救済機構の、その信仰の長、聖女が蘇った巨人を鎮めた。救済機構の儀式に通じていない者でもその神聖さは伝わった。その場にいた皆が、それを目撃し、それ故に、敵対していた大王国の戦士たちは逡巡した。何やら分からないが、大王国と救済機構は共闘関係にあるのだろうか、という迷いだ。
聖女はその隙を見逃さなかった。「ずらかるぞ! シャナリス!」
それは魔法少女狩猟団、団長の名だ。ユカリは久々にその名を聞いた気がした。その体は今ユカリ派の筆頭除く者という使い魔に支配されている、はずだった。
杖で空中を旋回しながらユカリは除く者の姿を探す。しかし今は僧侶の格好をした者だらけで、全く見つからない。
聖女ノンネットの呼びかけに応じた最初の動きは巨人だ。その巨体の中から無数の蝶が、記憶が湧いて出たのだ。本来ベルニージュが使うはずだった魔術は、溢れ出た蝶の飛んで行く先にいた人物、シャナリスによって行使されたのだった。
巨人のこめかみの辺りにシャナリスがいた。ずっと人混みに紛れていたらしい。
「除く者!? ずっと嘘をついていたの!?」とユカリが叫ぶ。
「あ! そうだった! 救済機構の要塞にも除く者がいたんだよ!」とグリュエーが今更報告する。
ユカリ派である除く者は、魔法少女狩猟団の長であるシャナリスの体を乗っ取っているという話だったが、全てはユカリに近づくための嘘だったのだ。他の使い魔たちすら騙していたことになる。
「心苦しいばかりです!」シャナリスはそう叫び返して、まるで友人との別れのように軽く手を振る。「しかしこれはお使いのようなもの! 私の真の目的は変わらず貴女の暗殺です! それでは最後に一枚、笑顔でお願いします」
そう言ってシャナリスは右手の親指と左手の人差し指、左手の親指と右手の人差し指を合わせ、長方形の窓を作って覗き込む。どこかレモニカとベルニージュの開発した魔術の手続きに似ているが、シャナリスがその魔術で手に入れたのは一枚の紙きれだった。一体どのような魔術なのか、渋面で応えたユカリには知る由もないが、一つの謎が明らかになった。最近はなりを潜めていたがユカリがずっと感じていた、魔導書とは別の強力な気配の正体、百人の視線が束になったかのような居心地の悪さはその魔術によって引き起こされていたらしい。
「初めから除く者じゃなかったってこと? でも魔導書の気配は感じる」
「これですね。どうぞお好きになさってください」そう言ってシャナリスは自分に貼り付けていたらしい封印を取り出すとその場に放り捨て、聖女や撤退する僧兵を追って走り去った。
救済機構が立ち去り、大王国が残された巨人の死骸を検める端で、ユカリたちは宴に使われた傷だらけの机に集まって封印の数を数えていた。
「九十七、九十八、九十九。君たちを合わせて百一枚。これで全部だね」そう言ってユカリは瓦礫に貼り付けたかわる者と撮る者に目を向ける。
全ての魔導書を集めると封印されてしまうので二人には少し距離を取ってもらっていたのだった。
「他の使い魔たちは覚悟を決めたようだけど」とかわる者が切り出す。「貴方はどうなの? 撮る者」
くたびれた中年の男のような姿の撮る者は控えめな笑みを浮かべる。
「ええ、構いませんよ。覚悟なんて大それたものはありませんが、いずれこうなるだろうと思っていました。歴史の大きな流れの一つの転換点として、私は受け入れます」
まるで死に臨むかのような眼差しにユカリは緊張する。絶対に使い魔たちの魔術を再現する、などと約束できない自分がもどかしかった。
「それにしても素敵な魔術だね。出来れば教わりたいところだけど」とグリュエーが机の上に無造作に散らばった数枚の紙片を見つめて言った。
そこには様々な景色が精巧に描かれている。日の沈む海の輝き、霧に煙る山々の静けさ、盛況な街の市場の活気まで何もかもが真に感じられた。
「この魔術のためにユカリさまを盗み見ていたのですわね? シャナリスは」とレモニカは責めるように言う。
「そうです。でも目的はよく分かりません。暗殺の機会を窺っていたのでしょうか。その機会があったのかは、暗殺者ではない私にはよく分かりませんが」
「少なくとも我々は警戒していたがな」とソラマリアは断じた。
我々というのはソラマリアとベルニージュのことらしい、とユカリは二人の様子を見て知る。完全にシャナリスを信じ切っていたのはユカリだけだった。
「教えてくれたら良かったのに」とユカリは零す。
「信じ込んでるだなんて思わないし」とベルニージュに痛いところをつかれる。
「ユカリさまは撮る者の気配を感じていたのですから真実味を感じるのは仕方ありませんわ」とレモニカが味方してくれる。
「私も、一度除く者を貼り変えて以後は信用していましたね」とソラマリアが少し寄り添ってくれる。「しかしあの時の封印の表面はそれとは違っていたぞ」
ソラマリアの指さした撮る者の封印には箱を持って身構える蟻食いが描かれていた。
「ああ、こういうのは得意なんですよ」
そう言って撮る者は机の上に絵を追加する。箒を持った海獺の戯画だ。沢山のユカリの絵と同様、寸分違わぬ絵が描かれている。
シャナリスが何のために接近してきたのか、まさかこの絵の為ではないはずだけど、そう思いながらユカリは机の上の紙片を見つめる。
「これって写真だよね? この世界にもカメラがあるの?」
ユカリの言葉に面々がそれぞれに反応する。ベルニージュは隠し事を責めるようにユカリを見つめ、レモニカは言葉を吟味するように首を傾げ、ソラマリアはユカリから撮る者へと視線を移し、グリュエーは変わらず写真を見つめている。
「ええ、写真と同じものです」と撮る者は言った。「しかしカメラはおそらくまだありません。この魔術を修めている私にも知る由のないことです」
「カメラがまだ発明されていないのに、写真はあるだなんて」
「魔法少女だって、この世界に無かったはずでしょう?」
「それはそうだけど――」
「ねえ!」とベルニージュが我慢できずに口を挟む。「皆にはまだ話してないんじゃないの?」
レモニカ、ソラマリア、グリュエーは何のことだか分からない、という顔をしている。
ベルニージュには既に話した内容を繰り返す。前世のユカリはある少女の妄想として生まれ、魔法として形を得て、今こうして転生したのだ、と。
「そうして『わたしのまほうのほん』は私に転生したというわけ」
「『わたしのまほうのほん』?」と言ってベルニージュが首を傾げ、責めるようにユカリを見つめる。
ユカリは何とか堪え、「しまった」と口には出さなかったが顔に出てしまった。
「まだ隠し事があったみたいだね」
ベルニージュは口元に微笑みを浮かべつつも、目は笑っていなかった。
『我が奥義書』もとい『わたしのまほうのほん』。
『咒詩編』もとい『プリンセスのおまじないポエム』。
『禁忌文字録』もとい『さい強マ法文字の本』。
『宝物文書』もとい『たからのちづ』。
『偶像異本』もとい『スーパーアイドルみどりちゃん』。
全てを洗いざらい話したが、ユカリは急に恥ずかしくなってきて、誰の顔も見られなかった。如何に頬が紅潮しているか、写真を見せられ、逃げるように机に突っ伏す。
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