テラーノベル
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午前四時。
シェアハウスは、まだ眠っていた。
廊下の照明は落ち、リビングの時計だけが淡い光を放っている。キッチンには、昨夜メバルが片付けた食器が伏せられていた。
誰も起きていない。
少なくとも、K-T以外は。
K-Tは防音室の扉を開けた。
室内には、ドラムセットが置かれている。照明はつけていない。窓の外もまだ暗く、ガラスには自分の姿だけが映っていた。
K-Tはドラムの前に座る。
スティックを手に取る。
数秒間、動かなかった。
それから、最初の一打を入れた。
低いバスドラム。
続いて、左右のタムを打ち分ける。
タッ、タッ、ドン。
音が一度、途切れる。
直後、シンバルが鋭く鳴った。
そこから先は、決められた練習とは思えないほど激しかった。
右手がハイハットを刻み、左手がスネアを叩く。足がバスドラムを踏み、タムからタムへ音が移る。一定のリズムを保ちながら、K-Tは何度も拍の位置をずらした。
ドラムソロだった。
派手で、速く、力強い。
それでも乱れてはいない。
音の一つひとつが明確で、強く打つ場所と、あえて音を抜く場所がはっきりしていた。
最後に、K-Tは大きく腕を振り上げた。
シンバルが鳴る。
余韻が防音室の中で広がり、ゆっくり消えていった。
「今のは、予定にありません」
部屋の隅から声がした。
アオノだった。
いつからいたのか、キーボードの前に座っている。画面には、今のドラムソロの波形が表示されていた。
「予定はない」
K-Tが答える。
「では、即興ですか」
「確認だ」
「何の確認ですか」
「音が残るか」
アオノは波形を拡大した。
最初の低音から、最後のシンバルまで、すべてが記録されている。激しい演奏だったが、音の重なりは崩れていない。
「残っています。音量も、各音域の分離も問題ありません」
「そうか」
K-Tはスティックを置かなかった。
「続ける」
「まだ演奏するのですか」
「曲にする」
アオノはK-Tを見た。
「今のドラムソロを?」
#スクラッチャーズ
K-Takasaka
214
#異世界転生
#K-T
「最初に使う」
「構成がありません」
「作る」
K-Tは短く言った。
アオノは画面を確認した。
「曲の制作には、他のパートが必要です」
「俺たちで作る」
「二人ですか」
「三人」
K-Tが扉のほうを見る。
その直後、扉が開いた。
「三人目は俺だ」
マサカゲが入ってきた。
ベースを肩にかけ、片手には譜面の束を持っている。
「お前、最初から派手に叩いていただろ」
「聞いていたか」
「廊下までかすかに響いていた。防音室の外に漏れたというより、床を通して振動が来た感じだ」
マサカゲはドラムセットを見た。
「今のソロを曲の頭に使うのか?」
「そうする」
「なら、俺がベースを合わせる」
アオノは二人を見た。
「曲の方向性は?」
「ない」
K-Tが答える。
「これから決める」
「使用時間は?」
マサカゲが時計を見る。
「午前五時半まで、あと一時間半だ」
「一時間半で完成させるつもりですか」
「完成の定義による」
マサカゲが答えた。
「少なくとも、三人で演奏できる形にする」
K-Tは再びドラムスティックを構えた。
「始める」
アオノはキーボードの音色を選び、マサカゲはベースのチューニングを確認する。
K-Tは、先ほどと同じドラムソロを始めた。
最初の一打から、音が激しく動く。
しかし、今度はマサカゲが入る。
ドラムソロの後半、低いバスドラムに合わせて、ベースが一音を伸ばした。
ドン、と鳴ったあとに、低い音が残る。
K-Tのドラムが一瞬だけ止まり、マサカゲのベースがその空白を支えた。
アオノは、その瞬間に音を加えた。
高い音ではない。
低音とぶつからないように、少し離れた位置で和音を置く。
ドラムの激しさ。
ベースの重さ。
キーボードの空間。
三つの音が、まだ不安定なまま重なった。
K-Tが演奏を止める。
「違う」
マサカゲが言った。
「どこが?」
「ソロの勢いに対して、ベースが遅い」
「遅いほうが支えられる」
「今は支える曲じゃない」
K-Tが二人を見る。
「前に出る」
マサカゲは一度考えた。
「分かった。最初はベースも前に出す。そこから落として、キーボードを入れる」
