 息子に暴力を振るった俺を、この会社から追放するためかもしれないだろ」

「なんでしょうね。理由はわかりませんが、お父さんは僕の性癖のことを知らないので、黙っていただけると助かります」

爽やかに笑って俺の肩を数回叩き、自分の部署に戻って行った新人を、恐怖に体を震わせて見送るしかできなかった。

恋の撃鉄(ハンマー) 挨拶からはじまる恋♡

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