黒と白のカラーリングにでっぷりとしたフォルム、1.5頭身ほどのぬいぐるみじみた造形はまさしく、然る界隈でKOZAKA-Cと呼ばれているもので。……けれど、あんな馬鹿みたいな大きさのやつは初めて見た。
それは歴戦の猛者であるロウくんも同じらしく、緊張に引き攣った表情で刀の柄を握りしめている。
「……どうすんだ、あんなの。デカい以前に距離が遠すぎて、俺みたいな近接武器じゃ届かねえぞ……!」
「ほ、他のヒーローは? 銃とか、そうじゃなくてももっとリーチの長い武器を使える人はいないの?」
「〜〜〜ッ駄目だ、そもそも今戦闘に参加できるような奴は──……」
今、戦闘ができるヒーロー。
そう聞いて思いついたのは、とてもとても悔しいけれど、たった1人の親友の顔だった。
「──リトくん。彼なら今、この学校にいる」
「は? リト……? っでも、アイツこそ超近接向きだろ。あんなのどうやって……」
「多分、だけど……直接触れることはできなくても、雷なら浴びせられるんじゃないかな。……ほら、この天気だし」
そうして見上げた空はどんよりとした灰色の分厚い雲に覆われきって、今にも雨を降らせそうだった。あんなにも広い青空をまるごと隠してしまうこの積乱雲なら、きっと破壊力抜群の雷を提供してくれることだろう。
──けれど、ロウくんは苦虫を噛み潰したような表情をしたまま空を睨みつけている。まるで彼が相手しなきゃならない敵はKOZAKA-Cだけじゃない、とでも言うみたいに。
「俺とリトは所属も違うし、滅多なことは言えねえけど──あいつのデバイスは機械でも妖術でもない、神獣そのものだ。自然を味方にできるならもちろん強いが、言い方を変えれば『強くなりすぎる』。……ヒーローになったばっかで、碌に適合率の調整もせずに前線張ってるあいつには……多分、相当な無茶をさせることになるだろうな」
「……そ、そう、なんだ……」
適合率の調整。初めて聞く言葉だけど、響きだけでなんとなく意味は理解できる。
ロウくんや組織の人の話を聞く限り、リトくんはおそらく適合率というのがものすごく高くて、それを抑えるための調整が必要なのだろう。
漫画やゲームでもよく見る話だ。その調整とやらが上手くできていないと、獣の本能に呑まれてしまったり、デバイスが暴走してしまったりするやつだ。そして行き着く先は大抵、闇堕ちからの退場というのがお決まりのパターンで。
それは絶対に阻止しなければならない。だって彼は人々のため、せめてその拳に正義を乗せるために戦っているのだ。そんなリトくんが闇堕ちだなんて解釈違いも甚だしい。
僕とロウくんの視線は、ほぼ同時に同じ方向へと流される。今も細胞がまるごと作り替えられるような痛みと戦っているのだろう。星導くんは歯を食いしばって脂汗を流し、苦しそうに悶えている。
先ほど見せた、あの触手の膨張率──あれさえ手懐けられれば、彼はおそらく中距離を保っての戦闘ができるだろう。けれど、現時点では望めそうにない。
ロウくんは星導くんと校舎の方を何度か交互に睨んで、苦々しげに舌打ちをした。
「ッくそ……っ! ……悪い一徹、やっぱ本部に通信かける。俺達だけじゃどうしようもない」
「っそんな……でもそれじゃるべくんが、」
「分かってる!! ……だからそれは、俺が後でどうにかする。今はとりあえず、目の前の──……」
ロウくんが通信機に触れようとしたのとほぼ同時に、この場にそぐわない軽快な着信音が鳴り響いた。隠密行動をする際は携帯をマナーモードにしておくべきだなんて誰も教えてくれなかったから仕方ないだろ。
僕は慌ててスマホを取り出し、着信拒否のボタンを押そうとして、やめた。
「……リトくんだ」
「取れ」
有無を言わさずロウくんに指示を出されるが、僕はすぐには行動に移せなかった。
ああ、だって、ものすごく嫌な予感がする。このタイミングでリトくんから電話をかけてくる理由なんて、受話器を取らなくたって分かるじゃないか。
