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第43話:神を斬り捨てて、ようやく人間に戻る
椿の足音が扉の向こうへ遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。それでも焔はしばらくの間、椅子に座ったまま動かなかった。
卓の上には、椿が残した数枚の覚書が乱雑に広げられている。女官たちの伝手を通じて集めた、材料調達の不自然な日付。教会の配布記録。玄安の指示が及んでいたと思しき痕跡。確たる証拠と呼べるものは、その中に一つもなかった。だが、それで十分だった。状況証拠を並べただけで、焔の中では既に全てが一本の線で繋がっていた。
手にしていた杯を、焔は無意識のうちに握りしめていた。薄い陶器が、ピシリと軋む。次の瞬間、それは粉々に砕け散り、鋭い破片が掌に深く食い込んだ。血が、ぽたりぽたりと卓上に滴り落ちていく。
以前ならば、この程度の傷など気にも留めなかっただろう。だが今の焔には、常人と同じ痛みが備わっているはずだった。……それなのに、焔はその痛みに気づいていない。頭の中を占めているのは、もっと別の、もっと鋭い何かだった。
治療薬に欠陥など、最初から存在しなかった。彩が善意で託されたレシピを、玄安が回収し、材料の調達という名目で掌握し、後から仕込んだ偽の欠陥品とすり替えた。称賛を最大限まで積み上げてから、最大限の落差で突き落とす……、それが、あの糸目の狸の、迂遠で緻密な仕込みだった。
玲は、拘束される直前、城下でその改竄の痕跡に自らたどり着きかけていた。あと一歩で、証拠を掴めていたはずだった。それなのに、その一歩を踏み出す前に、何者かに攫われた。
そして、帰還した玲を待っていたのは、地に落ちた評判と、完治した焔の身体だった。もう自分は不要だ、玲はそう誤解した。幼い頃、跡取りが生まれた瞬間に用済みとして森へ追いやられた、あの記憶と重ね合わせて。
焔は奥歯を噛み締める。あの素っ気ない置き手紙が、脳裏に焼き付いたまま消えない。あれは、冷淡な別れの言葉などではなかった。生涯で初めて何かを望んでしまったことへの、精一杯の自己防衛だったのだ。
(……皇后になった後も、と、俺は言ったはずだ。そうだろう、玲……、)
行き先は、国境沿いの森の小屋。椿が最後まで守り抜いた、玲との約束の中身。焔はそれを聞いた瞬間、今すぐにでも馬を出して探しに行きたい衝動に駆られていた。だが、その衝動を、焔は歯を食いしばって押しとどめる。今この瞬間に城を飛び出したところで、玲を連れ戻したところで、彼女を悪女に仕立て上げたこの国の空気そのものは、何一つ変わらない。玄安は、いくらでも次の手を打ってくるだろう。玲を、また同じように追い詰めるために。
(それだけは、二度とさせない)
コンコン、と控えめな音がした。夜も更けたこの時間に訪ねてくる者など、緊急の用向き以外あり得ない。焔は、砕けた杯の破片を握ったまま、低く応じた。
「……入れ」
侍従が、恐縮した様子で扉を開ける。
焔は、卓上に流れる血と、割れた杯の破片に気づき、一瞬だけ息を呑んだが、すぐに何事もなかったかのように侍従を見据えた。
「お、御手を……!」
「構うな。それより、話せ」
侍従は戸惑いながらも、明後日に迫った祭礼の次第を、手短に読み上げていく。神獣への祝詞、奉納の品々の目録、そして――
「……それと、宰相様より追加のご報告がございます。今年の奉納祭では、彩様を正式に陛下の御方として神獣の御前にお披露目する運びになったとのことで」
焔の指先が、卓の縁に食い込む。
「……お披露目、だと」
「はい。国内外の憂いを断ち切るため、神獣の御加護のもとで正式にお認めいただく、という趣旨だそうにございます。宰相様は、これにて煌牙帝国の先行きが盤石になると、大層お喜びのご様子で」
焔は、しばらくの間、何も言わなかった。破片を握る手に、じわりと力がこもる。だが、その顔に浮かんでいたのは怒りだけではない。もっと冷たく、もっと確かな――。
