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夜の雨は、しっとりと二人を包み込んでいた。
静かな裏通り、ネオンの明かりも届かない路地裏。
初兎は黙ってIfの手を引いたまま、どこかへ向かっていた。
「おい、どこに行く気だよ。」
「近くに、俺の部屋あるの。」
「は……?」
冗談かと思った。でも、初兎の表情はいたって真面目だった。
それがかえって、Ifの心をざわつかせる。
歩くこと数分、小さなマンションの一室にたどり着く。
玄関を開けると、ふわっと甘い香りが鼻をくすぐった。
「ここ、俺のプライベート。お客さん入れたこと、ないけど。」
「……それを俺が初って、どういう……」
「なんかね、無理して笑ってる人を見ると放っておけないんだよ。俺自身がそうだから。」
Ifは無言のまま、部屋の中に入った。
意外にも整った部屋。間接照明が柔らかく空間を照らしている。
「シャツ、濡れてるじゃん。貸すから、脱いで?」
「……いや、それは……」
「何照れてんの。下心なんてないってば。」
言いながら、初兎は自分のクローゼットから白いTシャツを取り出してきた。
やけに肌触りの良さそうなやつ。
「……悪いな。」
シャツを脱いで、借りたTシャツに袖を通す。
すると、すぐ隣で初兎がクスッと笑った。
「なに。」
「似合ってる。……ちょっと可愛い。」
「可愛くはない。」
「あるよ、その無防備な顔。」
初兎の指先が、Ifの濡れた前髪に触れた。
「ほら、前髪。雨で濡れてる。」
「あ……」
「ふくね。」
タオル越しに優しく触れる指先に、Ifの心臓が一瞬、跳ねた。
どくん、と音がしたのは、心の奥か、それともほんとうの鼓動か。
「ねえまろちゃん、俺さ……」
初兎がふいに顔を近づける。
その距離、ほんの数センチ。吐息が触れるほどに。
「……こんな風に、一緒に夜を過ごしたいって、思ったの初めて。」
「……お前、ホストだろ?」
「うん。でも今は、“初兎”じゃなくて、“俺”で話してる。」
一瞬でも目をそらせば、何かが崩れてしまいそうで、Ifはじっとその目を見つめ返す。
「……俺もたぶん、限界なんだ。」
「じゃあ、甘えてよ。今だけでも、俺に。」
次の瞬間――初兎は、そっとIfの頬にキスを落とした。
それは炎のように熱くはなかったけど、
凍えた心に染み渡る、静かな温度だった。