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一見しただけでは、目の前に広がる光景が《穴の中》であることなどわかるはずもない。
異様な広さを誇る巨大すぎる闇の空間は、それだけで人に不安を抱かせた。
ムザイが凝視で穴の対岸を探すも、それすら叶わぬほど延々と広がる竪穴が続いている。しかもよく見れば、なぜか上空にも抜けるような空間が存在し、陽の光が届くわけもないのに、光が差し込んでいた。
あまりに不可思議な状況にムザイは困惑したが、人知を超えた場所にはありがちかと、すぐに頭を切り替えた。
「にしても……。ただただ巨大な崖というか、穴というか。何が起こればこんな異質な空間が生まれるんだ?」
「こんなのはまだまだ序の口さ。瓦礫深淵は、知られているだけでも最大で直径150キロほど、穴底まではここから226キロもあるんだ。底まで到達した者は僕も含めてそれなりの数はいるけど、残念ながら何もないってのが定説になってるよ。となると、あとは無数に広がる横穴の探索となるのだけれども、何万、何十万という穴が存在するせいで、全てを調べた者はまだいないってわけ。そうでなけりゃ、とっくの昔に攻略されてるよ」
「150に、226ッ?!」と言葉を合わせたイチルとムザイは、そのあまりに大きすぎる規模に苦笑いを浮かべた。難攻不落とは聞いていたものの、まさかそれほど広く、深すぎるとは考えておらず、途方もない規模に笑うしかなかった。
しかし三人が笑っている間にも、遠く平行する闇の先で、細長い虫状の怪しげな影が三人に勘付いた。くるならこいとムザイは身構えたが、余裕綽々腰に手を当てたザンダーは、「ま、よく見てなよ」と忠告した。
小さな細長い虫状でしかなかった影は、近付くにつれ、その全貌を明らかにした。
身の丈50メートルはありそうな、どす黒い鱗で覆われた頭のでかい巨大羽虫は、身体をくねらせながら接近し、おどろおどろしい牙だらけの口を90度に開いて奇声を上げた。
「お、おい、もうすぐそこまで……?!」
「だから黙って見てろって。ヘタレ」
ムザイが苛立つのもつかの間、三人の下方向から急激な熱風が吹き上がった。
「なんだ?」と下を覗いたムザイは、地の奥底から湧き出すように浮かんでくる無数の何かに目を奪われた。
「何だアレは。小さな羽蟻?」
一つひとつのサイズはムザイの小指一本に満たないほどのものだが、密集することによって作り出す熱を伴って飛び出した羽蟻の集団は、恐ろしいスピードで巨大羽虫に襲いかかると、ほんの数秒で身体半分を食い散らかし、分散し散らばっていく。
身体の中央を千切られ分断された羽虫は、さらに数秒で為す術なく食い散らかされ、微かに残った身体のパーツが瓦礫深淵の奥底へと落下していった。
「見てのとおり、ここはさっきのような巨大生物から、押せば潰れてしまうようなものまで、多くのモンスターが生息してる。ムザイが持ってたような書面上じゃ、S~Eランクなんて表記になってたけど、実はそこまで単純じゃないんだ。ちなみに聞くけど、さっきの巨大羽虫のランクはいくつだと思う?」
「あんな蟻にやられるんだ。せいぜいDかEランク程度だろ」
ムザイの回答に対し、心底バカにしたように苦笑するザンダーは、「Bランクだよ」と情報を訂正した。
「Bだと?! そんなバカな、なぜそれほどのモンスターが小さな蟻に。わ、わかったぞ、あの蟻はもっと高ランクなんだろ。見た目で敵を侮るなってことだな?!」
しかしザンダーはさらに鼻で笑ってから、嫌味ったらしく顔の前で指を振った。
「ざ~んねん。ストレートアントのモンスターランクはDだよ」
「D、だと? なぜそのような逆転現象が起こる?!」
「それが瓦礫深淵って場所の面白いとこさ。強くなることで単体進化を遂げたモンスターもいれば、群れることに活路を見出したものもいる。単体でみればDランクにすぎないストレートアントだって、ある条件下ならばBランクの羽虫すら歯が立たない」
「……何が言いたいんだよ」
「察しのいい奴ならこれだけで気付きそうなものだけどな。やっぱ雑魚は雑魚ってこと?」
しかし何かに気付いていたムザイは、不服そうに舌打ちし、視線を逸らした。
