テラーノベル
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数日後。蓮は初めての撮影に臨んだ。スタジオに入った瞬間、緊張で心臓が高鳴る。
だが不思議と恐怖はなかった。寧ろワクワクしている自分がいる事に気付く。
用意された衣装に身を包み、セット裏の椅子に座って出番を待つ間、何気なく視線をセットに移すと、ちょうどナギが演技をしている最中だった。
やはり、この子は不思議な魅力を持っている。 演技なのか素なのか、あまりにも自然体過ぎてわからなくなってしまいそうになるくらいには役に馴染んでしまっている。
それに、さっきからミスが一つもない。その場にいる誰もが知らず知らずのうちに足を止めて見入ってしまうほどにナギの演技は完璧だった。
これで駆け出しの新人俳優だと言うから末恐ろしい。
「蓮くん。そろそろ僕らの番だよ」
「あぁ」
呼びに来た雪之丞は、アクター用のスーツを着るとやはり別人のようだ。いつも丸まって自信のなさそうにしている背中はピンと伸び、堂々としていて妙な貫禄がある。
「NGばっか出して足引っ張らないでよ? オジサン」
ピンクの衣装に身を包み、マスクを小脇に抱えた東海に嫌味を言われ、蓮の頬がわずかにひくつく。
「そんなヘマはしないよ。はるみんこそ、ちゃんとやりなよ」
「なにそれ、どういう意味? っていうかはるみんって呼ぶな!」
「言葉通りの意味だけど?」
「は? むかつくんですけど」
「ははっ」
軽口を叩き合いながらも互いに視線を逸らすことなく睨み合う。
「あーもう! 本番前に喧嘩しないでよ」
困り果てた雪之丞が仲裁に入り、二人はマスクを被るとフンッと互いにそっぽを向いた。
「随分と仲良くなったみたいだな」
二人の様子を見ていた凛が苦笑しながら声を掛けてきて、東海は不満げに眉を寄せる。
「別に仲良くないです。いくら凛さんの弟でも、オレはまだ認めてないから」
「そうか」
ふんっとそっぽを向いた東海の頭をマスク越しに軽く撫でた後、凛は蓮の方へと向き直るとそっと耳打ちしてくる。
「……だそうだ。後輩に舐められてるぞ。蓮」
「聞こえてたし。あまりプレッシャーかけないでもらえる? 兄さん」
「お前がプレッシャーを感じるようなやつだとは知らなかった」
「……チッ」
苦笑しつつそう答えると、凛は楽しげに喉を鳴らして笑う。
言外にお前の本当の実力を見せつけてやれと言われたような気がして、気合を入れ直すためにマスクをもう一度被り直した。
自分だって、舐められるのは嫌だし、趣味じゃない。でかい口を叩く東海を一発で黙らせる方法があるとするのなら唯一つ。
それは――圧倒的な力の差を見せ付けることだ。 現役を退いてしばらく経つ今の自分にそれができるかどうかなんてわからない。
だが、マスクを被ると不思議と心が落ち着いていく。それと同時に身体の奥底から湧き上がる闘争本能にも似た高揚感。それは、かつて自分も持っていた感覚だ。
自分のアクションを見て小さな子どもたちが目を輝かせ、自分もヒーローになりたいと憧れを抱く。その光景を見るのが好きだった。
「蓮くん、大丈夫?」
「――あぁ。大丈夫。行こうか」
心配そうな表情を浮かべている雪之丞の腹を軽く小突いた。すると彼は少しホッとした様子を見せた後、真剣な眼差しを向けてきた。
マスク越しに薄っすらと見える彼の瞳は、期待に満ち溢れている。
まるで早く見たくて仕方がないと言わんばかりの表情に、蓮は小さく笑った。
セットに上がり、スタッフの指示に従って立ち位置につく。そしてついに、凛の合図でカメラが回りだした。
獣王戦隊獅子レンジャーは、獅子レンジャーたちと、悪の秘密結社「キライダナー」との戦いを描いた物語である。
派手なCGを駆使して物語が作り込まれており、毎回敵のキャラに豪華俳優陣を起用するなど、話題に事欠かない工夫が随所に凝らされている。
アクターの撮影は主に、戦闘パートとマシンに乗って戦う操縦パートに別れており、まとめて二、三話撮影することも少なくない。
第一話の敵は、怪人ベジタブル。ピーマンや人参を模した姿をしており、口から吐き出される緑の液体を浴びると野菜嫌いになってしまうという厄介な能力を持った怪人である。
(どうでもいいけど、このネーミングセンスの無さはなんとかならないのか?)
と内心毒づきながら、蓮の演じる獅子レッドは目の前にいる怪人と対峙する。
「そこまでだ! 怪人ベジタブル!! お前たちの好きにはさせない!」
「ふっはっはっ! 来たな! 獅子レンジャー! 今日こそお前らを倒して世界中の子供らを好き嫌いの海に溺れさせてくれる!」
「させるかっ!!」
「はっはっはっはっはっはっ!くらえ! 苦い汁スプラッシュ!」
笑い声を上げながら、怪人は両手から緑色の液体を勢いよく噴射してきた。
(くっそダサいな!! そして、技がエグい!)
