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少し眉を上げながら同調を求めてくる新先生に、俺はやっと笑い返すことができた。
新先生に彼女がいて、本当によかった。もし「いない」なんて言われていたら、叶うはずもない恋心が暴走して、ただ苦しいだけの時間になっていたはずやから。
「……じゃあ、もう戻ろうかな」
メガネとマスクをつけて、立ち上がった先生の背中を見ると、昨夜は気づかなかったけれど、白衣に汚れがついている。特にお尻のあたりは、さっきまで座っていたせいで砂だらけや。
「先生、お尻汚れてる。……じっとして」
パンパンと手で叩いて払うと、「中目くん、お母さんみたいやな」と可笑しそうに笑われた。
俺だけが知っている、可愛くて無邪気な新先生。この瞬間だけは、世界で俺一人が彼を独占しているみたいで、誇らしかった。
「ん」
階段の最後の一段。昨日と同じように新先生が振り向いてそっと手を出した。
今度は迷わず、その掌にスペアキーをのせる。けれど、金属が手から離れた途端、新先生と俺の特別な時間が終わってしまうような気がして、急に寂しさが込み上げてきた。
「……また時間がある時、屋上においで。鍵、空けておくようにするから」
先生はマスクを少しずらして俺を覗き込み、内緒話をする子供のように無邪気に笑った。
「俺ら、『秘密の友達』やもんな?」
その甘い響きに、俺もつられて笑いながら「うん」と頷いた。
「どんどんどんどん! しゅーたくぅーん!!」
「いや、うるさ、近所迷惑やろ」
早めの夕食を終わらせて自室に戻ると、俺の部屋のベランダの方から、優人の大きな声がする。優人とは家が隣同士でベランダを跨げば簡単に行き来できる。偶然とはいえ、この家の防犯対策はどうなってんねん。
ドアを開けて、優人をひと睨みする。ドアも叩いていないのに、何を「ドンドン」叩いてるフリしてるねん。
「なぁ、勉強集中できひん! 秀太くんのとこ行っていい?」
「無理。もうすでに邪魔や」
「出そうな範囲だけ! 教えて!」
「先生が教えてくれたやろ」
「だって、目の前に秀太くんがおったら、秀太くんしか目に入らんもん。そんなん聞き逃すに決まってるやんか」
「……こわ。席変えてもらおうかな」
独り言のように毒づきながらも、「範囲だけやぞ」と約束してベランダの窓を開けたままにする。
跨いで入ってきた優人を見て、ふと思う。こいつ、また身体がデカくなってない?身長は俺の方が高いはずやのに、太っている、というより、がっしりしている気がする。何?プロレスラーでも目指してんの?
「軽音部って、そんなに筋肉つくもんなん?」
俺の学習デスクの椅子に、当たり前のような顔をして座ってクルクル回る優人。その肩に、思わず指先で触れた。
「僕、パワー系ドラマーやからな。最近ちゃんと筋トレもしてるし」
ぐっと腕に力を入れると、触れていた肩がモリッと硬く動いた。普段は制服に隠されているから気づかなかったけれど、薄い部屋着越しだとその厚みがよくわかる。
「こんな筋肉で叩いたら、ドラム破れてまうやん」
面白くなって力コブに手を伸ばすと、「はふんっ」と優人の口から少し甘い声が漏れた。
「気持ち悪っ! 何の音やねん!」
思わず頭を叩くと、優人はいつものようにガハハと大きな口を開けて笑い転げた。
……ほんま、もう勉強どころじゃない。こいつ、絶対邪魔しに来ただけやろ。
「ほら、範囲はここと、ここな。終わり! さっさと帰れ」
「えー、覚えられへん。写真撮ってLINEで送ってよ」
「……その手があったか」
「秀太くんって勉強はできるけど、生活面では結構アホやんなぁ」
優人が馬鹿にして笑うから、その大きな口に拳で作ったグーを突っ込んでやった。
あんまり俺を舐めてると、今度はパーで突っ込んだるからな。覚えとけよ。
騒がしい優人を無理やりベランダへ押し出し、ようやく静かになった部屋で机に向かう。
ふと、自分の制服から微かにタバコの匂いがすることに気づいた。あんな近距離で、新先生が煙を燻らせていたから。
「……なんで、美術のテストはないんやろ」
流石に『秘密の友達』だと言われても、毎日毎日、屋上を確認して会いに行くのは自分でも気持ち悪いと思う。そんなん、俺をつけてきたストーカーと同じや。
長く心地いい友達でいるためには、適度な距離も必要。それに、毎回タバコの煙を浴びていたら制服に匂いが染みついて、そのうち問題になるかもしれない。
俺のせいで新先生があの場所を失ってしまったら、先生はどこで息抜きをして、素顔で誰かと笑い合えばいいんやろう。
先生の大切な場所を、俺が奪うわけにはいかない。
けれど、どうしても心は求めてしまう。
何か、ないかなぁ。新先生と、生徒として当たり前に一緒にいられる時間。
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#先生と生徒