テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
『紗良』
最近、屋上に来る時間が少しだけ早くなった。
理由は分かってる。
考えないようにしているだけ。
扉を開ける。
風、空、そして――
今日もいる。
同じ場所、姿勢、無表情。
なぜか、それが当たり前になっていた。
何も言わずに座る。
沈黙。
でも、最初の日のような緊張も気まずさもない。
ただ、静かな共有。
「今日、雨降るらしい」
突然、彼が言った。
驚いて顔を見る。
空は晴れている。
「そうなんですか……?」
「天気予報」
それだけ。
会話と言うほどのものじゃない。
でも、今までで一番普通の会話だった。
少しだけ、笑いそうになる。
変な人。
「降らないといいですね」
「どうでもいい」
会話、終了。
でも、なぜか嫌じゃない。
むしろ安心する。
話を続けなくていいから。
しばらくしてふと気づく。
彼は私を見ている。
「……なんですか」
「別に」
視線は外れない。
居心地が悪い。
評価される前の感覚に似ている。
「顔色悪い」
どきっとする。
「そんなことないです」
即答。
「ある」
「気のせいです」
「目の下」
反射的に手で隠す。
今朝、確認したはずなのに。
「寝てないだろ」
否定しようとして、言葉が止まる。
昨夜は眠れなかった。
母の体調が悪くて、何度も起きた。
朝までうとうとしていただけ。
でも、それを言う必要はない。
「普通です」
「無理してるだろ」
その一言で、呼吸が止まる。
胸の奥に何かが突き刺さる。
「してません」
「してる」
即答。
否定の余地がない。
怒りが湧く。
なぜか分からない。
でも腹が立つ。
「……あなたに関係ないですよね」
沈黙。
風の音だけがやけに大きく聞こえる。
言いすぎた。
でも引っ込められない。
彼はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「壊れるぞ」
小さな声。
脅しでも忠告でもない。
ただ、事実みたいに。
胸が強く締め付けられる。
「壊れません」
ほとんど反射。
「壊れる」
「壊れません」
「壊れる」
子供みたいな言い合い。
でも笑えない。
「私、そんなに弱くないです」
初めて、彼を正面から見る。
「誰にも迷惑かけてません」
言葉が止まらない。
「ちゃんとやってます」
呼吸が浅くなる。
「ちゃんと――」
そこで止まる。
彼の目。
冷たいわけでも、怒ってるわけでもない。
ただ、悲しそうだった。
「……もうかけてる」
静かな声。
「自分に」
言葉を失う。
何も言えない。
言い返せない。
胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
否定したい。
でもできない。
だから、立ち上がる。
「帰ります」
逃げる。
これ以上ここにいたら、何かが壊れる。
扉に向かう。
背中に視線を感じる。
でも振り向かない。
振り向いたら、全部見抜かれる気がする。
扉を開ける。
外に出る。
閉める。
――息ができない。
壁にもたれる。
なんで。
なんでこの人だけ。
分かるの。
『悠真』
言いすぎた。
分かってる。でも止まらなかった。
顔色、目の下、動きの鈍さ。
限界が近い。
あのタイプは突然折れる。
音もなく、誰にも気づかれないように。
「無理してるだろ」
図星すぎた。
防御が強くなる。
関係ない、放っておけ。
予想通り。
でも止めないとまずい。
「壊れるぞ」
本当のこと。
脅しじゃない。
経験から。
否定、否定、否定。
弱くない。迷惑かけてない。
ちゃんとやってる。
自分自身に言い聞かせてる言葉。
聞きたいことがある。
――昔の自分が言っていた。
「もうかけてる」
自分に。
言った瞬間後悔した。
あいつの顔。
完全に防御が崩れたときの顔。
――立ち上がる。
逃げる。
追わない。
追ったら壊れる。
扉が閉まる。
静かになる。
「……最悪」
小さく呟く。
やり方を間違えた。
俺は誰かを支えられる人間じゃない。
壊す側だ。
分かってるのに。
でも、あのまま放っておくのも嫌だった。
フェンスに拳を軽く当てる。
痛み、現実感。
「……来るかな」
明日。
分からない。
こない可能性もある。
俺が原因で。
それでも思う。
来てほしい。
理由はない。
ただ、
あいつがいないと、この場所がまたただの空になる気がする。
空を見上げる。
雲が増えている。
雨、降るかもしれない。
「……降ればいい」
誰にも聞こえない声。
全部流せばいい。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!