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週末の終わり、日曜日の夜。Ifは、自分でもどうかしていると思いながら、またも『DICE』の前に立っていた。
「……来ちゃったよ。」
あれから一週間。仕事に追われる日々は変わらなかった。でも、あの夜の言葉が、やけに心に残っていた。
「限界、来てるでしょ?」
初兎のあの目、あの声――。
たった一夜のことなのに、不思議と温もりが離れない。
「お兄さーん。まさか、また来てくれたの?」
軽やかな声に振り返ると、そこには変わらず派手なスーツと無邪気な笑み。
けれど、どこか今夜の初兎は、ほんの少しだけ優しげだった。
「お前……名前も名乗らなかったな、そういえば。」
「初兎。源氏名だけどね。で、お兄さんの名前は?」
「まろ……って呼ばれてる。」
初兎はそれを聞いて、ふっと目を細めた。
「いいじゃん、可愛くて。まろちゃんって呼んでも良い?」
「…いいけど。」
「あのさ、もしも会社辞めてさ。俺のとこに転がり込んできていいよ、って言ったらどうする?」
冗談だと分かっている。でも、初兎の言葉は甘い毒のように胸を刺す。
冗談で済ませられないほど、現実が苦しいから。
そのとき――窓の外で、ポツリ、と音がした。
「雨、降ってきたね。」
「……傘、持ってない。」
「ん、じゃあ俺んとこ来る?」
初兎は軽く笑いながら、Ifの腕を引いた。
白い指先が、スーツの袖をつまむ。
「は?ホストが客を外連れ回していいのか?」
「今日は営業終わり。プライベートなら、問題ないよ。」
気づけば、二人はクラブを出て、静かな裏通りを歩いていた。
しとしとと降る雨。人のいない、静かな夜の街。
「俺、昼の世界が苦手なんだよね。」
突然、初兎がぽつりと呟く。
「明るいと、自分が偽物みたいに思えちゃってさ。」
Ifは少しだけ驚いた。ホストらしからぬ、影のある言葉だった。
「……わかるかもな。」
「へぇ?まろちゃんも?」
「会社じゃ、“まともな社会人”って仮面つけてるだけだし。家に帰れば、ただの抜け殻だ。」
ふたりは黙ったまま、雨の音に耳を澄ませた。
そして――初兎が、不意にIfの手に触れた。
「じゃあさ、俺たち、似た者同士ってことで。」
その手は意外にもあたたかかった。
冷えた夜に、かすかに灯る、小さな火のように。