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それから数日、蓮は休まずにスタジオに足を運んでいた。
兄からはしばらく休んでもいいと言われていたが、どうにも気分が落ち着かず結局はこうして毎日通っている。
あれから何度か雪之丞相手に実際に外で実践的な殺陣をやってみたが、あの時のような体が重くなる症状は出なかった。
やはり、海岸での撮影が精神的にも負担になっていたのだろうと兄は言っていた。
負担のない範囲内での撮影なら問題なく出来るはずなので、今はとにかく基礎体力をつける事が最優先だ。
「お邪魔しまーす」
突如稽古場に木霊する呑気な声。
休憩中だった蓮と雪之丞は同時に入口の方を振り返った。
そこには、ナギと結弦が並んで立っており、蓮は咄嗟に雪之丞の後ろへと隠れるようにして身を縮こませた。
「ちょ、蓮君!?」
突然の行動に驚いた雪之丞が抗議の声を上げるが、蓮はフルフルと首を横に振る。
「悪いけど、このままにしておいて」
「えぇ~?」
「……」
蓮は雪之丞の後ろに隠れたまま二人の様子を窺った。
正直言ってナギに会うのは気が進まない。
シャワー室で散々悪戯した挙句に、約束をすっぽかしたのだ。最低な男だと罵られても仕方がないと思う。
まだ、心の準備が出来てないうちに会うのは避けたかった。
「デカいのが二人して、何やってんの?」
事情を知らない東海が後ろから呆れたような声を出す。
「いやぁ、それが……」
困り顔で言葉を濁らせる雪之丞を見て、東海は訝し気に眉を寄せる。
蓮の視線を辿って行けば、凛と何やら話し込んでいる俳優陣の姿が目に入った。
「何? なんかあったの? あ、もしかして……」
ニヤリと笑う東海はなんだか悪い顔をしている。
「ふぅん、オジサンって意外とロリコンなんだ」
「あ? いやいや、何言ってるんだ。それと、オジサンじゃないから」
誤解を招く言い方は止めて欲しい。心外だとばかりに思わず立ち上がると、東海がニヤニヤとした笑みを浮かべながら小突いて来ようとするので蓮はそれをヒラリと交わした。
「だってアレだろ? あそこにいるちんちくりんの事が気になってるんだろ?」
「ん? 何の話?」
彼が指さす先には、高身長のナギと弓弦に挟まれるようにして立っている小柄な少女の姿があった。
「え、あの子最初からいた?」
「いたじゃん。つか、違うのかよ」
「……全然記憶にない」
正直言ってナギと弓弦しか認識していなかった。よくよく見てみれば彼女は何処かで見覚えがある。
「うっわ、キャストの顔と名前くらい覚えときなよオジサン。あそこに居るのは草薙美月。今回唯一の女子キャストだよ」
「へぇ~……って、あの子女優さんだったのか! てっきり中学生かと!」
「ちょ、蓮君失礼だよ……」
雪之丞が慌てた様子で蓮の口を塞ごうとするが、時すでに遅し。
「だぁれが、中学生ですって?」
地獄耳なのか引きつった笑顔で、少女が近づいて来る。
「あ……! ぁあ! 何処かで見た事があると思ったら、弓弦君の楽屋から飛び出して来た小さい彼女!」
思い出したと言わんばかりの蓮の言葉に、美月の額に青筋が浮かんだ。
「失礼ね! 小さくないし、それに私はもう二十歳越えてるんですけど?」
「えええっ!?」
「なによ、その反応は!?」
流石にその発言にはみんな驚いたようだった。
「え、マジかよ? ボク、てっきり高校生かと思ってた」
「いや、あの体形はどう見たって中学生だろ……だって、胸とか全然……」
だってどこからどう見ても中学生にしか見えない。胸はほぼ平坦だし、黒髪ショートの髪型はどちらかと言えばボーイッシュな印象を受ける。
女性らしさと言えば、やや大き目なクリッとした瞳くらいだろうか? 女優にしては色気が足りないような気がしないでもない。
「聞こえてるんですけど!?」
小さな声で話していたつもりだったが、どうやら全部聞かれていたようだ。美月は不機嫌そうな表情で蓮達を睨み付ける。
「まぁまぁ、姉さん落ち着いて」
そこへ結弦がやってきて困ったように頬を掻きながら宥めるが、当の本人は不満げに眉を吊り上げている。
「ほんっと失礼。デリカシー無さ過ぎ。イケメンだからって何言っても許されるとて思ってたら大間違いなんだから!」
「あー。ハハッ。ごめんね? 悪気はなかったんだけど。女性の年齢ってよくわからなくて……」