けれどこのまま着信音が鳴り続ければあの『組織』の人達に見つかってしまうだろうし、拒否したらしたで心配性な彼は何かあったのかと直接探しに来てしまうかもしれない。どちらを選んでもきっと、あのお人好しに振り回されるのは変わらない。……なら。
僕は時間にしてみればものの二秒間だけ躊躇って、ひと呼吸置いた後に応答のボタンをスライドさせた。
《──っもしもし!? テツお前、まさかまだ校舎にいたりしねえよな!?》
画面を耳に当てた途端、案の定切羽詰まったリトくんの声が鼓膜をつんざいた。後ろの方では勢いよく床を叩くソールの音も聞こえるので、おそらく廊下を猛ダッシュしているところなのだろう。
彼は成績含め僕と同じくらい模範的な生徒なので、よっぽどのことがなければ廊下を走ったりはしないはずだ。ということはつまり、その『よっぽどのこと』が起きていることに気付いているのだ。
……嫌だなぁ、僕ってばこんな、悪い予感ばっかり当てちゃうんだから。
「ごめん、今諸事情で敷地内に身を隠してるんだけど……校舎の外にはいるよ」
《はぁ……? ……まあいいか。悪いんだけどロウに電話してくんね? 見えてるか分かんねえけど、今非常事態で──》
「横にいる。お前、あれをどうするつもりだ?」
ロウくんがずいっと近づいてきて僕の手首ごとスマホをひったくる。念の為スピーカーモードにしてもらったけど、リトくんの声量なら貫通して来そうだな。
リトくんは状況が読み込めずに一瞬当惑した様子だったが、先述の通り非常事態なので深く考えないことにしたようだった。
《今急に連絡が来て……屋上にやべえのいるんだろ、そいつをるべに任せるって言われてんだよ。確かあいつ『まだ』だったよな?》
「星導に? ……無理だ。こいつは今さっき覚醒したばっかでまだ戦闘ができるような状態じゃない。こいつを抑えるために俺も動けない。だから、組織に新しい人員の要請を頼む」
《マジで何があったんだよ……つうか、テツもそこにいるってことはもうバレちゃってる感じ……?》
「……きみらが僕にどれだけ隠し事してるか分かんないけどね。大体のことは把握してると思うよ」
《……あー……ごめん、後で色々話すわ》
言葉尻にかなり棘を含ませたつもりだったけど、リトくんには全く効かないみたいだ。何だか大人に嗜められた子供みたいで居心地が悪い。
「……で? 結局あいつどうするんだよ。今から誰か呼べんのか?」
焦れたロウくんが口早に問い詰める。
『組織』は星導くんを当てにしているらしいけど、素人目にもこんな状態の彼がまともにやり合えるとは思えない。ロウくんも、そんな星導くんを付きっきりで見ておかないといけないらしいので向かえない。
ならばリトくんから人員を派遣してもらうよう『組織』に掛け合ってもらうしかないのだが、彼にはそれとはまた違う選択肢が見えているみたいだった。
電話越しに聞こえる足音が変わる。リトくんはどうやら、屋上へと続く階段まで辿り着いたようだ。
《呼ばない。俺が1人で何とかする》
「…………は?」
《……組織からもそう言われてんだよ。るべが駄目なら俺が出るしかないって》
「な──……馬鹿言ってんじゃねえよ、あんなの、ひとりでどうにかなるわけねえだろ……!」
《するしかないだろ、どうにか》
「お前……それがどういう意味か分かってんのか……!?」
階段を駆け上がりながら淡々と言うリトくんに、ロウくんはスマホに掴みかかりそうなほど声を荒げる。この天候で雷の力を使う危険性についてはたった今聞いたばかりだし、僕だってどうにかして彼を引き止めたい。
けれどすっかり負け癖のついてしまった頭はこんな時に後ろ髪を引けるような説得力のある文句なんか少しも思いついてくれなくて、何も言えずに唇を噛む。
《分かってる。だから救護班も呼んであるし……いざとなったら駆けつけられるように、ロウにも出動要請が出てる》