何かが定まっていく色だった。
「……そうか」
「陛下……?」
「よく分かった。下がっていい」
侍従が一礼して退室した後、焔はようやく、握りしめていた手を開いた。掌には、幾筋もの赤い線が刻まれている。その痛みに、焔は今、初めて気づいたかのように、小さく口の端を歪めた。
「……ちょうどいい」
ーーお前らが後生大事に飾り立てるつもりの、その舞台。丸ごと、俺がぶち壊してやる
○
それから二日間、焔は表向き、いつも通りのお飾りの名君を演じ続けた。政務をこなし、謁見に応じ、口数少なく、覇気のない様子で。だがそれは、玲を失って以来ずっと纏ってきた虚無の仮面とは、もはや違っていた。
行き場を失っていた喪失感を薪炭に、研ぎ澄まされた一点の怒りが、焔の内側で静かに、確実に、焔火の如く燃え上がっていた。
祭礼前日、玄安が執務室を訪れ、翌日の段取りを事細かに説明していく。いつも通りの、隙のない慇懃さだった。
「明日は早朝より禊を行い、正午に奉納の間へとお降りいただきます。祝詞、供物の奉納の後、彩を御前に召し出し、正式に――」
「……分かった」
「陛下、今回の一件、内々には申し上げておりましたが、これにて国内の憂いは、ほぼ払拭されましょう。彩を正式にお認めいただければ、貴族方の異論も、教会の後ろ盾も、疑いようのない盤石なものとなります」
玄安は、いつもの穏やかな微笑みを崩さぬまま、静かに続けた。
「この国は、もう何の憂いもなく、次代へと続いていくことでしょう。……すべては、陛下と彩の御ため、そして煌牙帝国の未来のためにございます」
その言葉に、焔は何も言い返さなかった。ただ、じっと玄安を見つめる。その視線の静けさに、玄安の糸目が、ほんの一瞬だけ、何かを探るように眇められた。だがそれもすぐに、いつもの穏やかな表情に戻る。
「……陛下?」
「……何でもない。段取りは分かった。下がれ」
玄安は一礼し、静かに部屋を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、焔は誰にも聞こえない声で呟く。
「……盤石、か」
(せいぜい、今夜だけは良い夢を見ておけ)
〇
夕刻、同じ執務室に、彩が控えめな足取りで訪れた。
「陛下、少しよろしいでしょうか」
「……何だ」
「明日のこと、その……精一杯、務めさせていただきます。陛下の御名に、恥じることのないよう」
彩は、少し俯きがちに、それでも真っ直ぐな声で続けた。
「それと……陛下、最近、あまりお顔の色が優れないように見受けられて。ずっと、心配しておりました」
焔は、その言葉に、すぐには答えなかった。彼女の懸念に、一切の打算がないことが、かえって焔の怒りを煽った。
「わたくしにできることがあれば、何でも仰ってくださいね。陛下のお力になりたいのです」
「……そうか」
それだけ答えると、焔は視線を窓の外へと移した。彩は、それ以上追及することなく、静かに一礼して退室していく。
一人になった部屋で、焔は小さく息を吐いた。
(……お前は、悪くない)
だがその目には、憐憫の欠片もない。
(悪くないことが、一番始末に負えない)
焔は、腰に佩いた刀の柄に、そっと手を這わせた。冷たい金属の感触だけが、今の焔にとって、唯一確かなものだった。
○
奉納祭当日、焔は白装束に近い禊の装いを整え、王宮の最奥、地下深くへと続く石段を降りていく。この石段を踏むのは、即位の折以来だった。松明の炎に照らされた石壁には、幾百年を経たであろう龍の意匠が、あちこちに彫り込まれている。降りるほどに、空気は冷たく、重く、古びた香の匂いが濃くなっていった。
「陛下、まずは禊、その後に祝詞、御奉納の儀、そして――」
「……分かっている。何度も聞いた」
