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#K-T
K-Takasaka
103
K-Takasaka
248
#スクラッチャーズ
#異世界転生
午後三時。
防音室には、アオノとミステーしかいなかった。
他の四人は外出している。
マサカゲは機材の買い出し、カキはその同行を拒否されて一人で庭の倉庫を調べている。メバルは買い物に出かけ、K-Tは「用事」とだけ告げて家を出た。
アオノはキーボードの前に座り、先日録音した曲のデータを調整していた。
ミステーは、部屋の中央に置かれた椅子に座っている。
何もせず、アオノの作業を眺めていた。
「ミステー」
「はい」
「見ないでください」
「見ています」
「なぜですか」
「アオノちゃんが、音の隙間を探しているからです」
「必要な作業です」
「音の隙間には、入り込めます」
「入り込まないでください」
「物理的には無理です」
「なら、発言しないでください」
ミステーは素直に黙った。
しかし、視線はアオノから離れなかった。
アオノはキーボードの音色を一つずつ確認する。
低音が少し強い。
高音域に不要な反響がある。
左右の広がりも均等ではない。
修正すべき点は明確だった。
だが、ミステーの視線だけは、数値に変換できない。
「まだ見ていますね」
「はい」
「理由を説明してください」
「アオノちゃんが、K-Tの近くにいるときと、いないときで、姿勢が違うからです」
アオノの指が止まった。
「姿勢?」
「はい。K-Tが防音室にいるとき、アオノちゃんは背筋が少し伸びます」
「演奏相手に合わせているだけです」
「K-Tがドラムを叩くと、アオノちゃんは画面を見る時間が減ります」
「演奏を聞いているからです」
「K-Tが歌うときは、音量調整の回数が減ります」
「歌声の変化を聞き取る必要があるためです」
「つまり、K-Tの音を優先している」
「音楽上の判断です」
「音楽上の判断は、感情と無関係ですか」
「……」
アオノはキーボードの画面へ視線を戻した。
「関係がある場合もあります」
「では、K-Tが近くにいると、アオノちゃんの感情が変化する?」
「感情の変化を測定していません」
「測定していないだけで、存在しないとは限らない」
「ミステー」
「はい」
「その分析は、作曲に必要ですか」
「必要です」
「なぜですか」
「二人の音がよく合うからです」
アオノは少し考えた。
「それなら、演奏上の相性を分析してください」
「分かりました」
ミステーは椅子から立ち上がった。
「K-Tがドラムを叩くと、アオノちゃんの音は低くなります」
「音色の設定を変えています」
「K-Tが急にテンポを変えると、アオノちゃんはすぐに追従します」
「演奏技術の問題です」
「K-Tが歌い始めると、アオノちゃんは一度だけK-Tを見ます」
「演奏位置を確認しています」
「K-Tが演奏を終えると、アオノちゃんは音量を下げます」
「曲が終わるからです」
「K-Tがいないとき、アオノちゃんは時々、K-Tの使ったマイクの位置を調整します」
「機材管理です」
「K-Tが戻ってくると、アオノちゃんはマイクの高さを少しだけ上げます」
「K-Tの身長に合わせているだけです」
「K-Tがいない間にも、K-Tに合わせている」
「合理的な調整です」
「合理性の中に、気遣いがあります」
アオノは立ち上がった。
「ミステー」
「はい」
「それ以上、個人の反応を分析しないでください」
「なぜですか」
「本人の許可を得ていないからです」
「では、本人に聞きます」
「聞かないでください」
「なぜですか」
「必要がないからです」
「必要がないことを、なぜ禁止するのですか」
ミステーの表情は真剣だった。
からかっている様子はない。
だからこそ、アオノは対応に困った。
ミステーの発言は奇妙だが、そこに悪意はない。本人は本気で観察し、本気で疑問を口にしている。