美月に向き直り謝罪すると、蓮の顔をまじまじと見ていた彼女は何故か少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
「いや……私もちょっとムキになり過ぎたかも……。確かにこの格好だったし……やっぱり、最初くらいはもう少し可愛い服にすればよかったかな……」
「え?」
蓮が首を傾げると、彼女は慌てて誤魔化す様に両手を振った。
「なんでもないの! 気にしないでっ!」
「はあ……」
そう言う彼女の服装は、上は白いシャツに下は紺色のジーンズとラフな恰好だが、特におかしい所はない。
「……そろそろいいか?」
その時凛の声が聞こえてきて蓮達はハッと振り返る。
「今日3人に来てもらったのは、撮影前に顔合わせをして貰おうと思ったからだ。お前らには言っていなかったから驚いただろうが、本番が始まれば嫌でも一緒に行動を共にすることが多くなるからな」
凛の言葉に蓮はハッとしてナギを見た。しまった、美月の件でうっかり自分が隠れようとしていたという事を忘れていた。
でもまぁ、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。
いくら別撮りと言っても、役者同士での読みあわせや、シーンごとにの動きのすり合わせなど、一緒に行動する場面は多いはずだから。
正直言って自分がこのままレッド役を続けて言ってもいいものか迷いはあるが、ずっとこのままと言うわけにはいかないだろう。
「取敢えず、状況を整理したい。今回の主役、小鳥遊君は|楽谷赤也《らくたに あかや》役を演じる。アクターはレッド。蓮、お前だ」
「……はい。あ、えっと……御堂、蓮ですよろしく」
「……うん」
呼ばれて立ち上がり、改めてナギと向き合う。だが、やはり怒っているのかふいっと顔を背けられてしまった。
「次に、草薙君。彼は|泉 青葉《いずみ あおば》役を演じて貰う。アクターはブルー。 棗 雪之丞が担当する」
「は、はいっ! あっ、あのっ……よ、よろしくお願いしますっ」
「そんなに緊張しないで大丈夫ですよ。私の方が年下なので」
おどおどと前に出た雪之丞は緊張の為か、いつもよりさらに背中が丸く小さくなってしまっている。それを見て、弓弦はクスっと笑みを零した。
流石、キャリア歴が長いだけあって、動じない。
「で、最後だが。草薙、美月さんだ。彼女は|恩田桃子《おんだ ももこ》を演じて貰う。アクターはピンク。担当は逢坂東海。以上だ。何か質問はあるか?」
「アタシのアクターさん、男の子なんだ」
「……悪い? 今回の撮影、結構危険なアクションが多いんだ。女性じゃ務まらないよ」
「ふぅん。よろしくね、はるみん」
ニコっと笑いながら彼女が発した言葉に、蓮が思わず噴き出した。
「ちょっと! やめてくれる!? はるみんってなんだよっ!」
「えー、だって東海(はるみ)でしょ? 呼びやすくていいじゃない」
「よくねぇよ!」
「ぶはっ、いいんじゃないか? はるみん。可愛いじゃないか」
「……ムカつくッ」
堪えきれないとばかりにニヤニヤしながら蓮が口を挟むと、東海はキッと睨み付けてきた。
「ははっ、まぁまぁ落ち着きなよ、はるみん。苛々してるんなら小魚でも食うか? なぁ、はるみん」
「いらねぇよ! 馬鹿蓮!! アホっ!」
「れ、蓮君。あまりからかっちゃ駄目だよ」
雪之丞が苦笑して注意するが、蓮はニヤリと笑ってみせた。
「なんだよ、雪之丞。いいじゃないか、愛称で呼ばれるってのは親近感があって仲良くなるのにはもってこいだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「そうだ。雪之丞も何か愛称があればいいんじゃないか? うーん……ゆき? ゆっきー?」
「その人、雪之丞って言うんでしょう? だったら、はるみんに合せてゆきりんでよくない?」
頭を悩ませる蓮に、すかさずナギから横槍が入る。
「あ、それもアリだな。よし、今度から雪之丞の事はゆきりんと呼ぼう」
「ええっ、ゆきりんって」
「可愛いじゃないか。ゆきりん」
「……でも……」
雪之丞が困り顔を浮かべると凛がくくっと可笑しそうに笑う声が聞こえてきた。
「仲が良いのは良いことだ。それでこそチームワークも生まれてくるってものだろう。可愛くていいんじゃないか? はるみんと、ゆきりん」
「凛さんまで!」
止めてくれると思っていた凛にまで肯定されて、東海は明らかにショックを受けたようだった。
「……ッ、おい! ちんちくりん! 俺は認めないからなっ! 下手くそな演技したら許さねぇぞ!」