「了解しました」
アオノは音色を変更した。
低い音を重ねるのではなく、短く切る音にする。
ドラムソロの最初のシンバルに合わせ、ベースが一音。
タムが回り、ベースが二音。
最後に三人の音が同時に鳴る。
「それでいく」
K-Tが言った。
再び演奏が始まる。
最初のドラムソロは、さきほどよりも激しかった。
K-Tは、同じフレーズをそのまま繰り返してはいない。最初の演奏で生まれた流れを残しながら、余分な部分を削り、必要な部分だけを強くしている。
マサカゲはベースでその動きを受け止め、曲の進行を作った。
速い。
しかし、ずっと速いままでは曲にならない。
マサカゲは途中で音数を減らし、ベースの低い音だけを残した。
ドラムの勢いが落ちる。
そこへ、アオノがキーボードを重ねる。
高く伸びる音ではなく、薄いパッド音だった。
防音室の空気が変わる。
冒頭の激しさが消えたわけではない。
その下に、次の音を置くための空間が生まれた。
K-Tはドラムを叩きながら、アオノの音を聞いている。
アオノも、画面を見ずに演奏していた。
波形を確認する必要はなかった。
K-Tのドラムが一段弱くなった。
アオノは音を減らす。
マサカゲのベースが間を埋めた。
K-Tが再び強く叩く。
三人の音が重なり、短いフレーズが形になった。
演奏を終える。
マサカゲはすぐに譜面へ書き込んだ。
「今ので、イントロからAメロまでいける」
「Aメロの長さは?」
「十六小節。そこから一度、音を落とす」
「音を落とす?」
「全員、一小節だけ止める」
K-Tがマサカゲを見る。
「止まるのか」
「止まる。最初が激しいぶん、途中に空白が必要だ」
「空白は音ではない」
「だが、曲には必要だ」
アオノが頷いた。
「音がない部分を作ることで、次の音を強調できます」
K-Tは考えた。
「一小節」
「一小節だ」
「その後は?」
「ベースから始める。アオノが和音を入れ、K-Tが戻る」
「俺が最後か」
「最初に一番強く出ているからな。戻る場所を作ったほうがいい」
K-Tはマサカゲの案を受け入れた。
「続ける」
時計が午前五時を指した。
普段なら、アオノがキーボードで合流する時間だ。
しかし、今日はすでに演奏が始まっている。
午前五時半になっても、三人は防音室から出なかった。
演奏は何度も止まった。
イントロの長さを変える。
ベースの入りを遅らせる。
キーボードの和音を一つ減らす。
K-Tのドラムソロを短くするかどうかで、マサカゲと意見が分かれた。
「長すぎる」
マサカゲが言った。
「最初のソロは、曲の顔になる。長さを半分にすると勢いが失われる」
「勢いだけでは、後が続かない」
K-Tは二人の話を聞いていた。
「残す」
「K-T」
「最初のソロは残す。後を作る」
マサカゲは黙った。
K-Tの意見は、いつも短い。
だが、今回はそれだけではなかった。
最初のドラムソロを中心にしながら、曲全体を成立させるつもりなのだ。
アオノは録音データを確認した。
「ドラムソロを短くする必要はありません。冒頭の音数が多いため、後半のパートで音数を減らせば、全体のバランスは取れます」
「なら、それでいこう」
マサカゲが言った。
午前六時を過ぎた頃、三人の前に曲の構成ができていた。
イントロ。
ドラムソロ。
ベースの合流。
キーボードによる展開。
全員が一小節だけ止まるブレイク。
そこから三人が一斉に戻る。
最後は、ドラムが一度だけ強く鳴り、ベースとキーボードが余韻を残す。
まだ歌はない。
ギターもない。
それでも、三人だけの曲として形になっていた。
「一度、通す」
マサカゲが言った。
アオノは録音ボタンを押した。
K-Tがドラムスティックを構える。
最初の一打が、防音室に響いた。
そこから、派手なドラムソロが始まる。
ハイハット、スネア、タム、バスドラム。
K-Tの腕と足が連続して動き、音が途切れずに流れていく。
マサカゲは、決められた位置でベースを入れた。
低い音がドラムの下に入り、曲の進行を作る。
アオノは、二人の音の隙間に鍵盤を置く。
最初は薄く。
次第に広く。
だが、音を重ねすぎない。
ドラムの勢いを消さず、ベースの輪郭を曖昧にせず、それでも三人が同じ曲を弾いていると分かるようにする。
Aメロが進む。
K-Tはドラムの力を少し落とした。
マサカゲがそれに合わせる。
