正直な話をすれば、奏は期待していたのだと思う。
まふゆが消えるのを止められたのだから、いつか、いつか奏の罪の象徴である彼も目を覚ましてくれるだろうと期待していたのだと思う。
目を覚まし、そして『すまない』だとか『悪かった』だとか、そういう言葉を言ってくれるのだと、期待して、
否、
希望していたのだと思う。
許されることを。
赦されることを。
間違っていたのは自分だったと、
過っていたのは己だったと、
そう言って、謝り、認め、頭を撫でてくれて、
毎日他愛もない話をして、
毎日作曲について話をして、
毎日『25時、ナイトコードで。』のメンバーとのことを話して、
途絶してしまった過去の隙間を埋めるように、
隔絶してしまった才能の差なんて関係ないと、
断絶してしまった関係を再構築できるように、
そんなことを期待し、希望し、妄想していた。
期待、していたのだ。
「…………………………だ」
「っ!」
だから自然、その声が聞こえた瞬間、奏の心臓は高鳴った。
なぜならばそれは、奏がずっと、ずっと聞きたかった声で、
奏の、大切な、大好きな人の声で、
「お父さんっ!目が覚め――」
「なぜ、……奏、なんだ」
「――――――ぁ」
ガンッ! と、煉瓦で頭を殴られたかのような衝撃がはしった。
倒れなかったのが奇蹟に近かった。
それほどまでに致命的で、
それくらいに致命傷で、
心臓を日本刀で貫かれるよりもはるかに痛い、傷。
「どうして、……」
「ひ」
怯えるように、
怖がるように、
震えるように、
「……僕じゃ、」
耳を塞がなければならない。
病室からでなければならない。
意識を落とさなければならない。
でなければ、本当に全てが『終わって』しまう。
それを本能で理解した。
けれど、もう遅かった。
「ないんだ……」
「ぅぁ」
届いた。
届いてしまった。
だから思い出す。
嫌でも想い出す。かつて、自分が何をしたのか。何をしてしまったのか。一人の人間の人生を台無しにしてしまったという過去。人一人を殺してしまったという罪。それを言い訳に使って、自由気ままに曲を作り、作り、作り続けてきたという業。
何も、
何かを、
得た気になって、
救った気になって、
でも、そうじゃなかった。
そうじゃ、なかった。
だから、
だから、
「奏……」
「っ――――――ッッッッッ!!!!!」
耐えられなかった。
もう本当に耐えられなかった。
だから、奏の意識はそこで、
落ちた。
次に目が覚めた時、奏は荒い息を吐きながら肩を上下させていた。
「はぁ、はぁっ!はっ、はぁはぁっ、はは!」
奏の記憶は、父親のお見舞いに行ったところで途切れていた。
正確に言えば、父親の言葉を聞いた後、途切れてしまっていた。
「……………………………」
あれからどうしたか。
自分がどうなってしまったのか、奏は覚えていない。
憶えていない。
ただ、今、奏の目の前に広がる光景は、
「………………………………はは」
破壊の限りをつくされた音楽機材。
破り捨てられたカーテンとシーツに枕。
引っ繰り返された机に、散乱する食料と食器。
そんな、自分の部屋だった。
「あは、はははは」
笑う。哂って嗤って自嘲するわらう。
なんだこれは?
こんなの、どうすればいいんだ?
根本から折られた。
根幹から刻まれた。
根底から殴られた。
ずっと、自分の中にあった『何か』が、
どうしようもなく消えてしまったのを自覚した。
「はっ、ははっ、ははははは」
破壊の限りをつくされた部屋。これをしたのは誰だ?
言うまでもなく、奏だ。奏がこれをやった。
他の誰でもない。奏が。
奏が。
「ああはははああははっはははっははははははははっはっはははははははっはああはははははあはあはあははははははあははあははははっはははははははああはははははははははっはああはははははあはあはあははははははははハハははハははハハはははああはアあはアははははははっはああはははははあはあはあはははははははあはハはあハハハハハはあはあはあはっはははははあアハハははハアアアはははあはははははははあはアはははハああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっっっっっッッッッッっっっッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
頭を、顔を、腕を、足を、腹を、爪を、喉を、鼻を、額を、脇を、膝を、指を、踝を、膝を、
掻き毟り、掻き抱いて、貪りながら、奏はあらん限りの絶叫を放った。
この世の全てを呪う様に。
それ以上に、自分自身に罰を与えるように。
「なんで…………」
分かっている。
「なんでっ…………」
分かっている。
「なん、でぇっっっ…………」
分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。分かっている。
本当は全部、何もかも分かっている。
「こんなっ、こんな物!!!」
変形したMIDIキーボードを床に投げ捨てる。
知りたくなかった。聞きたくなかった。理解したくなかった。
そう思ってしまう自分自身が、何よりも絶望的に腹立たしく。
「もう、私に…………っ」
音が消える。
呼吸音すら聞こえない。
自分が何を言っているのか、何を口にしているのかも分からない。
ぐちゃぐちゃだ。
ぐちゃぐちゃで、むちゃくちゃで、めちゃめちゃだ。
脳髄が溶けている。
三半規管が狂っている。
視界が明滅して、点滅している。
「私が音楽を作っていい理由なんて」
回想する。
かつては想い出であり、今は罪の象徴である『それ』。
『8日。奏に、曲をプレゼントされた』
回想する。
かつては呪いであり、今は罪悪の源泉である『それ』。
『僕ではなく、奏であれば――』
回想する。
かつては執着であり、今は破滅でしかない『それ』。
『奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ』
「最初から、無かったんだ」
奏の罪を許しているのは奏だけだった。
奏の罪を赦しているのは奏だけだった。
全ては無為、無駄、無益。
作れば作る程に壊れていき、
創れば創る程に崩れていき、
造れば造る程に解けていく。
『……奏は、すごいな……』
才能なんて、無ければよかった。
音楽を作ろうなんて、思わなければよかった。
作曲なんて、しなければよかった。
『ああ……今日、コンペに通ったんだ』
もう無理だ。もうダメだ。もう、一瞬だって『ゆる』せない。
奏はもう、奏自身を『ゆる』せない。
『これは本当に……奏ひとりで?』
手に入れたはずの誓いも、
『才能があるなら、才能がない人の分まで苦しんで、作りなさいよ!!』
手にしたはずだった絆も、
『だからボクは……雪がいなくなったら、ただ寂しいって思うよ』
手をかけたはずの何かも、
『そんなの、もうひとつ呪いを増やすようなものじゃない!』
奏が殺した父親の無意識の寝言によって無価値に成り果てた。
だからもはや、奏には何もなく。
故にもはや、奏には生きる理由さえも、無かった。
だから奏は、
「はは」
奏は散らばった物の中から鋭い鋏を探り出して、
「下ら、な……、い…………」
それを、手に持って、
「全部、意味がなかったんだね」
そして奏は、
「……………………………お父さん」
手に持った『それ』を、
「っ!!!」
自身の喉に………………、
『その時は雪が、『まだ見つかってない』って言ってくれればいい』
鮮血が、舞った。
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