「はいはい、わかったわよ。仲良くしましょ。はるみん」
「っ、だから! はるみんって呼ぶな!!」
怒り心頭と言った東海の叫びが稽古場全体に響き渡った。
「……ちょっと、終わったら顔貸して」
「……ッ」
笑っていた蓮の耳に、ナギがそっと耳打ちしてきて一気に顔が強張る。
「話があるんだ」
淡々と語る彼の口調からは何の感情も読み取れない。蓮は背中に冷たい汗が流れていくのを感じた。
突然の顔合わせの後、ナギに呼び出された蓮は連れ立って休憩室に向かった。
中に誰も居なことを確認し、鍵を掛け、彼と向き合う。
「話って、何?」
恐る恐る尋ねてみるが、ナギはじっと蓮を見つめたまま何も言わない。
やっぱり、怒っているのだろうか。 約束を反故にした不満を言われるのだと覚悟していたが、中々その口からは何も語られない。ただ二人の間に重い沈黙が流れるだけだ。
(やっぱり、俺から謝るべき、だよな)
そうだ、謝らないと――。
「この間は、本当に悪かった」
「あの時は行けなくて、ごめんっ!」
謝罪のつもりで頭を下げようとしたタイミングで互いのおでこがぶつかり、ゴチっと鈍い音を立てる。
「~~~ッ」
なんて石頭なんだ。
蓮はジンと痛む額を押さえながら涙目で彼を見た。
「……」
「……」
痛みのせいで互いに無言になる。先に口を開けたのは、蓮の方だった。
「いきなり頭突きかまされるとは思わなかった」
「それはこっちのセリフ。いくら怒ってるからってありえなくない?」
お互いに言いたいことを口にして、はたっと気付く。
怒っているのはナギの方で自分ではない。
いや、その前に彼はさっき、何と言った?
「行けなくてごめん」自分の耳が正しければ、確かに彼はそう言ったはずだ。
「えっと、勘違いさせたら悪いんだけど……あの日、君は来なかったんじゃなくて、行かなかったの?」
確かめるように恐る恐る尋ねると、ナギはこくりと静かに首を縦に振った。
「あの日、直ぐに終わる予定だった撮影が、一人の我儘な女のせいで長引いちゃって……夜までかかって。元々お兄さんの連絡先も聞いてなかったし、時間も時間だったから流石にもう居ないだろうと思って……」
「そう、だったのか……」
あの日、待たせてしまったと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。
蓮はその事実にホッと胸を撫で下ろすと安堵の溜息を洩らした。
「そっか、よかった。実は僕もあの日は色々あって遅くなってしまったんだ。ずっと謝りたかったんだけど、中々タイミングが無くって」
「そうだったの!?」
蓮の言葉に、今度はナギが驚いたように目を丸くする。
お互いの誤解が解けたことで、二人の間の空気が少しだけ和らいだような気がした。
「あーぁ、もともとヤる為の約束だったし、アンタが一人で悶々としてんの陰でこっそり覗いて笑ってやろうと思ってたのに」
「ちょっ、そんなこと考えてたの?」
「だって、そりゃ……シャワー室でびしょ濡れにされたし? 嫌だって言ってるのにあんなとこでエッチな事してくるし……。やりたい放題されてムカついたから仕返し してやろうとは思ってたけど……」
拗ねたような口調でぶつくさ文句を言う彼は、何処か恥ずかしそうに頬を染めている。
「俺さ、やられっぱなしは性に合わないんだよね」
そう言って、手を伸ばしてきた彼に手首を掴まれ引き寄せられる。
「わ、ちょ……っ」
「まぁ、正直気持ちよかったし……悪くはなかったけど」
ナギは蓮の首にするりと腕を巻き付けると、そのまま唇を寄せてくる。
ちゅっと軽く触れ合ったかと思うと、ぬるりとした舌先が蓮の下唇を舐めた。
「相手を翻弄するのは好きだけど、されるのは嫌いなんだ俺。覚えといて?」
至近距離で妖艶に微笑みかけられ、蓮は思わず息を呑んだ。なんて扇情的な表情をするんだろう。
自分の指に相手のそれが絡んだかと思った瞬間、ぐいっと力任せに引き寄せられて体勢が崩れる。
繋いだままの蓮の人差し指を口元まで持っていくと、あろうことか彼の口に吸い込まれて行った。
「っ、な……っ」
生暖かい口腔内で指の腹にざらつく感触が伝わり、思わずビクッと肩が跳ねる。
ぴちゃ、くちゅっ……と厭らしく響く水音が鼓膜を震わせ、ゾクリとする感覚が背筋に走った。
ナギの瞳がスッと細められ、まるで獲物を狙う獣のような眼光に捉えられる。
「……っ」
これは、まずい。このままではナギのペースに呑まれる!