しかし、疑問だからといって、すべて口にしてよいわけではない。
「人には、記録しないほうがいい反応があります」
アオノが言った。
「どういう反応ですか」
「説明できない反応です」
「説明できないものを記録すると、危険ですか」
「場合によります」
「では、アオノちゃんの説明できない反応を、私が見つけたらどうしますか」
「記録しないでください」
「観察もしないほうがいい?」
「必要以上は」
「必要の範囲は?」
「私が決めます」
「アオノちゃんが、自分で?」
「はい」
「本人が観測者でもある」
「そうです」
「それでは、観測に偏りが出ます」
アオノは返事をしなかった。
ミステーの言っていることは、理屈として間違っていない。
観察する側と観察される側が同じなら、客観性は失われる。
しかし、人間関係は実験ではない。
アオノはそれを、うまく説明できなかった。
防音室の扉が開いた。
メバルが買い物袋を両手に提げて入ってくる。
「ただいま。あれ、二人で何の話をしてるの?」
「アオノちゃんの反応について分析していました」
ミステーが答える。
メバルの顔が一瞬で曇った。
「……何を分析してたの?」
「K-Tが近くにいるときの姿勢、視線、音色、マイクの高さの変化です」
「どうしてそんなことを分析してるの!」
「音楽上の相性を確認するためです」
「それ、音楽上の相性の範囲を超えてない?」
「どこからが範囲外ですか」
「そこを真顔で聞かないで!」
アオノはメバルに向き直った。
「ミステーの分析には、一部、合理性があります」
「アオノちゃんまで真面目に受け止めなくていいの!」
「観察対象の反応に一貫性があります」
「観察対象って言わないで!」
メバルは二人の間に割り込んだ。
「人のことを勝手に観察対象にしないの。特に、本人が嫌がってるならやめる!」
「アオノちゃんは、嫌だと明言していません」
「今、すごく嫌そうな顔をしてるでしょ!」
「アオノちゃんの表情変化は小さいため、判定が困難です」
「そういうところだよ!」
メバルがミステーの額を指で弾いた。
ペシン。
「痛いです」
「これで分かった?」
「接触による警告だと理解しました」
「なら、もう言わないでね」
「分かりました」
ミステーは頷いた。
しかし、数秒後、アオノのほうを見た。
「アオノちゃん」
「何ですか」
「今、メバルちゃんに止められて、少し安心しましたか」
アオノは無言で立ち上がった。
「アオノちゃん?」
メバルが声をかける。
アオノは部屋の壁際にある工具箱を開いた。
「何をするの?」
「壁面の防音パネルを確認します」
「今?」
「はい」
「逃げた?」
「逃げていません。作業です」
「アオノちゃん、顔がちょっと赤いよ」
「室温の影響です」
ミステーが近づく。
「室温は二十三度です」
「ミステーちゃん、もう黙って!」
メバルの声が防音室に響いた。
その後、メバルは買ってきた食材をキッチンへ運び、ミステーには機材整理を命じた。
アオノは防音パネルの点検を続けた。
しかし、工具を持つ手がいつもより遅い。
思考が、何度も先ほどの会話へ戻ってしまう。
K-Tが近くにいると、自分の姿勢が変わる。
K-Tのドラムに合わせて、音色を選ぶ。
歌声を聞くと、音量調整をやめる。
マイクの位置を、戻ってくる本人に合わせる。
どれも、演奏や機材管理で説明できる。
ならば、それ以外の要素はない。
アオノはそう判断しようとした。
だが、判断のために何度も考えている時点で、すでに問題は単純ではなかった。
夕方になり、K-Tが帰宅した。
玄関の監視カメラが反応し、アオノの端末に通知が届く。
「K-Tが帰宅しました」
「おかえり、Kちゃん」
メバルがキッチンから声をかけた。
K-Tは短く頷き、防音室へ向かった。
その途中で、アオノと目が合う。
「演奏する」
K-Tが言った。
「はい」
アオノは防音室へ入った。
