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Side深澤
俺の人生に、「予備校」なんて言葉が登場する日が来るとは思ってもみなかった。
なんかもっとこう、ロックな未来が来ると思ってたんだけど。ライブとか、アイドルとか、ラーメンの食べ歩きとか、もっとフリーダムなやつ。
だけど俺はいま、母さんの目の前で、あまりに正面から「予備校」という現実を突きつけられていた。
「……ちょっと、意味が分からないんだけど」
俺はテーブルの上の模試の紙を見つめた。名前の隣には、見慣れた自分の字。
その下には、見慣れたくない点数。
「意味は、はっきり出てるでしょ。はい、ここ。“E判定”。」
母さんがスッと赤ペンを指し示す。しかもニッコリ笑顔。こわい、こわいこわいこわい。
笑ってるけどぜんぜん笑ってない。あの目は、100%、予備校ブチ込むモードの目だ。
「まだ中学生だよ俺!?予備校って……大学受験の人たちが行くところじゃないの!?」
「今の子はね、中1から行ってるの。え、中3のくせにまだ行ってなかったの?って驚かれる方だから。もうそんな時代なのよ。」
なんだその時代……誰が作ったんだよ。俺の知らないとこで、いつの間にそんな新時代が幕を開けてたんだ。
「しかもさ、E判定って、最底辺でしょ?もうアルファベットにこれ以上ないくらい失礼だよね?ZでもXでもなく、Eって……なんか、ちょっと惜しい感じ出してんじゃん……」
「惜しくないのよ。ビタイチ惜しくないの。むしろ清々しいくらいのE。」
母さんは自信満々に断言した。そんな風にハッキリ言われると、もう何も言い返せない俺。
頭の中がE判定のEでいっぱいになって、もはやEが何の略だったかも分からなくなってきた。Emergency?End?Eh〜〜〜〜〜?(←これが正解かもしれない)
「とにかく、見学だけでも行ってみて。○○予備校。駅から近いし、知ってる子もいるかもよ」
「え〜〜〜」
「“え〜〜〜”って。どうせこのままだと志望校も危ういんだから。別に本格的に行きなさいってまだ言ってないよ?雰囲気見て、嫌だったらやめればいいんだし」
いや、言い方柔らかくなったけど、もう流れ的には絶対行くやつだよこれ。
「とりあえず行ってみて」って、“行ってから文句言え”の裏バージョンだって、俺だって知ってる。
「……じゃあ、行くだけ、行く」
とりあえず、渋々うなずいた。でも内心はもう、重たいランドセル背負って、未来に詰め込まれたE判定の石ころを拾い集めて歩く旅路だった。
ああ……俺の中学生活、今、ちょっとだけ、終わったかもしれない。
―――――――――――
放課後の教室に、夕日が差し込んでいた。
カーテンが風でゆれて、パタパタと小さな音をたてる。だけど俺の世界はまるで無音。
机に突っ伏して、額を冷たい木の天板に押しつけながら、俺はひとりで静かに沈んでいた。
ああ……世界の終わりって、たぶんこんな感じ。
「……なにその絶望スタイル。死んだの?」
急に耳元に聞き覚えのある声が落ちてきた。振り返るまでもない、**目黒(通称めめ)**だ。相変わらず低い声で、テンションだけは高くないのに、なぜか存在感だけがデカい。
「いや、死んでないけど……心がちょっとE判定」
「E!?なにその新しい病名?“E判定症候群”?」
椅子をひとつ引きずって、俺の机の隣に座りこむめめ。その背後から、スキップでもしてきたかのような勢いで、康二が教室に飛び込んできた。
「ちょいちょい〜、ふっかさん〜!聞いて〜!今日うちの犬がさ〜って、……え、なにその空気。誰か告った?」
「告ってない!あと告られてもない!しかも犬の話のテンションで来んな!」
「じゃあなに?失恋?落選?オーディション?……あっ、成績か?」
ビンゴ、という音が頭の中で鳴った気がした。康二の無邪気な推理が見事に核心を突いてきた。
「……予備校行くことになった……」
「え、マジで?」
「ちょ、マジか。ふっかさんが“予備校男子”になる未来、誰も想像してなかったよ?」
めめが真面目な顔して首をかしげる。康二はもう笑いを堪えきれずに、「うっわ〜似合わん〜」と机に突っ伏して爆笑している。
「いや、わかってる。俺もビジュアル的に似合わんのは自覚してるけどさ。母さんが、模試の結果見て“はい、アウト〜”って。秒でパンフ持ってきた。」
「……成績、そんなやばかったん?」
