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20 - 第20話 海に沈む花火(5) side藤井香澄

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2025年07月11日

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夕方、ロケチーム全体のグループチャットに正式な通達が入った。本日の撮影は中止。明朝の再開に向けて、現地組は全員、一泊することが決定された。


手配を担当していたディレクターが近隣のホテルをおさえ、そのまま夕食を兼ねた「夜の作戦会議」が開かれる流れになる。


集合まで少し時間があったため、辻堂駅前のテラスモール湘南へ立ち寄り、最低限の着替えと洗面用具を買い揃えた。観光地らしい人通りのなかを荷物抱えて歩くのは不思議な気分だった。


ホテルでシャワーを浴び、少しのんびりしてから再集合。レストランに着いたのは、18時を少し過ぎたころだった。


場所は逗子海岸沿いのリゾートレストラン。白木の床に高く回る天井ファン。潮風をまとった空気がゆるやかに流れていて、入り口のグリーンアーチを抜けた瞬間、グラスの音と控えめな音楽が混じり合って耳をくすぐった。


テーブルにはすでに前菜やビールが並び、日中の張り詰めた空気がほどけていくのが、肌の感覚から伝わってくる。


「朝6時集合とか、マジで起きれる気がしない……」

「でも逆光のカット、今逃したら絶対後悔するやつっすよね」

「帰ってまた来るより全然いいよねー!てゆーかこれ超美味しい」


あちこちの席から軽口と笑い声が立ちのぼる。

グラスの氷をくるくるとまわす指の感覚とともに、その空気が染みてくるようだった。


視線の先で、岡崎が少し離れた席に腰かけている。誰かの話に笑いながら、軽やかに相槌を打っていた。ゆるんだ口元、よく通る声。その輪の中心に自然といるようなその姿は、どこか頼もしくもあり、気安くもあり──けれど、ときどき視線が勝手にそちらへ引き寄せられることに気づくと、少しだけ落ち着かなくなる。


グラスを置く手がふと止まる。そのタイミングで、岡崎が席を立ち、こちらへと歩いてきた。


笑いの余韻をわずかに引いた顔で腰を下ろし、視線を注いでくる。驚いたような、半分呆れたような顔つきだった。


「…あなたなに、それウーロン茶? なに真面目にノンアル飲んでんの」


「違うよアイスティーですっ。…なんか作戦会議も兼ねてるしさあ。酔わない方がいいのかなと思って」


「…なーにを。なにを真面目言っちゃてんの、藤井は。みんなもうそんなん気にせずグイグイいってるんだから。ほらあなたワイン好きなんでしょう? 飲みなさいよ遠慮なく」


「……なんであたしがワイン好きなの知ってるのよ」


「お? あたった? まあ、あなた顔に書いてあるし、ワイン日本酒大好きな飲兵衛ですって」


「だれが飲兵衛よ失礼なっ」


「…お。これまだいっぱい残ってるじゃん」


と、ワインボトルを手にした岡崎が、

トクトクトクと気前よく新しいグラスに注いで、

ほら。飲め。と不躾に差し出してくれる。


「…ありがと」


グラスを受け取って口元に運ぶと、頬杖をついた岡崎が、何も言わずその様子を見ていた。

ふっと優しく笑って。


「でもさ、藤井、なんだかんだ機材トラブってくれたおかげで、うまいもん食えて、泊まりもついて……ちょっとした小旅行じゃない? 当たりだったかもよ」


「まぁそうなんだけど…うーん、岡崎ってほんとポジティブすぎるよね」


「あぁっ? いんだよっ。ポジティブは世界を救うんですよ。あなた、知らないの?」


言いながら、隣の男はくしゃっと笑った。

ひと呼吸遅れて、グラスの中の氷が、カランと音を立てた。


フォークを取って、目の前のプレートに手を伸ばす。

少し前に運ばれてきた魚介のマリネ。オレンジピールとハーブの香りが、口の中にふわりと広がった。


少し熱が抜けた夜気が、窓のすき間から静かに流れてくる。


会話は止まったまま。それでも、不思議と気まずさはなかった。


すぐ隣で電子音が小さく鳴った。

岡崎がスマホを手に取り、通知を一瞥する。

親指で数文字だけを打ち、伏せるように画面を閉じた。

ほんの数秒。特に表情を変えたわけでもない。


けれど、ふっと目元が和らいでいた。

誰かを思うような──そんな、わずかな余韻だけを残して。


なんとなく心がざわついた。

けれど何も言わず、ただナイフとフォークを動かす。

訊く必要はないし、訊いたところでどうにもならない。

いらない感情でもやもやするだけだ。

いまはただ、こうして岡崎と笑って過ごせている。それで、十分だと。そう思うことにした。


──


レストランを出たのは、21時を少し過ぎた頃だった。


「おつかれ! こっからは各々二次会いくなりなんなりして〜ただしおめーら、明日は絶対遅刻すんなよ」


顔を赤くしたディレクターが手を振ると、スタッフたちは順にタクシーに乗り込み、二次会やホテルへと流れていく。


「藤井さんも二次会いこーよお」


と何人かに声をかけられたけれど、暑さと緊張が続いたせいか、その気になれず丁寧に断りをいれた。


少しあとの方に岡崎もやってくる。

じゃーなー!と二次会組に手を振っていた。

どうやらこの人も、騒がしい場所はパスしたようだった。


夜の潮風が通りを吹き抜ける。

パラソルがゆっくりと揺れて、街の灯りが海の向こうにじんわりと滲んでいた。


「ちょい待って、藤井」


岡崎が立ち止まり、こちらを振り返る。


「なぁんか…俺、まだ、酔っぱらいなんですよ」


そう言いながら、つま先で地面をコツコツ蹴る仕草。

頬の赤みが残る顔で、ちらりと海の方を見る。


「せっかくだしさあ、車で戻るのもつまんないし。遠回りだけど、歩いて帰らん?」


気まぐれのような口調のなかに、ほんのすこしだけ真面目さがにじんでいた。


数秒の間をつくってから、こくりと頷く。


その胸の奥に、少しだけ高鳴るものがあることを、誰にも気づかれないように。


「……うん。いいよ。せっかくだし。」


「お、よっしゃ。じゃあ観光地の夜、堪能しましょうや」


肩越しに笑った岡崎の声が、潮風にまぎれて、やさしく響いた。

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