慌てて引き抜こうとしたが構わず舌で絡め取られ、ねっとりと執拗に攻め立てられる。
ピチャ、チュッ……と淫靡な音を響かせながら上目遣いで見つめられ蓮は身体の奥底から沸々と湧き上がる熱を感じた。
「もう勃ってるじゃん……こんなところで指舐められて興奮してるの? 変態だね、お兄さん」
「……っ、いい性格してるじゃないか……」
空いた手で股間をなぞり上げられ、蓮は顔を歪ませた。
「それはお互い様でしょう? あーでも確かに……俺も人の事は言えないかも。ねぇ、もうここでシちゃおっか?」
悪魔のような誘惑の言葉を囁きながら、挑発的な指先が形をなぞるようにゆっくりと掌全体で擦り上げられる。
「っ、は……」
思わず吐息が漏れた。
「あはっ、やっぱり……気持ちいいんだ。お兄さんのその顔、すっごくえろい……」
耳元で囁かれる言葉と共に熱い吐息がかかり全身に痺れが走る。こんな場所ではダメだと頭ではわかっている。けれど目の前にいる美しい雄鹿が発する魔性の色香に囚われ理性が持っていかれそうになる。
「……っ」
蓮の吐息が甘く震えた瞬間――
「ナギくーん? どこー? 次のシーン少し早めに始めるってー!」
「!!」
突如聞こえてきた美月の声にハッとして、二人同時に動きを止めた。
「あーぁ。残念。続きはまた今度、かな?」
名残惜しそうに手を離し、至極残念そうにナギが微笑む。
その妖艶な笑みに当てられて、蓮は生唾を飲み込んだ。
「それじゃ……またあとでね?」
そう言って去っていくナギの後ろ姿を見ながら、ずるずると腰を落として蓮は盛大なため息を吐いた。
(ほんと……タチが悪い……)
あの変わり身の速さに呆れつつも、耳に残る悪魔のような甘美な囁きが、じわりと熱を呼び覚ます。
さっきまで絡め取られていた指先には、まだ舌の感触が生々しく残っていた。
「……っ、クソ……」
乱れた呼吸を整えながら、蓮は額を押さえ、押し寄せる衝動を必死に抑え込む。
――もし、次があるとするなら……。そもそも、次なんてあるのだろうか?
ふんっと鼻を鳴らし、当然のように「またね」と言い切ったナギは、蓮の胸の奥に渦巻く不安や、触れられるたび疼き出す古傷のことなど知る由もない。
トラウマを知られるのは怖い。
でも――さっきの熱は、確かに心地よかった。
そんな相反する感情が、喉の奥で苦く絡まり合う。
体の熱が引いてもなお、蓮はしばらくその場から動けずにいた。
互いの連絡先を交換し、ナギと別れた後。蓮はすぐに凛の元へと連絡を入れた。
『どうした?』
「……今回の撮影の件なんだけど……。引き受けるよ。もしかしたらトラウマで撮影を続けられなくなる時が来るかもしれないけど……。それでも、やっぱりやってみたい」
『……』
電話越しに小さなため息が聞こえてきて、不安がよぎる。やっぱりそんな中途半端な覚悟じゃダメだっただろうか? それとも邪な気持ちを見透かされてしまった?
『俺も監督も最初からお前しか考えていなかったんだがな』
「え? そうだったの!? もし、断ってたらどうするつもりだったんだ」
『お前なら絶対にやるという確信があった』
「……」
なんだそれ。その根拠のない自信はどこから来るんだ。
あんな不甲斐ない姿を目の当たりにしたのにどうして――。
「俺のこと買い被り過ぎだよ」
『そんなことはない。現にこうしてちゃんと戻ってきたじゃないか』
「それは……そう、だけど」
『お前の性格は俺がよく知っている。だから、必ずお前ならやるというと思っていた』
「……」
なんだかずっと、兄の手の上で上手く転がされているような感じがして面白くない。
だが、兄に適う気が全然しなくて、蓮は降参だとばかりに溜息をついた。
『台本は以前渡しただろう? 撮影前までにしっかり読み込んでおいてくれ』
「あぁ。わかった」
台本なんてもう全部頭に入っている。昔の勘はやりながら取り戻すしかないだろう。
電話を切り、短く息を吐きながらスマホをポケットに突っ込む。
ふと、帰り道のバス停から見える海岸線が目に入った。
足が止まり、砂浜へ降りる階段の前まで行く。
けれど、潮の匂いと波の音に胸がざわつき、気付けば足が後ずさっていた。
(……やっぱり、まだ無理か)
それでも今は――仕事に集中しよう。
やると決めたからには中途半端なものは見せたくない。
今自分にできることを全力でやる。そう心に誓って家路についた。