「うん。“E”って書かれてた。あれ見た時、エンターテインメントの“E”かなって一瞬ポジティブに解釈したけど、違ったわ。完全に“End”のEだった。」
「いやそれポジティブすぎるやろ。てか芸能やってるのに、予備校って……反対方向やん?」
「そうなんだよ!俺のやりたいことって、数式と関係ないのに!XもYも、俺の人生に出てこないでほしいのに!」
「そのY、たぶん三角関数やな」
「今はYじゃなくて“Why”なんだよ、康二。なんで俺が、なんで予備校なのかって」
めめがふっと笑って、「でもさ」と言った。
「ふっかさん、たぶんさ……そうやって“予備校で落ち込むタイプ”って、めっちゃ漫画の主人公っぽいよ」
「は?」
「だってさ、突然行かされる予備校で、運命的な出会いがあって……“その人に出会ってから、人生が変わった”みたいなやつ。めっちゃあるじゃん?」
「それ、少女漫画やん」
「うん。ふっか、主人公顔じゃないけど、主人公ポジにはなりそうな気がする」
「どんなフォローそれ……」
康二も横から、「でもさ〜」と調子を合わせてきた。
「予備校ってさ、意外と楽しいって聞くで?ジュースの自販機とか豪華やし、席にコンセントとかついてるらしいで?」
「え、そこポイントなの?」
「うん。あと、イケメン講師とかいたら、それはそれで良くない?“この先生の言うことなら英語覚えられるかも……”的な!」
「ちょっとは勉強の話して!!」
俺はつい叫んでしまったけど、ふたりはゲラゲラ笑いながら肩を叩いてきた。
「大丈夫やって。ふっかなら、どこ行ってもなんやかんや馴染むって」
「てか、予備校終わったら、また一緒に練習いくやん?ちゃんと間に合う?」
「たぶん……ギリ?」
「じゃあ頑張ろ!俺らは仲間やから!勉強も踊りも、全部やったらええやん!」
「青春フルコースかよ……」
ため息をつきながらも、心の中はほんの少しだけ、晴れた。
笑い合う声の中に、自分の居場所があるって感じがした。
俺はまだ何も始めていないけど――もしかしたら、この“予備校”ってやつ、思ってるより悪くないのかもしれない。
―――――――――――
放課後、薄くなった日差しの中で制服の袖を引きずるように歩いていた。
教室を出た瞬間、ふっと思った。今日はいつもならダンスレッスンの日だったはずだ、と。
なのに俺は、体育館でもスタジオでもなく、“○○予備校”って名前のパンフレットをカバンに突っ込んで、駅に向かってる。
なんか……変な感じだ。
違和感がある。身体の奥のほうで小さな歯車がひとつズレたみたいな、そんな感覚。
駅前の交差点に差し掛かると、人、人、人。制服の学生、買い物帰りの大人、スーツ姿のビジネスマン。
みんなスマホを見て、音楽を聴いて、誰かと喋って、それぞれの目的地へ急いでいた。
すごいな、この街。こんなに人がいるのに。すれ違う数秒の中で、誰ひとりともちゃんと目が合わない。
ふと、心の中でつぶやいた。
「こんなに人いるのに……昔のアイツとは会えないんだな」
あれは、まだ小学生だった頃。通っていたダンススクール。
俺のダンス人生の原点ともいえる場所で、ひとりの子と出会った。男の子だった。小柄で、でも踊り始めると、空気が変わる。
音を身体で受け止めて、それをそのまま動きに変えるみたいな、そんな踊り方をする子だった。
最初はちょっと、悔しかったのを覚えてる。
自分よりずっと上手くて、自分より何倍も楽しそうに踊ってて。
でも、それ以上に、その子と踊るのが楽しかった。
フォーメーション練習のとき、いつも自然と隣になることが多かった。
振りが合った瞬間、目が合って、二人でニッと笑い合ったのもよく覚えてる。
小さなスタジオの鏡に、俺とそいつが並んで映ってて、リズムを合わせて飛び跳ねてる。
誰に見せるでもなく、ただ踊ることが、楽しくて、嬉しかった。
いつの間にか、スクールに来なくなった。
理由も分からないまま、挨拶もないまま。気づいたら、姿がなかった。
一度だけ、講師の先生が言ってた。「転校したんだってさ」って。
駅の雑踏の中で、俺はふと立ち止まった。
思い出って、こんな風に、不意に胸に押し寄せてくるんだな。
携帯の通知が鳴って、我に返る。
画面を確認すれば、「○○予備校 案内開始時間:17:30」の文字。
現実に戻される。俺の足はもう、過去じゃなくて“未来に向かって”歩かなきゃいけない時間にいた。
でも。
心のどこかで、思ってしまう。
――もし、あの人が、まだこの街のどこかにいて。
――もし、偶然にも同じ空間にいることがあったなら。