アオノの音が前に出る。
そして、ブレイク。
一小節、三人の音が消える。
完全な無音ではなかった。
スティックが止まる音。
弦の振動が消える音。
鍵盤から指が離れる音。
それらがわずかに残る。
次の瞬間、K-Tがドラムを叩いた。
マサカゲがベースを重ね、アオノが和音を広げる。
曲が一気に進む。
防音室の空気が振動した。
最後の一打。
K-Tのドラムが止まり、マサカゲのベースが消え、アオノの音だけが残る。
アオノは、余韻が消えるまで鍵盤を押さえていた。
録音が終わる。
三人はしばらく黙っていた。
「完成した」
マサカゲが言った。
「仮完成です」
アオノが訂正する。
「歌もギターも入っていない」
「それでも、三人の曲として成立している」
「正式な完成ではありません」
「今日は、これでいい」
K-Tはドラムスティックを置いた。
アオノは録音データを保存した。
「曲名は?」
マサカゲが尋ねる。
「まだ決めていません」
「K-T、何かあるか」
K-Tは考えるように、最初のドラムソロの波形を見た。
「最初の一打」
短い言葉だった。
マサカゲが頷く。
「それでいい」
アオノはファイル名を変更した。
『最初の一打』
防音室の扉が開いた。
メバルが顔を出す。
「みんな、朝ごはん……あれ?」
彼女は三人と、録音されたばかりの波形を見比べた。
「もう曲ができたの?」
「三人で完成させた」
マサカゲが答えた。
「どんな曲?」
「聞くか」
K-Tが言った。
メバルは頷いた。
アオノが再生ボタンを押す。
最初に、派手なドラムソロが響いた。
メバルは目を見開いた。
続いてベースが入り、キーボードが広がる。
激しさの中に、抑えられた部分がある。
音がなくなる一瞬があり、その後に三人の音が戻ってくる。
曲が終わった。
「……すごい」
メバルが小さく言った。
K-Tは何も言わない。
マサカゲは譜面を閉じる。
アオノは波形を確認していたが、やがて画面を閉じた。
「次は、全員で演奏します」
「うん」
メバルが笑った。
「カキちゃんが聞いたら、絶対にギターを入れたがるね」
「入れる場所は決める」
マサカゲが言った。
「カキに任せると、全部に入れる」
防音室の外から、カキの声が聞こえた。
「聞こえてるぞ!」
三人が振り返る。
カキが廊下の入り口に立っていた。どうやら庭の倉庫から戻ってきたらしい。
「今の曲、俺のギターも入れようぜ!」
「まずは朝食」
メバルが言った。
「そのあと、曲の確認だ」
カキはギターを抱えたまま、録音データをもう一度聞いた。
最初のドラムソロが響く。
カキは黙っていた。
やがて、K-Tを見る。
「最初、すげえな」
「そうか」
「俺も負けないリフを作る」
「競争ではない」
K-Tが言った。
「でも、曲にはする」
カキは笑った。
アオノは、保存された録音をもう一度だけ確認した。
最初の一打から始まった音は、三人の手で一つの曲になった。
それは、K-Tのドラムだけではない。
マサカゲの判断と、アオノの音の選択が重なっている。
誰か一人の演奏を目立たせるのではなく、三人がそれぞれの音を持ち寄り、一つの形にした。
防音室の外では、朝の光が少しずつ強くなっている。
K-Tは時計を見た。
「寝る」
「今から?」
メバルが驚く。
「午前四時から起きていた」
「そうだったね……」
K-Tは防音室を出て、自分の部屋へ向かった。
その背中を見送り、マサカゲが言う。
「本当に規則正しいな」
「演奏も、生活も」
アオノが答えた。
「でも、今日の最初のドラムソロは、少し予定外だった」
「K-Tにとっては、あれも必要な音だったんだろう」
マサカゲが言った。
アオノは録音データの名前を見た。
『最初の一打』
それは曲の始まりを示す名前であり、三人が一つの音を作り始めた瞬間の名前でもあった。
防音室には、まだ演奏の余韻が残っている。
アオノはその余韻をすぐには消さなかった。
コメント
1件
K-Tのドラムソロ、めっちゃカッコよかった!🔥 午前4時に一人で叩き始めて、そこからマサカゲとアオノが即興で合わせて曲にする流れ、音楽やってる人ならめっちゃ共感するやつ!✨ 三人の意見がぶつかり合いながらも、最後に完成した『最初の一打』、メバルの「すごい」に全部詰まってた。エモすぎて語彙力飛んだ😭💕 次はカキのギターが入るの楽しみすぎ!