「なら、今すぐにでも俺が出れば──」
《さっきお前が言ったんだろ、るべを抑えとくために動けないって》
「それはそう、だけど……!」
ギリ、と歯軋りをしながら、ロウくんは校舎の屋上を睨みつけた。気がつけばKOZAKA-Cは今すぐにでも屋上へ足をつけてしまいそうなほど降りてきていた。
そこで硬質な音が止む。リトくんは早くも屋上まで着いてしまったらしい。
わざわざ職員室から借りて来たんだろう、ご丁寧に鍵を開ける音の後、古びたドアノブを回す耳障りな金属音が響いた。
《──あ……な、んか、言ってる……?》
「え……?」
言ってる、とは、あの巨大KOZAKA-Cが言葉を発しているということだろうか。そんな個体は存在するのかとロウくんにアイコンタクトで聞いてみるけど、彼は首を横に振るだけだ。
僕とロウくんは周囲を気にしつつ表へ出ると、校舎の方に耳をすませる。ロウくんは僕より先にその音を聞き取ってしまったようで、すぐにグッと顔を顰めた。
──……い、……と……たい。……。
周波数が合わないのか、それらの音は断片的にしか聞き取れない。声を聞き取った途端に黙りこくってしまったリトくんの姿はフェンス越しでもこんなに鮮明に見えるというのに、僕の耳はどうもKOZAKA-Cと相性が良くないらしい。
必死に神経を集中させていると、痺れを切らしたロウくんが舌打ちをして物陰へと戻って行ってしまった。去り際に「俺もそうだって言いたいのかよ、」と吐き捨てながら。
──離れたくない。一緒にいたい。
──大人になりたくない。子供のままでいたい。
──このままでいたい。ずっと。
────永遠に。
「……………………、」
突然聞き取れてしまったそれらの言葉に、僕は呆然と立ち尽くす。それは音として鼓膜に響くというよりは、まるで脳内に直接話しかけられているみたいな、不思議な感覚だった。
女性にも男性にも子供にも大人にもおねーさんにも聞こえる曖昧な声で発されるそれは、血の滲むような誰かの、心からの叫びだった。
あれの中にはきっと、僕の声も混じっているのだろう。そんな確信すらあった。
だってあれは、未来を拒絶する心──『絶望』そのものだ。
「……おい、あんま耳貸すなよ。あんなのただのまやかしだ。妖術以下の、小手先の命乞いみたいなもんだ」
「で、でも……」
「…………──リト、聞こえるか」
ロウくんの呼びかける声でようやく、通話が繋がったままだったことを思い出す。見上げてみてもリトくんは何も言わず、ただじっとKOZAKA-Cと見つめ合っているだけだった。
「────リト!!」
ロウくんはスピーカーから顔を離し、追手に聞かれることも憚らずドスを効かせた声で叫ぶ。
屋上まで届いたかどうかは分からないけど、リトくんは怯えたようにKOZAKA-Cと目を合わせたまま、ぽつりと呟いた。
《…………俺だって、》
「……リトくん?」
《俺だって、そうだよ。……こいつか、こいつがどっかから集めた声なのかは分かんねえけど、……──俺、だって、》
変わりたくなかった。
……か細い声はそこで止んでしまい、後にはもう、未来への怨嗟が響き渡るばかりだ。
「リト。さっきも言ったけど耳は貸すな。隣国の、人の断末魔を学習して真似る妖の話を聞いただろ。こいつもあれと同じだ。だから──」
《──もしこれが、本当に誰かの声だったとしてもか?》
「…………っ、」
ロウくんは悔しげに顔を歪めると、スマホをこちらに放り投げて星導くんの隣へ腰を下ろした。目を逸らしてはいても、彼にも思うところがあるらしい。
もう一度耳をすませてみる。相変わらず老若男女どれの声も聞こえてくるけれど、やっぱりその中には僕の知っている声も混じっているような気がする。友人やクラスメイト、先輩や後輩……それから、リトくんやロウくん、もちろん僕自身の声も。
こんな時、どうすれば良いんだろう。
