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『初めての、勇気』
次の日の朝、姫那は駅のホームで翔を見かけた。
本を読んでいる横顔が、相変わらず落ち着いていて、
それを見ていると、不思議と心が静かになった。
でも今日は、少しだけ自分から話しかけてみたかった。
「……おはよう」
姫那の声は小さかったけど、ちゃんと翔に届いた。
翔は本から顔を上げて、少し目を細めて微笑んだ。
「おはよう、姫那」
たったそれだけのやりとりなのに、姫那の胸はふわっと温かくなる。
電車の中、姫那はずっと迷っていた。
“昨日のお礼”をちゃんと伝えたい。
でも、言葉にしようとすると、喉の奥がつかえる。
それでも。
今日は――少しだけ、勇気を出したいと思った。
「……昨日、ありがとうね。隣にいてくれて、助かった。」
翔は少し驚いたような顔をしたあと、ふっと息を吐いた。
「俺、何もしてないよ」
「ううん。いてくれるだけで、十分だったの」
その言葉に翔は、少しだけ視線を落とした。
「……そっか。よかった」
姫那は、思った。
――ああ、私、ちゃんと変わってきてるんだ。
言いたいことを、ちゃんと伝えられるようになってきた。
まだ少し怖いけど、それでも。
翔と出会ってから、自分の中の何かが、少しずつほどけていく。
その日の昼休み。
いつもなら机で静かに本を読むだけの時間。
だけど今日は、姫那の心の中に小さな火が灯っていた。
「少しでいいから、誰かと話してみたい」
姫那が本を閉じると、前の席の女の子がこっちを見てにこっと笑った。
「姫那ちゃん、本好きなんだね?」
姫那は一瞬、びっくりして固まる。
でも、その子の笑顔はとても柔らかくて、どこか安心できた。
「う、うん……小説とか、よく読むよ」
「私も! 最近この本読んでて──」
そう言って見せてくれた文庫本は、姫那が前に図書館で借りたことのあるタイトルだった。
「あ、それ、私も読んだことある……!」
自分でも驚くくらい、声が自然に出た。
その瞬間、なにかがふわっとつながったような気がした。
「私、春咲 凛(はるさき りん)。よかったら、お昼一緒に食べない?」
姫那は一瞬ためらったけれど、ゆっくりと頷いた。
「……うん、よろしくね」
それは、本当にささやかな、でも姫那にとっては大きな“はじめて”だった。
放課後、翔に会ったとき、姫那は少しだけ笑って言った。
「今日、友達ができたの」
翔は驚いた顔をしたあと、目を細めて優しく言った。
「そっか。よかったね」
その言葉が、姫那の心にじんわりと染みた。