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「撃てないわよ、マシュー!」
「ガアアァッ!!」
「姉ちゃんッ!!」
私めがけて舌が飛び出したのと同時に、小さな体が私を突き飛ばした。壁にぶつかるようにして倒れ込み、舌の刃は代わりにフレディの肩を貫く。勢いと衝撃で床を一回転した。体勢を立て直す間もなく、マシューが彼に覆い被さる。
「フレディ!!」
傷を負った肩に爪が食い込み、フレディの顔が苦痛に歪んだ。その顔めがけて、舌が伸びる。彼は眼前でその舌を掴んだ。舌はめちゃくちゃにうねる。
「……撃ってッ!」
「!」
フレディの声に、握りしめたままの銃の存在を思い出した。その時狂った大きな舌がしなって、捕らえていた彼の手が外れる。その一瞬をついて、舌は彼の口の中へ飛び込んだ。
「!!」
差し込まれた舌が、どくんどくんと脈を打ち始める。フレディの口からごぼごぼと血が溢れた。吸われているのではなく、血が送り込まれている?耳鳴りがした。脳を蝕む異音。それは本能が鳴らす警告音。
「マシュー、やめて……」
銃を握り、震える足で立ち上がる。
ーー覚えようよ、泳ぎ。オレ、教えてやるから!
「お願い……」
両手で銃を構えた。
ーー今度の夏にみんなでキャンプ行こうって計画してるんだ。
銃口の向こう、マシューの姿が涙でぼやける。
ーーだから早くよくなれよな。
「マシュー!!」
私の手の中で、銃が叫んだ。予想した以上の発泡の衝撃に、尻餅をつく。同時に彼が絶叫。その瞬間、彼がマシューの舌を噛みちぎった。そして腰から尖った木の杭を引き抜くと、彼の胸に突き立てる。断末魔の悲鳴って、こういうのを言うだろう。絶叫と大量の血飛沫と共に、マシューは倒れた。全てのことがスローモーションに見える。
握りしめたままの銃。手がこわばってトリガーから指が外せない。激しい耳鳴りがして、現実じゃないみたいで。
その時フレディが勢いよく起き上がり、私はビクッと体を震わせた。彼はその場でべっと血を吐き出すと、座り込む自分に目もくれず水場に駆け寄る。頭から水を被って激しく嘔吐しながら、何度も口の中を洗い流した。何度も、何度も。
「フレ……ディ……」
その光景に、震えながら立ち上がる。なんだか怖かった。まだまだ何か良くないことが起きそうな気がして、たまらなく恐ろしい。これ以上、何が起こるの?
震えながら水場に近づく。こわばった指が、銃のトリガーをカチカチ鳴らす。
執拗な水浴びの後、どさっとフレディはその場に座り込んだ。荒い息、肩が大きく揺れている。
「……ね……」
私の声にゆっくりと顔を上げた。思わず少し身を引く。
「…………」
彼は疲れた表情で、でも笑顔を見せてくれた。
「ありがと、助かった」
「ありがとうなんて……助けてくれたのはフレディじゃない!」
なんだか無性に泣きたくなる。
「だい……だいじょうぶなの……血がいっぱい……」
「ほとんどは俺の血じゃないから。俺たちは免疫があるし、ちょっとなら平気。洗い流したし……多分大丈夫……」
「ごめんね、痛い思いさせてごめん!」
フレディを抱きしめた。
「わあ、濡れるよ!」
「もういや……これ以上……もういやだ……」
「…………」
彼の体は確かにびしょびしょで冷たいが、伝わる鼓動は私を慰めてくれる。フレディは、しばらくそのままにしてくれた。
「……姉ちゃんの友達だったんだ」
「…………」
何も答えず、ただマシューの遺体を見下ろす。リズの時と違って、なぜか涙が出てこなかった。ただひどく、虚な感じがする。私が殺した……。
「これ」
彼は腰のポーチから小さなカードを取り出すと、私に差し出す。前にフレディがお守りだって言ってくれたカードだ。そのカードには魔法陣らしきものと不思議な生物、そしてバラが描かれていた。
「護符だよ。冥使ーー吸血鬼はバラを嫌うんだ。二度と起き上がらないように……」
「…………」
護符を受け取ると、しゃがんでマシューの胸の上に置く。……一体何を思えばいい?それでもせめて。せめてこのバラのカードがあなたの慰みになってくれますように……。
その時、彼のズボンのポケットから何かがはみ出しているのに気づいた。
「?」
それを引っ張り出してみた。
「これ……」
血だらけでぐちゃぐちゃになってしまったが、桃色の綺麗な包装紙で包まれてリボンがかけられている。震える手で包みを開いた。中から花柄のハンカチとカードが出てくる。カードにはちょっと下手くそな、味のある文字が書かれていた。
ーーハッピーバースデイ・レナ、と。
「!!」
ーーあのさ、レナ、ほんとはーー忘れ物があって戻ったのよーー。
これを渡そうとしてくれた?マシュー。
照れ屋で調子が良くて明るくてーーリズとふざけ合っているのを見るのが大好きだった。私の二つの太陽。残された一つの光も落ちて、その光を失う。
いらなかったよ。私プレゼントなんて。ただ二人が今のまま友達でいてくれれば。それ以上、何もいらなかったのに。
これほど声をあげて泣きたいと思ったことはない。それなのになぜか、声が出なかった。口を開けるのに、声だけ出ない。声をあげられないまま、ハンカチを握りしめ泣き崩れた。部屋の中にはただ、水の流れる音だけが響く……。