テラーノベル
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数週間後。私は大型のキャリーケースを傍らに、新幹線のホームに立っていた。今日はいよいよ、新しい生活がはじまる日。雅が見送りに来てくれたけれど、私たちはベンチに並んで座ったまま、特に言葉もなくただ出発の時を待っていた。
今日という日が来なければいいと何度も願った。だけど、時は止まってはくれない。
自分で決断したはずなのに、寂しくて、口を開けばすぐに涙と共に弱音が零れてしまいそうだった。
五年間の空白を経て、ようやく取り戻した関係なのに、またあの頃、耐えきれなかった遠距離恋愛が始まる。
今度は雅の方から愛想を尽かされるのではないか、なんて、考えても仕方のない不安が足元にまとわりついて、今この瞬間もやっぱり残りたいと縋り付いてしまいそうになる。
「おい、なんつー顔してんだよ、置いてく方が」
雅の呆れたような声を聞きながら、私は線路を見つめていた。
今の私には、彼の顔をまともに直視する事も出来ない。
「意外と寂しいなって思ってただけ」
「……すぐまた会えるよ、そんな離れてるわけでもないし」
雅の手が、私の頭を優しく撫でた。
新幹線で三時間の距離。確かに、会おうと思えば日帰りでも可能な距離。
だけど、今までは何もしなくても、家に帰ればそこにいた。そんな当たり前が崩れ、努力しなければ触れられない距離になることが、どうしようもなく寂しい。
雅は、この状況をそこまで悲観してはいないようだった。その頼もしさに救われながらも、私だけが取り残されているような、そんな感覚に陥った。
「あんたが優しいと調子狂う」
「普段無理させてるから?」
低く、甘く、耳元で囁かれる言葉。
その言葉に腕を軽く叩くと、雅は楽しそうに肩を揺らした。
場所と状況を考えた発言ができないのか、この男は。
そう睨みつけたけれど、雅はただただ穏やかな表情で私を見てくるから、何も言えなくなる。
「あー本当、行かせたくねぇな」
独り言のように漏らされたその言葉が、笑いを含んでいるせいで、本気なのか冗談なのか判別がつかない。
さっきまですぐ会えるなんて余裕を見せていたくせに、この期に及んでそんなことを言うなんて、本当にずるい。
私だって本当は、行かずにあんたとここにいたい。
何か言い返そうと唇を震わせた瞬間、無機質なブレーキ音と共に、乗り込む電車がホームに滑り込んできた。もう、言葉を交わしている時間はあまり残されていない。
今の私のこのぐちゃぐちゃな感情を、言葉で伝える方法が思いつかなくて、私は思い切り奴の胸ぐらを掴み、その身体を引き寄せた。驚きに目を見開く雅の唇に、ぶつけるような、乱暴なキスを落とした。
その瞬間、雅の身体が強張るのが伝わった。余裕たっぷりな態度だったあの男が、珍しく呆然と立ち尽くし、思考を停止させている。驚いた顔を見た瞬間に、私は彼を突き放した。
「浮気はバレない様にとかいつも言っているけど、絶対にしないで。バーの営業での女性客への愛想も程々にして。後、お酒ばっか飲んでないでちゃんとご飯も食べなさい」
「……顔赤すぎ、最後のおかんかよ」
彼は私をそのまま強く引き寄せ、腕の中に閉じ込めてきた。離したくないと願う様な、強い抱擁に視界が滲む。
ふっと身体が離れ、至近距離で視線が絡んだ。
「着いたら、すぐ電話して」
静かな声でそう言いながら、雅はポケットから何かを取り出した。
そのまま私の右手を取り、その指先に迷いなく滑り込ませる。
冷たい金属が肌を滑り、収まったのは右手の薬指だった。
シンプルながらも、駅のホームの照明を反射して凛と輝くリング。
それを見つめたまま、私は小さく首を傾げた。
「な、なにこれ」
デジャヴのようなこの感覚。
右手の薬指にはめる意味はいくつかあるのだろうけれど、一般的に捉えるのであれば、それは恋人の象徴。あるいは、その先にある婚約。この男が、何の意味も持たせずに、わざわざ指輪を贈るなんてあり得ない。
指輪から視線を外し雅を見上げると、彼は少しだけ柔らかな笑みを浮かべて私を見つめていた。
「婚約とかそんな大それた話じゃないけど、このくらいは良いかなって」
雅が私の右手をぎゅっと握り込んだ。その瞬間、彼の薬指にも、私と同じデザインのリングが鈍く光っているのが見えた。
「えええええ!?」
呆然と立ち尽くす私を、雅は新幹線の入り口の方へ向けさせ、その背中を強引に押した。
何か言わなきゃ、と慌てて振り返るけれど、雅は私の言葉を遮るように「それ外すなよ、他の男に見せつける用だから」と告げた。
つまり、他の男性への牽制の意味があるらしい。
そんなまっすぐな独占欲に、私は言葉を失った。
「……独占欲すごすぎ」
「なんとでも言えよ、悪くないって思ってるくせに」
図星だから何も言えない。
以前なら何してんの、恥ずかしい。誰も私なんて狙っても居ないしやめてよねくらいの軽口を叩いていたと思うし、今も私を狙う男性なんていないとは思っているけど、雅のこの独占欲はまったく嫌じゃない。
プシュー、と音を立てて新幹線の扉が閉まる。ガラスの向こう側、ホームに立つ雅は、笑顔でこちらに手を振っている。
「……にも言いたいことくらい、言わせなさいよ。バカ」
指輪の文句のひとつでも言ってやりたかった。
こんな真似をするなら、いっそ婚約くらいしなさいよとか、帰ってきたら結婚しようって、あの日みたいに言ってくれればいいのに、と飲み込んだ言葉はいくつもあったけれど、右手の薬指が今度の遠距離は大丈夫だと、私に確かな勇気をくれた。
────もう絶対に何があっても別れたいなんて言わない。
まなこ〜友
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#ますしき
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コメント
1件
ホームでの見送り、情景がありありと浮かびました。胸ぐらを掴んでのキス、ヒロインらしくて好きです。「浮気はバレない様に」には思わず笑いました。でも右手の薬指に嵌められた指輪と「他の男に見せつける用だから」という独占欲、に胸が熱くなります。過去の遠距離を思い出させる「デジャヴのような感覚」も効いていて、今回はきっと大丈夫だと思わせてくれる回でした。ラストの決意、沁みました。