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荒れ果てた荒野の片隅で、レナは廃車の中を慎重に探索していた。古びた内装はすでに砂にまみれ、ダッシュボードも風化でひび割れていたが、そこを開けたときに彼女は何かを見つけたようにピタリと手を止めた。
「……あっ……これ……」
その“幽霊”は、まだボリスの周りを、ふわりふわりと静かに漂っていた。何も言わず、ただ親しみを込めて微笑みながら、たまに彼の肩のあたりにぴたりと寄り添ってはまた浮遊をしていた。
「……やっぱり、あんたのまわりにずっといる」
レナが目を細めて言う。ボリスは少し困ったように笑った。
「見えねえよ。今もいるのか?」
「ああ。今はお前の真横に……」
「……いや、ほんとに何も見えねぇんだって……」
「もしかしたらこれが原因かもな……」
ボリスが、無造作に自分のゴーグルを外す。その奥には、ごく薄い人工レンズと細かい配線が光を反射していた。
「俺、ずっと前にスタングレネードを間近で食らって角膜が焼けててな、もう裸眼だとほとんど光も感じねえんだ」
「カメラ付きのグラスで映像を視神経じゃなく、直接脳に送ってる。便利っちゃ便利だが――」
「超常的なものには反応しないわけね……」
レナが低く言う。
「ただ、ボリスの周りを離れない理由はわからねぇな」
カイが静かに周囲を見回しながら、低く言った。
「――気になるな。車内と近辺をもっと詳しく調べてみよう」
ダッシュボードの中から出てきたのは、色褪せた一枚の写真だった。そこには、若いカップルらしき男女が写っている。
写真の女性は、さっきの幽霊によく似ていた。
そして隣には、驚くほどボリスに似た青年が笑っていた。
「……俺、じゃないぞ。たぶん……遠縁か、他人の空似だ」
「セリカは、お前をこの彼氏だと思って……」
「セリカ……?」
レナが首をかしげる。
カイは淡く笑った。
「名前がわからないなら、仮にそう呼んでおくのも悪くないだろ。“セリカ”……この車とともに取り残された、名もなき誰か。彼女にとっては、ここがすべてだったのかもしれない」
レナが幽霊――セリカを見つめながら、小さく呟いた。
「……でも、どうしてここに。どうして、こんなに“はっきり”見えるの?」
カイは地面にしゃがみ、砂をすくいながら答える。
「この地域、軍のデータベースにも記録がある。“ゼロ磁場”だ」
「ゼロ磁場?」
「地球の地磁気が、局地的に干渉しあって無効化される特異点。古くから“霊が見える場所”とか“神域”とか呼ばれてるらしい」
ボリスが眉をひそめた。
「オカルトじゃなくて、マジの現象ってことかよ」
カイは頷いた。
「地磁気の乱れは、無線の電波や生体電流にも影響する。ここは、過去の強い“情念”や“思念”が、環境と干渉して視覚化されやすいらしい」
ボリスは無言のまま、ゆっくりと帽子をかぶり直した。
ボリスは少しの間、静かに二人が映っている写真を見つめ、やがて空を見上げた。宙に漂う白い影は、何も言わず、ただそこに“いる”だけだった。
「……なあセリカ、俺にはお前の顔は見えない――」
「もし、そいつを待ってるんだとしたら……悪いが、俺じゃない」
その言葉に、ふわふわと漂っていたセリカの動きが、ぴたりと止まった。
風も音もない、その一瞬。
彼女の輪郭が、わずかに滲んだように揺れる。
顔を伏せるように、幽かな光の頭が傾いた。
表情がはっきりとあるわけではない。
けれどその「気配」には、確かに寂しさがあった。
「――でもな。俺は傭兵だけど――いつ死ぬかわからないような毎日だけど――俺が次の戦闘でも生き延びたら――また、セリカに会いに来るよ」
そう言ってボリスは、視えない空に向かって静かに手を差し伸べた。
空気の中で、誰かの頬をそっと撫でるような、柔らかな仕草だった。
風が吹き抜ける中、幽霊の女はほんのわずかだけ微笑んだように見えた。
セリカの姿はふわりと浮かび上がり、ボリスの肩に手を置くような仕草を見せ――また空へ、静かに流れていった。
その瞬間、レナの感情も大きく動いた。
いつも豪快で、愚痴ばかり漏らしてるボリスが、
こんな風に、誰かのために静かに語ることがあるとは思わなかったのだ。
彼女はそっと目を伏せ、息を呑んで――微かに、微かに笑った。
「……やるじゃん」
ぽつりと呟いた声は小さかったが、確かに届いていた。
ボリスがほんのわずか、頬をかすかに染めたのに、レナは気づかなかったふりをした。
(ルーカス……今でも、あんたのことを思い出す夜がある。
でもね、あたし、まだ歩いてるよ。ちゃんと――前を向いて、この優しい人たちと一緒に笑って、戦ってる。元気でやってるよ……)
エンジン音が再び鳴り出す。
ヴァルチャーはその場を離れ、暗がりの荒野へと消えていった。