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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
翌週末、私は新幹線で三時間ほどの今度から住む街に降り立っていた。
あらかじめ絞り込んでいた候補を、不動産会社と相談して回る。本来なら私一人で済ませるつもりだった。当然、同居している雅には、行くと言う事だけは事前に伝えていたのだけれど…。
『へぇ、俺も行こうかな』
『何でよ。すぐ帰ってくるからこっちいなさいよ』
『彼女が住む場所を見ておくのは彼氏として当然の事だろ?』
『当然では無いでしょ。きもいわね』
『お前、本当向こうに行ってその減らず口も直してから帰って来いよな』
そんなやり取りを経て、奴はわざわざ店を休んでついてきたのだ。
ネットで目星をつけていた候補の一つ。清掃されたばかりの独特の匂いが残る部屋を、二人でぐるりと見回す。日当たりは良好、立地も悪くない。
どうせ二年間しか住まない仮初めの家だし、問題なく生活できればいい程度の基準で探していた家賃相応の物件だったけれど、今見ているここは想像以上にいい物件だった。
不動産会社の担当者が電話のために席を外し、室内には私と雅の二人きりになる。雅は掃き出し窓を開け、そこから見える景色を眺めていた。
「へー、駅近で結構綺麗じゃん」
「歩いて会社に行けるし周りになんでもあるし結構好物件よね。ここに決めようかな」
「ただ、オートロックじゃなくていいわけ?変な男に狙われるかもよ」
「あんた以外に変な男見た事ないから大丈夫よ」
そう言うと割と強めパチン、と小気味の良い音を立てて額を掌で叩かれた。
なかなかの衝撃に、私は両手で額を押さえていた。
雅はそんな私を、呆れたような表情をして見ている。
「本気で心配してやってんのにお前ね……。男予防に俺のパンツでも持ってって外に干しとけば?」
「バカじゃないの?」
相変わらずのバカな発言に鼻で笑うと、不意に、背後から温かな体温が私を包み込んだ。急に抱き寄せられた衝撃で、心臓が跳ねる。
不動産屋の担当さんがいつ戻ってくるかもわからない状況なのに、この男は場所も人目も選ばずにいつもこんな風に触れてくる。
さっきまでのふざけた空気が一変し、雅の低い声が鼓膜に直接響いた。
「今度からここでいつもの休日みたいに雑誌読んだり、おしゃれしてたり、俺と電話してたりそんな日常過ごす様になるんだな」
「……そうね」
「寂しい?」
「……全然」
喉まで出かかった本音を、咄嗟に強がりで蓋をした。
寂しいに決まっているけれど、私が素直な言葉を選べないことくらい、この男にはとっくにお見通しだった。
雅は私の返事を聞くなり、ほんの少し笑いを零して「可愛いな」と耳元で囁かれ、顔が火照る。私も雅くらい素直に感情をぶつけられたらよかったけれど、この面倒な性格はもうどうしようもない。
私が一人でこの街の生活に慣れていくように、雅だって、私のいない生活が当たり前になっていくのだと思う。そうしていつか、私がいないことに対して寂しいという感情さえ、薄れていってしまうのではないか、と。
そう考えたら、ものすごくさみしい。
⏲
内見をすべて終え、今日泊まるホテルに到着してようやく一息ついた。
無事に新居も決まり、入居日までの段取りも整った。
大きな山を越えた安堵感で、肩の力がふっと抜ける。
部屋に入るなり、雅は二つ並んだベッドの片方に自分の荷物を乱暴に放り投げ、もう一方の空いているベッドにどかっと腰を下ろした。
「は? あんた、自分が荷物置いた方のベッドに座りなさいよ。」
「寝る時一緒なんだから片方いらねぇだろ」
そんな事を飄々とした態度で言っている。
どうして一緒に寝る前提でこの男は話しているのか全く理解できない。ツインベッドルームの意味がない。
「たまには別々でもいいでしょ!」
「遠距離になったらしばらく嫌でも別々なんだから、今更そんな照れんなよ」
雅は立ち上がると、私が手に持っていた荷物を取り上げ、自分の荷物が置いてある方のベッドへ移動させた。それから私の腕をぐいと引き寄せ、並んでベッドに座らせる。
別に、今更一緒に寝るのが嫌なわけではないけれど、二つあるベッドをわざわざ一つにするという意思表示が、どうしようもなく照れ臭くて恥ずかしい。
私はこうして素直になれずにいるのに、雅はいつだって真っ直ぐに言葉を伝えてくる。それが少しだけ羨ましく、そして嬉しかった。
「歳取って大人になって綺麗になったとか勝手に思ってたけど、お前は変わんねぇな」
「なにそれ、子供っぽいって言いたいの?」
「初々しくてずっと可愛いって言いたいんだよ」
綺麗だとか可愛いだとか、息を吐くように、さらりと口にする。少し捻くれた捉え方をすれば遊び人の手慣れたリップサービスで、私はただ踊らされているだけなのかもしれない。だけど、たとえ騙されていたとしても、この男から向けられる言葉に悪い気はしない。
むしろ、女なら誰だって、こんな言葉は嬉しいでしょう。
そんな私も例外ではないけれど、この男の言葉に手放しで喜んで見せれば、すぐに調子に乗るのは目に見えている。私は緩みそうになる口角を必死に抑え込み、いつもの無表情を保とうと努力した。
「何その顔」
「今話しかけないで、顔と気持ちのメンテナンス中」
「メンテナンス中?」
雅は私の奇妙な言い回しを繰り返して、肩を揺らした。
私はきっと、他の男性からどれほど可愛いと褒められたとしても、ここまで取り乱したりはしない。
好きな男から放たれる言葉だからこそ、心臓がうるさいほどに跳ねる。
褒め言葉は誰から貰っても嬉しいけれど、こんなにも照れ臭さを持つことはない。
結局、すべては奴が好きだから。
そんなあまりに明快な答えに行き着いてしまったことさえ、今はどうしようもなく照れ臭かった。
「一生そのままでいいよ。照れる夏帆の顔見てたいから」
そう言って私の頬に軽くキスをする。
いつまで経ってもこの男の言動や行動には慣れそうにもない。
コメント
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読了しました🌷 新居の内見シーンからホテルのベッドでのやり取りまで、二人の距離感が絶妙で胸が締め付けられました。特に「寂しい?」「……全然」って強がる夏帆さんの本音を、雅さんがちゃんと見抜いてる感じがたまらない。「初々しくてずっと可愛い」ってさらっと言える彼、反則ですよね。遠距離前の“最後の時間”の空気がリアルで、読んでて切なくなりました。