リトくんを引き止めたいのに、そうすれば彼の一度決めた道を踏み躙ることになってしまう。
彼の覚悟を、僕の心の迷いを、否定することになってしまう。
ああ──あぁ、苦しいな。でもリトくんは、きっともっと苦しいんだろう。
言葉は何も思いついていないけれど、とにかく何か一言でも彼を引き止める言い訳が欲しくて。震えた声で呼びかけようとしたのを、当の本人に遮られた。
《────でも……でも、俺がやらなくちゃいけないんだよな。このままでいたいとか、大人になりたくないとか……俺だけじゃない、たくさんの人達が思ってたとしても──前に進むためには多分、それを断ち切らなくちゃいけないんだよ》
「っ違う! 駄目だリトくん、行っちゃ駄目だ!」
《何も違わねえよ。このために俺はヒーローになったんだ、このために……》
今にも泣きそうな声で自分に言い聞かせるように呟きながら、リトくんはよたよたとKOZAKA-Cに近づいていく。ぎゅっと掴んだ胸元にはきっとあの新しい相棒がいて、同じく泣きそうな顔をしていることだろう。
じっとしていられなくて咄嗟に駆け出すけれど、きっともう、何もかもが遅い。
《しょうがないんだよ。みんなを守るためには、誰かが──俺が、やらなくちゃ》
バチっ、とプラズマの弾ける音がしてスマホの画面にノイズが走る。それとほとんど同時に上空で稲妻が光り、東の空を覆い尽くすほどの強烈な光の束が、屋上の避雷針へと吸い込まれていく。
《────俺が、ヒーローにならなくちゃ!!》
──刹那、その一瞬だけ空は暗転した舞台のように闇に包まれ、リトくんの纏う雷光だけが鮮烈に輝いた。
§ § §
凄まじい閃光が走り、轟音と共に巨大なKOZAKA-Cが上空へと打ち上げられる。
下手をすれば失明してもおかしくないような眩さなのに、僕はどうしても目を離すことができなくて、だんだんと力が抜けていく足を引きずりながら事の顛末を見届けることしかできない。
打ち上げられたKOZAKA-Cは花火みたいにカッと光ったかと思えば、次にぶわりと黒い煙を上げ出した。燃えているのかとも思ったけれどどうやらそうではないらしく、まるで蛸が墨を吐いた後みたいに空へ向かって広がっていく。
ところどころキラキラと光っているようにも見えるそれは空へ立ち昇りながら、やがて端から透明になって消えていった。
「……、あ」
屋上から何か──今しがた散っていったKOZAKA-Cより二回り以上小さな影が落ちてきて、地面にべしゃりと叩きつけられる。僕の心臓はあっという間に縮み上がり、合わせて呼吸すらままならなくなった。
その正体は見なくても分かる。分かるからこそ、近寄らずにはいられない。
「……………………リトくん、」
リトくんは浅く呼吸をしながら、小さく何かを呻いているようだった。未だ微弱な静電気に纏わり付かれては時折ぴくりと跳ねる指先が痛々しくて、ぼろぼろになった彼に手を伸ばす。
手首に触れれば、パチっ、と弱々しい破裂音がする。辛うじて脈は続いているようで、それに安堵すれば良いのか、こんな姿になっても死ねず戦い続けなければならないのが『ヒーロー』なんだということに絶望すればいいのか、僕には分からなかった。
目の前に広がる煤と煙の残滓、そして血の色に、視界がぐらぐらと歪み始める。
彼の浅く荒い呼吸の合間に聞こえるのは、一体何なんだろう。真っ赤な血溜まりの真ん中で水色に光って見えるのは、彼の瞳なのか、それとも片耳だけ空いたピアスなのか、それすらも分からない。
座ってもいられなくなった僕はとうとう地面に倒れ込んで、こんなタイミングで失神しちゃったらきっとあの『組織』は僕の保護を優先してしまうんだろうな、とぼんやり思った。
薄れゆく意識に、サイレンの音だけがやけに遠くから聞こえる。
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