やがて辿り着いたのは、王宮の規模を凌ぐほどに広大な地下大広間――奉納の間だった。天井は闇に溶けて見えず、太い石柱が幾本も並び立ち、それぞれに大きな注連縄が渡されている。広間の最奥には、幾重もの護符と封印の呪符で覆われた、神獣が眠るとされる封印門がそびえていた。門の前には青銅の香炉がいくつも並び、絶えることなく焚かれ続けてきたのだろう香の煙が、揺らめきながら宙に溶けていく。時折、床の奥深くから、地鳴りとも、龍の寝息ともつかない、低く重い音が響いてくる気がした。それが本当に神獣の存在を示すものなのか、単なる地下水脈の音なのか、誰にも確かめる術はない。
広間には、正装した廷臣たちがずらりと居並んでいた。神官長を筆頭とする神官・巫女たちが、鈴を鳴らし、舞を捧げながら、場を清めていく。太鼓の音が、規則正しく広間に響き渡った。
居並ぶ女官たちの列の中に、焔はふと、椿の姿を見つけた。目が合った瞬間、椿は小さく、ほとんど気づかれないほどの角度で頷いた。それだけだった。だがその一つの仕草に、焔は確かな意志を受け取った。
――お行きなさい、陛下。
(……心配するな。俺は、もう迷わない)
儀式は、粛々と進んでいく。神官長の祝詞に合わせ、焔は封印門の前に進み出て、米、酒、絹といった奉納の品々を、定められた作法通りに供えていった。かつて、玲がこの儀式について迷信だと一蹴していたことを、焔はふと思い出す。信じるも信じないも、今の焔にはどうでもよかった。この空間そのものが、玄安の築き上げてきた正しさの象徴であるという、その一点だけが重要だった。
「これより、御奉納の儀、滞りなく相整いましてございます。……続きまして」
神官長が、一度言葉を切り、広間の隅に控えていた彩へと視線を向ける。
「本日はさらに、宰相様のお計らいにより、神獣の儀を執り行います」
広間の空気が、わずかに色めき立つ。廷臣たちの間に、期待と興味の入り混じったざわめきが広がった。
神官長の合図で、彩が広間の中央へと進み出る。純白に近い、清浄を意味する装束に身を包んだ彩の頬は、緊張のためか、わずかに紅潮していた。一歩、また一歩、封印門に向かって進みながら、彩は一度だけ、焔の方へと視線を送る。そこに浮かんでいたのは、不安と、それを上回る決意だった。彼女なりに、今日という日に懸けている想いがある。それを、焔は痛いほどに感じ取っていた。
玄安が、あくまで慇懃な面持ちで、少し進み出る。しかし、この古狸ですら隠しきれていない満足げに歪んだ口角があった。それが、この瞬間のために、彼がどれほどの年月をかけてきたか。その全てが、今、結実しようとしていることを、焔に理解させた。
「神官長殿。……どうか、滞りなく」
「心得ましてございます」
神官長が、封印門に向き直り、両手を高く掲げる。巫女たちの舞が止み、広間が水を打ったように静まり返った。
「護国の神獣よ。ここに集いし者、これなるは花宮彩。陛下の御そばに侍り、共に国の弥栄を祈らんとする者にございます」
広間の隅々にまで、その声が染み渡っていく。
「願わくば、神獣の御加護のもと、彩をこそ陛下の御方として、正式に――」
その言葉が結ばれるより先に、焔の指先が、静かに、腰の刀の柄にかかった。
(……もう、聞くに堪えん)
焔は、封印門を背にしたまま立つ神官長と、その傍らで頬を紅潮させる彩、そして満足げに佇む玄安を、一人ずつ、確かめるように見渡した。
(これから俺が言うことも、やることも。お前らの築いてきた正しさとやらを、全部ひっくり返す)
焔は、一歩、前へと踏み出した。
「……待て」
低く、しかし広間の隅々にまで届くほどの声だった。一斉に、全ての視線が焔へと集まる。神官長の言葉が、宙に浮いたまま途切れた。
「……陛下? いかがなさいましたか」
玄安が、穏やかな微笑みのまま、しかしその声にわずかな戸惑いを滲ませて問う。
焔は答えなかった。ただ、刀の柄にかけた手に、ゆっくりと力を込めていく。
「……この儀式は、中止だ」
短く、低い声だった。それでいて、広間の隅々にまで届く声音だ。廷臣たちの間に、はっきりとしたどよめきが広がった。
広間を満たしていたはずの厳粛な気配が、じわりと不穏なものへと変わっていく。神官長は、宙に浮いた言葉を、喉の奥に呑み込んだまま立ち尽くしていた。中央で頬を紅潮させていた彩も、戸惑いを隠せぬまま、焔を振り返る。