「単純なことだよね。ここでは結局、《情報をより多く持っている奴が勝つ》のさ。だからムザイみたいに、無知で、無鉄砲で、世間知らずで、無駄に自分の強さを過信してる奴ほど一番最初に死ぬんだ」
「……確かに情報と差異があったことは認める。しかし注意深く行動すれば問題あるまい」
「本当にそう思う? もしここがそれほど単純な場所なら、きっと誰も苦労しないよ。だってここは瓦礫深淵。人が《最期に流れ着く場所》なんて呼ばれる場所なんだから」
ザンダーの言葉をきっかけに、ムザイの身体の自由が突如奪われた。
思い切り背後から抱きしめられるような感覚に襲われ、ムザイはザンダーの仕業を疑い「やめろ!」と叫んだ。しかしすぐに、三人の立つ横穴の下方向から続いた、細く長い糸のようなものがムザイの身体に巻き付いていることに気付いた。
「な、何だこの糸?! うわぁっ!」
強い力で横穴に引きずり込まれたムザイは、糸のような硬い物質に全身を包まれぐるぐると回転した。すぐに攻撃の対象を探すも、出処は不明で、慌てながらムザイは首を前後左右に振った。
しかしそれが悪かった。絡まった糸は、余計にムザイの身体を締め上げていく。
魔力で糸を切ろうと抗っても、魔力無効化が付与されているのか、上手く力が入らず、どうにもならなかった。
「慌ててるとこアレだけど、これはβ・鬼蜘蛛の糸さ。ヒューマンが大の好物で、テリトリーに入ってくる手頃な冒険者を常に狙ってる。僕や師匠のように警戒を怠らない手練ならまだしも、ムザイのような未熟者は、一度捕まってしまうと厄介かもね」
イチルと共に引っ張られるムザイを追いかけたザンダーは、へらへら笑いながら言った。
「他人事のように言ってる場合か! ど、どうすればいい?!」
「それ、僕に聞いちゃうの? どうしよっかな~。あまり気は進まないけど、今回だけ特別大サービスで教えちゃおうかな♪」
ザンダーは、ピンと張っている糸の一本を指で摘むと、指先を軽く擦って熱を生み出した。そして熱を火種に変え、魔力を使わず炎を生み出した。
すると魔力を伴わない炎を浴びた糸は、チリチリと音を立てて焦げ、簡単に千切れて消えた。
「瓦礫深淵は情報が全て。たったこれだけの行動の中にも、先人たちのたゆまぬ苦労と努力が宿ってる。キミはもう少し他者へのリスペクトが必要だよ」
すぐに意味を理解したムザイは、腰に装備していたベルトのバックルを利用し、壁に押し付け火花を発生させた。そして自らの髪を操って火の粉を増幅させると、遠心力で糸の束に火をつけ千切っていく。
まず両の手を解放し、燃える毛先を自ら千切ったムザイは、身体に絡みつく糸を全て断ち切り、糸が逃げていく先を目で追った。
「おっと、そこまでにしておきなよ。わざわざβ・鬼蜘蛛を追って相手する理由なんか、キミにはないはずだ。ただやられた腹いせのために自分の身を危険に晒すなんて、愚か者の選択だと思わない?」
辛辣な言葉に足を止めたムザイは、わざとらしく微笑むザンダーに苛つきながら、逃げていく糸を見逃した。
「偉い偉い、少しは聞く耳があったね。ムザイさん、と言いましたっけ。もう少し生きていたいなら、僕たちアライバルの言葉を具に聞き逃さないことだよ。僕はキミのことが嫌いだけど、仕事として関わることになった以上、やることはやらなきゃならない。ムザイが魔石を求めると言うのなら、僕らアライバルも、それなりの成果を示す義務があるからね」
これまでの柔和な態度がトンと消え、途端に仕事モードへ切り替えたザンダーは、隣に立つイチルにも、これまでの経験を見せつけるように腕組みした。
太古の昔から優秀な子は勝手に育つといわれているが、この男もまたここで多くの苦労をし、今の立ち位置を確立したのであろうと同じく腕組みし、イチルがうんうんと頷いた。
「ここの恐ろしさも知ってもらったところで、今度はムザイの狩るべき相手を知ってもらうよ。ただね、先に忠告しておくけど、絶対に僕の言うことを守ること。約束を破ればその時は……、いいね?」
ゴクリとムザイが息を飲んだ。
イチルは二人の間に流れる緊張感を楽しみながら、久々に肌で感じるダンジョンの空気感に一人酔いしれるのだった――