ミステーも後から続こうとしたが、メバルが肩をつかんだ。
「ミステーちゃんは、今日はここで待ってて」
「なぜですか」
「アオノちゃんとKちゃんの演奏を、変な分析なしで聞くため」
「分析しないで聞くことに意味はありますか」
「あるよ」
メバルはミステーをリビングへ連れていった。
防音室には、アオノとK-Tだけが残った。
K-Tはドラムの前に座った。
アオノはキーボードの電源を入れる。
「ミステーが何か言ったか」
K-Tが尋ねた。
「音楽上の相性について分析していました」
「そうか」
「あなたが近くにいると、私の反応が変化するそうです」
「知らない」
「あなたはどう思いますか」
K-Tはドラムスティックを見た。
「演奏する」
「答えになっていません」
「音で答える」
K-Tはドラムを叩き始めた。
アオノは一瞬だけ迷った。
いつものように、K-Tのリズムに合わせて音色を選ぶ。
低音を少しだけ強くする。
急なテンポ変更に備える。
マイクの位置を確認する。
それらはすべて、いつも通りの作業だった。
だが、今日は自分の動作を意識していた。
意識すると、演奏がわずかに遅れる。
K-Tがそれに気づいた。
「遅い」
「すみません」
「見るな」
「何をですか」
「自分を」
アオノの手が止まりかけた。
「私は、自分の反応を確認しています」
「不要だ」
「必要です」
「演奏するなら、演奏しろ」
K-Tのドラムが一段強くなる。
アオノは画面を見なかった。
波形も確認しない。
自分の姿勢も、呼吸も、視線も測らない。
ただ、音を聞いた。
K-Tのドラムは、言葉より直接的だった。
速くなる。
止まる。
低く沈む。
突然、鋭く跳ねる。
アオノはその変化に合わせて鍵盤を弾く。
音色を変え、和音を重ね、余分な音を消す 音色を変え、和音を重ね、余分な音を消す。
K-Tのドラムが急に止まった。
アオノも音を止める。
静寂が戻る。
「今の演奏を記録しますか」
アオノが尋ねた。
「好きにしろ」
「あなたの演奏は、予定より三分長く、テンポ変化が四回ありました」
「そうか」
「ですが、録音データだけでは判断できない部分があります」
K-Tはアオノを見た。
「何だ」
「音が変化する前に、あなたがわずかに呼吸を変えていました」
「そうか」
「その変化を、私は聞き取っていました」
「なら、使え」
「はい」
アオノは録音を開始した。
K-Tが再びドラムを叩く。
今度の演奏には、明確な構成がなかった。
決められた曲ではない。
始まりも、終わりも、途中で何度変わるかも分からない。
それでも、アオノはついていった。
音の先を予測するのではなく、音が変わった瞬間に受け取る。
K-Tが強く叩けば、キーボードの低音を重ねる。
弱くなれば、音を減らす。
間が生まれれば、その間を埋めずに残す。
演奏が終わったとき、アオノはすぐに録音を止めなかった。
最後の余韻が消えるまで、指を鍵盤の上に置いていた。
「今のは、よかった?」
アオノが聞いた。
「問題ない」
「それは、よかったという意味ですか」
「続けられる」
「分かりました」
K-Tはドラムスティックを置いた。
防音室の外では、メバルとミステーの声が聞こえる。
「ミステーちゃん、今度こそ分析禁止だからね!」
「では、感想を述べます」
「それも内容によるよ!」
アオノは扉のほうを見た。
ミステーがこちらへ近づいてくる気配がする。
「アオノちゃん」
扉が開く。
ミステーが顔を出した。
「演奏はどうでしたか」
「問題ありません」
「では、K-Tが近くにいるときのアオノちゃんの反応を――」
メバルが後ろからミステーの口を塞いだ。
「そこは禁止!」
ミステーは目だけでアオノを見る。
「しかし、重要な観測結果が」
「観測しなくていいの!」
アオノは二人を見ていた。
いつもなら、ミステーの発言を止めるために、メバルがどれだけ強く叱るかを分析していたかもしれない。
しかし、今日は違った。