そんなありえない想像をしながら、俺はまた歩き出した。
ちょっと重たいカバンを引きずりながら、夕暮れの駅へと足を進めた。
―――――――予備校の建物は、思っていたよりもずっと綺麗で、静かで、整っていた。
落ち着いた色味の外壁に、ガラス張りの自動ドア。玄関前の植え込みには紫陽花が咲いていて、風に揺れていた。
「……なんか、病院っぽくない……?」
無意識に呟いて、我ながら場違いなことを口走った気がして、自分で小さく笑った。
緊張してるんだ、たぶん。こんな場所に来るの、初めてなんだから当たり前だ。
でも、そんな気持ちを押しのけるように、さらに玄関の方へ歩いていった――そのときだった。
入口のすぐ横で、何か言い争うような男女の声が聞こえた。
空気が少しピリついている。すれ違う人たちが目を逸らすように避けて通っているのを見て、俺も自然と歩幅を速めた。
(うわ……関わりたくない……)
そんなふうに思いながら通り過ぎようとした、その瞬間。
「もう!送ってってってば!」
女の子の少し甘えた、だけど苛立ちを含んだ声が響く。
そのあと、落ち着いた、でも困ったようなトーンの男の声が返ってきた。
「いやいや……一人で帰れるだろ。今から俺、用事が……」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がギクリとした。
振り向かなくても、心がざわつく。目線をそっと横にずらす――そして、見てしまった。
男の子の横顔。少し日焼けした肌に、整った眉。
背筋が伸びていて、制服のネクタイが少し緩んでいる。
喋るときにちょっと首をかしげる癖、変わってない。
一瞬で分かった。
――照だ。
間違いない。小学校の頃、一緒にダンスを踊って、笑って、並んで汗をかいた、あの男の子。
俺の中でずっと時間が止まったままだった“思い出の人”が、目の前にいた。
だけど、その照の隣には、女の子がいた。
制服のリボンが風でふわっとなびいている。彼に向かって、少し上目づかいで何かを言っている。
彼女だろうか。それとも、ただの友達?
胸の奥が、ぐっと痛んだ。
声をかけようと、口が動きかけた。でも、動かなかった。
言い争ってる。しかも、親しそうに。
俺なんかが今さら「久しぶり」なんて言って割って入る隙間なんて、どこにもない。
目が合いそうになった瞬間、俺は顔を背けた。
俯きながら、まるで逃げるように予備校の自動ドアをくぐり抜けた。
冷たい空気が頬をなでる。受付のロビーはシンと静まり返っていて、さっきまでの雑踏が嘘みたいだった。
受付の人に声をかけられて、ぎこちなく返事をしながら、手にしたパンフレットを抱きしめた。
「……やっぱ、俺、こういうとこダメかもな」
ぽつりと、誰に向けるでもなく呟いた。
――――受付では、名前を確認され、見学者用の名札とパンフレットを渡された。
「今日の見学の方ですね。教室は3階、エレベーターの奥になります」
受付の人の丁寧な声に、こくりと頷いて返す。
自分の声が少し上ずりそうだったから、あえて声に出さなかった。
エレベーターに乗ると、静かな空間に“チーン”という音が響いた。まるで心の緊張を測るかのような、機械の無機質な音。
教室の中は、想像よりもずっと整然としていて、白いボードと、並べられた机、背筋を伸ばして話す講師の声。
そのすべてが、どこか現実味を感じさせなかった。
黒板の内容、説明されたカリキュラム、提出物や試験日程。
全部聞き逃さないようにノートをとって、頷いて、ちゃんと前を見て。
けど心のどこかは、ずっと――あの玄関先のことを引きずっていた。
(やっぱり、照だったよな)
そして隣にいた女の子。どうしても気になる。でも、それを考えるのは意味がないと思って、ノートの文字を濃くしていった。
1時間と少しの説明が終わり、「本日はありがとうございました」の声が聞こえて、ようやく椅子を立つ。
まだ緊張が完全には解けないまま、荷物をまとめて教室のドアへ向かおうとした――そのときだった。
「……あれ、やっぱふっかじゃん!!」
後ろから明るく、よく通る声がして、心臓が跳ねた。
振り向くと、教室の入口に立っていたのは――やっぱり、照だった。
制服のまま、少し乱れた髪に、満面の笑み。
目を見開いて、信じられない!って顔をして、嬉しそうに近づいてくる。
「うっわ、マジで!?久しぶりすぎ!どうしてここに!? え、え、いつから来てんの?」
「……今日、初日」