誰も、動けなかった。
焔は、刀の柄から静かに手を離すと、代わりに一歩、石畳を踏んで前へと進み出た。乾いた足音だけが、しんと静まり返った空間に、やけに大きく響く。
「陛下。これは護国の神獣への奉納の儀にございます。滞りなく執り行うことこそ、国家の安寧に――」
「玄安」
低く発せられたその一言だけで、玄安の言葉が途切れた。焔は、糸目の宰相を、真正面から見据える。
「お前に、聞きたいことがある」
「……はて、何のことでございましょう」
いつもの、あの顔だ。何を問われても崩れない、穏やかな微笑み。だが、その下に何が隠されているか、焔にはもう疑う余地がなかった。
「彩」
「……は、はい」
「材料の調達を、父上に頼んだのはいつだ」
「そ、それは……玲様から処方箋を託されて、すぐに……。父上に、お力添えをお願いいたしました」
「その時、玄安は何と言った」
「……『よく話してくれましたね。彩は良い子です』、『任せなさい』と」
彩は、その意味を、まだうまく飲み込めずにいる。
「その代わりに、処方箋の原本を寄越せと言われたはずだ」
「そ、それは、正確な手配のため、と」
「そして、古い数珠を渡された」
彩が、無意識のうちに、数珠のはめられた己の手首にそっと触れる。
「その数珠が、どこから来た品か、お前は知っているか」
「……いいえ。ただ、古い、力のある品だとしか」
焔の脳裏に、かつて奪い取った禁忌の腕輪の記憶がよぎる。確証はないが、拭いきれない符合だけがあった。
「……詳しいことは、俺にも分からん。だが、まともな出所の品じゃないことだけは、確かだと思っている」
この一言に、玄安の糸目が、ほんの一瞬だけ細くなる。だがそれもすぐに、いつもの穏やかな表情に戻った。
「陛下。憶測だけで、そのように仰るのは」
「憶測なら、まだある」
焔は、なおも続けた。
「玲の薬に、欠陥なんてなかった。……お前がそう仕向けたんだろう」
広間に、これまでとは質の違う、はっきりとした動揺が走る。
「教会の『真の治療薬』とやらが配布された記録。その日付は、広場に『欠陥』を告げる高札が立てられるより、ずっと前だったそうだな」
「……あ」
その一言に、彩が息を呑んだ。その表情に一瞬この女を斬り殺してやろうか、という衝動に駆られたが今は抑える。
「彩。お前も、気づいていたんじゃないか」
「わ、わたくしは……その、記録を整理していた時に、少し、日付が合わないような気がして……」
「その時、教会の人間は『玄安が処理したから問題ない』とでも言わなかったか。」
彩の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……仰いました。……確かに、大神官様は、そう仰いました」
「……彩。今は、そのような些末なことに、頓着している場合ではありませんよ」
「些末、だと?」
焔が、玄安に向き直る。声に、初めて明確な怒気が滲んだ。
「まだある。あの日、お前は『行かせてあげましょう。陛下のお心を、誰にも邪魔させてはなりません』と言って、援軍を送ろうとした廷臣たちを制した。……あれは、皇帝への配慮か。それとも、俺が丸腰同然で危地に向かい、無事に帰れようが帰れまいが、どちらに転んでもお前の描いた筋書きにとって好都合だったからじゃないのか」
玄安は、しばらくの間、答えなかった。
「なら、これはどうだ。玲が拘束される直前、薬の色と匂いの違いに、あいつ自身が気づきかけていた。……まさにその時、何者かに攫われた。都合が良すぎるとは思わないか」
「……それこそ、憶測にございます」
焔の言葉に、何かが押し流されたように、彩は震える足で、父・玄安の方へと向き直った。
「父上……教えてください。……今、陛下が仰ったことは、本当ですか」
玄安は、答えない。いつもの微笑みのまま、ただ彩を見つめている。
「父上。……お願いです。違うと、仰ってください」
「……彩。あなたは、良い子です。何も、疑う必要はありませんよ」
「……それは、答えになっておりません」