アオノは、ミステーが自分を観察していた理由を少しだけ理解していた。
ミステーは、からかいたいのではない。
変化を見つけたいのだ。
音の中に隠れたもの。
言葉にならないもの。
本人がまだ気づいていないもの。
それを見つけることが、ミステーにとっての発見なのだ。
「ミステー」
アオノが呼んだ。
「はい」
「私の反応を分析するなら、本人に伝える前に確認してください」
「確認?」
「観察されることが不快かどうか、聞いてください」
ミステーは考えた。
「今、聞いてもいいですか」
「はい」
「観察されるのは、不快ですか」
アオノはすぐには答えなかった。
少しだけ、K-Tのほうを見る。
K-Tは何も言わず、ドラムスティックを片付けている。
「必要以上でなければ」
アオノは言った。
「不快ではありません」
メバルが目を丸くした。
「アオノちゃん、いいの?」
「観察は情報収集です。適切な方法なら、問題ありません」
「でも、ミステーちゃんの分析は、たまにかなり際どいよ」
「その場合は、停止を要求します」
「分かりました」
ミステーが頷く。
「では、最初に一つだけ」
「何ですか」
「K-Tが演奏を終えたあと、アオノちゃんは三秒間、音を消しませんでした」
アオノは黙った。
「それは、なぜですか」
メバルが身構える。
「ミステーちゃん、言い方に気をつけてね」
「私は、余韻を残したかったのだと思います」
アオノは答えた。
ミステーが首を傾ける。
「それは、音楽上の判断ですか」
「分かりません」
アオノは正直に言った。
「ただ、すぐに消す必要がないと思いました」
防音室が静かになる。
メバルはそれ以上、止めなかった。
ミステーも、新しい質問をしなかった。
K-Tが片付けを終え、扉へ向かう。
「帰る」
「もう?」
メバルが尋ねる。
「寝る」
「まだ夜の八時半だよ」
「二十一時に寝る」
K-Tは防音室を出ていった。
アオノはその背中を見送った。
K-Tがいなくなったあと、防音室は少し広く感じられた。
同時に、音のない部分が目立つようになった。
アオノはキーボードに向き直った。
「アオノちゃん」
メバルが声をかける。
「今日はもう休む?」
「はい」
「珍しいね」
「休む理由があります」
「どんな理由?」
アオノは少し考えた。
「今日の演奏を、すぐに分析したくないからです」
メバルは柔らかく笑った。
「それも、ちゃんとした理由だね」
ミステーが頷く。
「分析しないという観測です」
「ミステーちゃん、それはもう何でも分析になってるよ」
メバルがため息をつく。
三人は防音室を出た。
アオノは最後に照明を消した。
暗闇の中に、録音機の小さなランプだけが残る。
保存されたデータには、K-Tのドラムとアオノのキーボードが重なっている。
波形は複雑で、完全には整理されていない。
音の間には、わずかな空白がある。
アオノは、その空白を削除しなかった。
いつもなら不要な部分として切り取るはずの沈黙を、そのまま残した。
ファイル名を入力する。
『未確定』
それだけを記録して、保存した。
数値にならないもの。
説明できない反応。
音と音の間にある、見えない変化。
それらはまだ、アオノにとって完全な理解には至っていない。
それでも、以前のように無視することはできなかった。
分からないものを、分からないまま残す。
それもまた、記録の一つなのだと。
アオノは初めて、そう考えた。
コメント
1件
お疲れさまです、第5話読ませていただきました。 ミステーの観察がまっすぐすぎて、むしろアオノの意識しないクセを浮き彫りにしていく流れが面白かったです。特にK-Tが帰ってきてからの防音室の空気感が繊細で、“音で答える”と言って実際に演奏で返すK-Tのスタイルも素敵でした。最後にアオノが「未確定」というタイトルで、空白を消さずに保存したところ、じんわりきましたね。まだ形にならないものを“残す”と選んだ彼女の変化、すごく好きです。