「マジかー!え、俺、最初見てたんだよ。あれ、似てるな?って。でも声かけられなくて。てか、急に帰ろうとしてたでしょ?」
「う、うん……人多かったし……」
「変わってないな〜ふっか。あんま人混み得意じゃないもんな?」
そう言って、くしゃっと笑った照の顔を見て、胸の奥がふわっと温かくなった。
数年ぶりに会ったのに、まるで昨日も一緒に踊ってたかのような空気。
あの頃のままの笑顔。そのままの声。
「……てか、ほんとに照?」
「ほんとに俺だよ。ちょっと身長伸びたかな。ふっかも変わんないじゃん。」
「え、そうかな」
「そっか、受験か。……って、ふっかもここ通う予定?」
「ああ、うん。親に言われて、ここ通うことになってさ」
「あー。ここ、思ったよりいいとこだよ。先生も面白いし。俺、結構気に入ってるから安心して」
照の声には、自信と少しの照れが混ざっていた。
それを聞いて、少しだけ心が楽になる。自分もここで、なんとかやっていけるかもしれない。
――それに、照がいるなら。
「なんか、不思議だよな。また会うなんてさ。ダンススクールのとき以来だもんな」
「うん。あの頃、急にいなくなったから。びっくりした」
「……うち、引っ越したんだ。そのあと別のスクール行って、今はこっち。……ふっかのこと、ずっと気になってたよ」
「……俺も、ちょっと、思い出してた」
「じゃあさ、これからまた一緒じゃん」
「……うん。よろしく」
言い終えた瞬間、自分でも驚くくらい自然に笑ってた。
少し前まであんなに不安だったのに、照の笑顔と声ひとつで、こんなにも心が軽くなるなんて。
階段を並んで降りる帰り道。
「しかしさ、マジでビビったわ〜。まさかふっかが来るとは思わんかったもん」
「俺も。まさか照がいるとは……ほんとに、運命かと思った」
「うわ、今ちょっとキザじゃん」
「や、ちが……いや、でもさ。……会えて嬉しかったよ」
そう言ったら、照が一瞬黙って、次の瞬間ふっと笑った。
夕日がその笑顔にかかって、やけに眩しく見えた。
「俺も。……うれしかったよ、ふっかに会えて」
そんな言葉、たぶん何年も誰にも言ってもらってなかった。胸がじんとあたたかくなる。
気づけば、会話のテンポがどんどん昔に戻っていく。足取りも軽くなっていた。
「てか、照ってさ、昔からああいうとこ来ても堂々としてたよな。スクールの体験のときも、1人でめっちゃ踊ってたじゃん」
「えっ、それ覚えてる?うわ〜恥ずかしっ」
「しかもさ、“じゃんけんで勝ったらセンターな”って言って、俺にめっちゃ挑んできたよな?」
「いや、それ俺の美学。勝ち取るセンターが至高、ってやつ!」
「うわ、言ってた!なつかしっ!しかもそれで負けて泣いてたじゃん」
「泣いてない!目に汗が入っただけ!」
「それ言い訳にしてたのも覚えてるわ!」
ふたりで笑いながら、階段をとことこと降りていく。
一段一段踏みしめるごとに、空気がどんどんやわらかくなって、心が軽くなるのを感じた。
予備校の玄関を出ると、空にはもう月が浮かびはじめていた。
街灯がぽつぽつと灯りだして、放課後の喧騒は少し落ち着いたようだった。
「そういえば、照はさ。今も踊ってるの?」
「うん。続けてるよ。ていうか、俺なりに本気でやってる。夢もあるし」
「夢?」
「うん。ふっかもそうでしょ?ダンスしてる人って、結構“その先”に行きたい人ばっかだし」
「まぁ……うん。自信あるわけじゃないけど、俺も、できるとこまで、やってみたいって思ってる」
「そっか。なんか、いいな。……ふっか、雰囲気変わったけど、中身は変わってないね」
「え、変わった?」
「うん。ちょっと落ち着いたけど、ちゃんとふっかって感じがする」
「……どんな感じだよ、それ」
「んー……言葉にすると照れるけど、“俺の知ってるふっか”って感じ」
その言葉に、少しだけ鼓動が速くなった。
風がふっと吹いて、制服の裾が揺れる。歩道の並木の葉がざわざわと音を立てて、まるでふたりの会話を包み込んでくれるようだった。
「なぁ、ふっか。これから一緒に帰れたら、楽しいな」
「……俺もそう思ってた」
「まじ?じゃあ、決まり。明日も一緒に帰ろ!」
笑って言う照の声が、こんなに近くで響く日が来るなんて。
少し前まで想像もしてなかったのに――また、並んで歩ける日が来るなんて。
この帰り道が、始まりになる気がした。
ただの偶然じゃない。そう思えるくらい、心が自然に、照に向かっていた。
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