彩の目に、これまでにない色が浮かんだ。悲しみでも怒りでもない、もっと根源的な、足元が崩れていくような恐怖だった。
玄安は、しばらくの間、彩の視線を受け止めていた。やがて、ゆっくりと、しかし確かに、その口元から微笑みが消えていく。糸のように細めていた目が、初めて、大きく見開かれた。
「……よろしいでしょう。陛下がそこまで仰るのであれば」
その声から、初めて、あの慇懃な響きが完全に消えていた。
「確かに、材料調達の裏で、教会の『真の治療薬』を並行して準備させておりました。月白玲殿の腕は、本物でした。……だからこそ、危険だったのです」
「情緒不安定な皇帝が、得体の知れない一介の薬師に骨抜きにされる。それが、この国にとってどれほどの不安定要因になるか、陛下にはお分かりにならないでしょう」
「一人の女の功績を、いっとき掲げてやり、その後、静かに退かせる。……それだけのことで、国は安定するのです。彩を皇后にお迎えし、陛下の御心を落ち着けていただければ、こ国はようやく、揺るぎないものとなるはずでした」
話の腰を折られないためか、余計な失言を気取られないためか、玄安はまくしたてるように言葉を並べた。
その声には、悔恨も罪の意識も滲んでいなかった。ただ、自分の理屈が最後まで正しかったと信じて疑わない、乾いた確信だけが感じられた。
「……父上」
彩の声が、かすれる。
「わたくしは……わたくしは、あなたにとって、道具だったのですか」
「……彩。そのような言い方は」
玄安が、初めて、彩に対して何かを取り繕おうとする。だが、その言葉は途中で力を失った。
「……いいえ」
彩の声から、みるみる力が抜けていく。
「もう、分かりました」
彩の膝が、崩れ落ちそうになる。だが彼女はそれをどうにか堪え、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
焔は、その光景をこれ以上見ていられなかった。
「……聞くに堪えんな」
焔は、玄安と彩、そして固唾を呑んで見守る廷臣たちを、一人ずつ、静かに見渡した。
「お前らが、後生大事に守ろうとしてきた正しさとやらが、これか」
誰も、答えなかった。
「……なら、その正しさごと、俺が終わらせてやる」
焔は踵を返し、広間の最奥の、幾重もの護符と封印の呪符に覆われた、巨大な石の扉へと向き直った。
「へ、陛下……? まさか」
神官長の声が、恐怖に震える。
焔は答えず、腰の刀を、静かに鞘から抜き放った。
「な、なりません、陛下! それだけは……! 護国の神獣を、あろうことか刃にかけるなど、決して……!」
悲鳴に近い制止の声が、広間の各所から上がる。廷臣たちが、恐慌をきたしたように後ずさりした。
「……知るか」
低く、地の底から響くような声だった。焔は、封印門を見据えたまま、一歩、また一歩と、その距離を詰めていく。
(この国の権威も、秩序も、正しさも……。全部、こいつを盾にして成り立っていた。ならば)
焔は、刀を大きく振りかぶった。
「……終わりだ」
銀閃が、幾重にも重なった護符と結界の呪符ごと、一気に薙ぎ払う。
轟音。地の底から突き上げるような、重く鈍い震動が、奉納の間全体を揺らした。斬り裂かれた封印門の残骸から、赤とも黒ともつかない体液のようなものが、どっと溢れ出す。それが本当に神獣の血なのか、それとも古い術式が破壊された際に漏れ出す何らかの残滓に過ぎないのか、誰にも、分からなかった。
コメント
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「…もう、言葉が出てこなかったです、ごめんなさい」 焔が、あの場でようやく刀を抜いた瞬間、鳥肌が止まらなかった。ずっと玲の影を追って、我慢して、耐えてきた焔が「知るか」って一言で全部ぶった斬る決断をしたんだよね…。玄安のあの「正しさ」も、封印も、全部背負って斬った。それでようやく、虚無の仮面じゃない焔の表情が垣間見えた気がして、すごくすごく滾りました。話、待ってます…。