ぽかぽかと暖かい空気が包む午後二時頃
両脇に建ち並ぶオフィスビルでは眠気に抗う社会人が続出しているだろう
そんな誰もいないオフィス街を闊歩する、一人の紳士
待ち遠しさからなのか、地を蹴る革靴のテンポが速い。表情もどことなく明るさが感じられた
向かったのはCLOSEの看板がかかる、照明のついた小さなカフェ
コンコンコンと軽いノックをした後、勝手知ったる様子で扉を開けた
「いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ、イギリスさん」
ふわりとやってくる焼き菓子の甘い香りと共に、会釈をして出迎える店主
丁寧な挨拶に笑顔で返した
「こんにちは日本さん、今日はアッサムでお願いします」
「かしこまりました。いつものお席でお待ちくださいね」
厨房に戻った彼を見送って、いつもの二人席に座る
テーブルには既に取り皿とカトラリー、ナプキンが準備されていた
一気に静まり返る店内
他に誰も居ない。その事実がよく分かる静寂が、私はたまらなく好きだ
そもそも、閉店しているはずのこの店で注文ができているのは、私が経営支援をしているからだ
日本さんの人柄に惚れた私は、日課であるアフタヌーンティーにご一緒してもらい、ゆっくりお話ししたいと思った
しかし、カフェということもありお昼時は客が多い。また、一人で経営しているため私一人だけを相手するわけにはいかない
ならば、どうすればいいか
答えは簡単。貸切にすればいいのだ
そのため、日本さんに交渉をもちかけた
『経営支援をする代わりに半日貸し切らせてくれないか』と
幸い、日本さんとしても物価上昇や頭金の回収に苦悩していたらしく、快諾してくれた
本当は私だけで独占したかったのだが、息子たちも日本さんを気に入っている様子だったので”仕方なく”家族で貸切ることにした
いやぁ…私はなんて”優しい父親”なのだろう!今までの不敬を詫びて感謝してほしいものだ
そんなことを考えていると、遠くから聞こえたスイングドアの開く音
大きめのトレイを持った日本さんがゆっくりと、慎重にこちらへやってきた
ケーキスタンドに乗せられているのは、ミルクティーとイチゴのミニタルト、ブルーベリージャムのスコーン、そしてフランボワーズマカロン
目を引く赤や紫を基調としたスイーツと淡い色のミルクティーの対比が美しく、食べるのがもったいなく感じてしまった
「おや、今日はベリーづくしですね」
「先日美味しいブルーベリーをアメリカさんに頂きましたので。父のイチゴも頃合いでしたし折角ならと思いましてね」
成程、あのアメリカが贈り物とは…意味を知っていてのことでしょうか。私に似てロマンチストですからね
スタンドとソーサー、温かいカップを配置してミルクを少々、その後紅茶を静かに注ぐ
トレイを片付けた彼は向かいの席に座った
ありがとうございます、と礼を言ってカップを手に取る
ミルクに溶けた柑橘の香りがふわりと空気に広がった
「では…いただきます」
「はい、どうぞ」
まずは紅茶を一口
スイーツと合わせるからか甘さ控えめで作られている
彼の作る英国式のミルクティーは自分のよりも美味しく感じられた
「紅茶を淹れるのが上手になりましたね、私好みだ」
「そりゃあそうでしょう。あなたから教わった淹れ方なんですから」
「ふふ、そうでした」
続けて、スコーンを手に取る
綺麗な焼き色のシンプルなスコーン。勿論こちらも英国式だ
半分に割って、ジャムとクロテッドクリームを塗っていただく
クロテッドクリームの程よいミルク味とジャムの甘酸っぱい味、スコーンの塩味が上手くマッチしていてとても美味しい
それにしても…
「このジャム美味しいな…」
「モノがいいからでしょうね、そのまま食べても美味しかったですよ」
「そうですか…私からも何か贈り物をしたいですね。どうでしょう、私の料理とk」
「いえ、お気持ちだけで十分です」
…なんか食い気味で答えられた気がする
いや、きっと謙虚な気持ちが前に出てしまったのだろう。私に遠慮なんてしなくていいのに…
そうだ、今度私のスコーンをご馳走しよう
息子達にはすこぶる不評だが彼は気に入ってくれるかもしれない
溢れた小さな笑い声に向かいの彼が震えた気がした
その後も、紅茶とスイーツをいただきながら、ゆったりと会話を楽しむ
会社での出来事や息子たちへの愚痴、家での日常など…他愛のないありふれた会話
それでも彼は自分事のように耳を傾け、色んな反応を返してくれた
聞き上手とは彼のような人のことを言うのだろう。ついつい語りに熱中してしまった
空のカップに紅茶を注いで、残り僅かになったスイーツを手に取る
ローズピンクのマカロンの、滑らかな手触りに、発祥国のある言葉が呼びおこされる
「マカロンを作るのはとっても難しいんだ。ちょっとやそっとの練習じゃ絶対作れない。職人の努力と繊細な美しさが同時に味わえる、まさに宝石のようなお菓子なのさ」
料理に相当な情熱をかけているフランスの言うことだ。これだけ美しく作れるのは正しく日本さんの努力の賜物なのだろう
そう思うとなんだか愛おしさが込み上げて、食べるのが勿体なく感じる
美しいといえば、ミニタルトもそうだ
ナパージュを纏った苺はまるでルビーのよう
そういえば…この苺、日帝が栽培していると言っていたな
甘みが強いのは彼の好みなのだろうか
思えば、私の文化を見せた時、アフタヌーンティーのケーキに目を輝かせていた気がする
甘党とは可愛いところもあるじゃないか
なんて、懐かしい記憶を思い返しつつ真っ赤なタルトを食む
そうだ、真っ赤といえば…
「イタリアから聞きましたが、昨日息子がまたご迷惑をおかけしたようですね。店の事情も考えろと言ってはいるのですが…」
浮かんだのは、真っ赤な顔で怒るイタリアの姿
静かな仕事場で周りの迷惑も考えず騒ぐ彼には辟易としたが…まあ、気持ちは分かる
あのバカ息子、何度言ったって聞きやしない。”あの頃”のように躾なおしてやろうか
「いえいえ…それだけ私との会話を楽しんでいただけているのなら、私としてもうれしいですよ」
「遠慮せず文句のひとつくらい言ってくださっていいのに…貸切っている日は独占できるのですから、それで我慢するよう強く言っておきます」
あの子は日本さんのこと好きすぎる節がありますからね。我儘なのもあって困ったものだ
独り言のようにわざとらしく呟く
「はは…助かります」
いつもの熱烈な挨拶を思い出したのか、苦笑いを浮かべた
…この様子だと、多分まだ本気だと思われていない。まあ日本さんにはあの子の”恋人”になって欲しい訳では無いから好都合だが
奥手な相手を堕とすのに、暑苦しいアピールは逆効果
時間をかけて外堀を埋め、時に大胆に行動するのがセオリーというものだ
デザートフォークを静かに置いて、目線を寄越す
パチリと目が合った彼は不思議そうな表情をしていた
「日本さん。私、思うのですよ。大好きな母親からの言葉なら、あの子のワガママも改善するのではないかと」
「どうです?貴方がそのポジションになってみませんか?」
「……………へっ!!?」
いくら鈍くとも、聡明な頭脳はちゃんとその意味を理解出来たらしい
頬から湧き出た熱があっという間に顔全体に広がっていった
「それって…イギリスさんと結婚するってことですよね?」
「はい、そうなりますね」
「母親は百歩譲るとしても…イギリスさんはそれでいいんですか!?私男ですし可愛くないですよ!?」
ほう。提案者である私にそんなことを聞くのか
自分より他人優先、無意識な思考に彼の人格を感じる
「私は大歓迎ですよ。貴方が配偶者だなんてさぞかし幸せでしょう」
「も、もう!大真面目に冗談言わないでくださいよ!本気だと誤解しちゃうじゃないですか〜」
………ハハ。冗談、ね…
「これでも私、貴方には実直なんですよ」
黒の瞳を縛る、真っ直ぐな視線
受容を強制され熱暴走を起こす彼の脳
もうすぐ倒れてしまいそう、その時、ちょうど鳴る夕方の時報。ティータイムのタイムリミットだ
「あら、時間になってしまいました。楽しい時間はあっという間ですね」
瞬きをして拘束を解く
「そ、そうですね!私も楽しかったです!」
ようやく自由を得た瞳が明後日の方向を向いた
焦る様な物言いからもまだ動揺しているのが分かる
ふふ、なんと可愛らしい
私の思考に気がついたのか、そうだ、と逃げるように厨房に向かい紙袋を持ってきた
「お子さんたちの分のスイーツが入っているので渡していただけますか?」
ブルーベリーのお礼です、と控えめに微笑む
アメリカにもその場で礼を言っただろうに…そういう律儀な所も好ましく思う
「勿論です、皆大喜びしますよ」
大事に受け取って、少しゆっくりめに荷物をまとめた
日没を感じる黄色味を帯びた青空
店の前まで見送りしてくれる日本さんの、一歩前で向かい合う
これからまた仕事か。とても名残惜しいが…平然とスマートに立ち去るのが、紳士の務めだ
「では、私はこれで失礼します。また来週お願いします」
「はい!イギリスさんもお仕事がんばってくださいね!」
優しくハグをして、頬でリップ音を鳴らす
これにて、英国紳士と店主の甘いティータイムはお開きとなった。
コメント
10件
なんて言ったら良いんでしょうか?この滑らかさは... 日米ハーフで日本語が少し下手です... 物語が絵のように浮かび上がってきます。 すごい才能ですね フォロー失礼致します。
日本の柔和な優しさとか紳士なイギリスとかとか、何というか、こちらに伝わってくる雰囲気がとっても素敵で、、✨そして毎話のことですがとにかく食べ物の描写が凄く美味しそうで魅力的で憧れます! 長文失礼しました。
今回も最高すぎました .. 😢💖琥珀さんの書く 🇬🇧🇯🇵 って本当に 綺麗 .. なんか すごく 魅力的で大好きです 💞 鈍感な 好きな子って大変 。どうやったら気づいてくれるのか本当に分からないのが 悩みだよねー .. !! 😭 と心の中で ひとりで叫んでました 😌🇯🇵 、母とは言わず 嫁、妻になってもいいんだよ 。結婚式は呼んでね 💖💖💖