心の中でツッコミを入れながら、それを素早く避け、蓮はすかさず反撃に出る。
「っ、はっ!せいっ!」
「ぐおっ!」
素早い動きで拳を繰り出し、攻撃を避けると隙を突いて蹴りを入れる。
途中、床に落ちたぬるぬるとした液体を何度か踏んで、滑りそうになったがなんとか堪え、相手の動きに合わせて技を繰り出す一連の動作動はとてもスムーズで、一見するとブランクなどないようにも思えた。
事実、一緒に戦闘シーンを演じている東海からは驚きとも感嘆とも取れるような息遣いが聞こえてくる。
その反応に調子づいた蓮は、ここぞとばかりに攻撃を叩き込み、ばったばったと敵を薙ぎ倒していく。
全て台本どうりとは言え、自分の体を自在に操れている実感が持てることが嬉しくて、蓮は終始笑みを浮かべながら戦っていた。
やっぱり、雑魚の戦闘員達を次から次へと薙ぎ倒していく瞬間がとても楽しい。
「はい、カーット! 一旦休憩入りまーす」
あっという間に壊滅状態へと追い込み、自棄を起こした怪人ベジタブルが、巨大化のポーズをとったところで一旦撮影は終わった。
「すごいよ蓮くん!」
撮影が終わると同時に雪之丞がマスクも取らずに駆け寄ってきて、興奮気味に手放しで褒め称えてくる。
「あー、暑い……。ありがとう。でも、ちょっと褒めすぎじゃないか?」
マスクを取り、汗で張り付いた前髪を掻き上げながら蓮は思わず苦笑した。 確かに、今日はよく動けていた。だが、最盛期の頃と比べたらまだまだキレが良くない。
「え? そうかな? すごく良かったと思うけど……ねえ? 東海」
「ちょっと! なんでオレに振るんだよ……でも、まあまぁ……良かったんじゃない?」
首から下げたタオルで汗を拭きながら、視線を明後日の方向に向け、東海がそう呟いた。語尾がだんだん小さくなっていくところが可笑しくていたずら心がムクムクと頭をもたげはじめる。
「ふはっ、そこは素直にかっこよかったよ!蓮さんサイコーっていうところじゃない?」
ベンチに腰掛けながら、ニヤリと笑ってみせると、東海は露骨に嫌な顔をして舌打ちする。
「はぁ? 何言ってんの? 自分で言うとか、ばっかじゃねぇの!?」
「あはは。ごめん、冗談だよ」
「ムカつくんですけど」
そう言って睨んでくる東海は、やはりまだどこか幼さが残っていて、つい揶揄いたくなってしまう。
「そんな怖い顔しないでよ。可愛い顔が台無しだよ」
「はぁ? 何それ、ほんと意味わかんない」
「褒めてるんだけどな」
「男に褒められたって、ちっとも嬉しくないから!」
キッと睨みつけながら言い放ってくる姿が可笑しくて堪らない。
「ほんっとムカつく! オレもう行くから!」
怒りが収まらない様子で踵を返し、足早にセット裏へ戻っていく東海の背中を見送ると、蓮は小さく肩をすくめた。
「あーあ。行っちゃった」
「蓮くんって、意外とSだよね」
「そう?」
「今、東海の反応を絶対楽しんでたでしょう?」
雪之丞に指摘されて、蓮は悪戯っぽく笑って誤魔化した。
その顔を見て、何か思うところがあったのか、雪之丞は呆れたように溜息をつく。
「あんまり意地悪したら駄目だよ?」
「勿論。その位心得てるよ」
「と言うか……。蓮くんはさ……東海のことどう思ってる?」
「ん? どうした? ……まぁ、くっそ生意気だなぁとは思うけど……演技力も中々だったし、悪くはないと思うな」
「それだけ?」
探るような目つきの雪之丞の問いかけの真意がわからず首を傾げる。
「蓮くんはさ……もしかしたら東海のこと好きなんじゃないかなって思ったんだけど」
「はぁ? いやいや、ナイナイ。大体、いくつ違うと思ってるんだ」
確かに、クソ生意気だし、ムカつくし、一度むちゃくちゃにヤってしまおうかと考えたことはあるけれど、そこに好きだという感情は存在していない。
「流石に高校生に手を出すのは犯罪だろ」
「ははっ、そっか。そうだよね」
何処か安心したような、それでいて残念そうな複雑な表情を浮かべた雪之丞は、そっと目を伏せた。
雪之丞の質問の意図がよくわからない。一体何が知りたかったのだろう?
「雪之丞お前、まさか――」
「えっ? ち、ちがっ……」
慌てて否定してくるが、その表情は明らかに動揺している。
これは、もしかして――?
「そうかそうか、雪之丞。お前、そうだったのか。全然気付かなかったよ」
「え?」
一人で納得し、うんうんと大きく何度も相槌を打つと、雪之丞がキョトンとした顔で見つめ返してくる。
まるで、何を言っているのかと言わんばかりの表情だ。
「なんだよ、水臭いな。それならそうと言ってくれれば良かったのに。応援するし」
「ちょ、ちょっ! 蓮君、何言ってるの!? 何か勘違いしてない?」
あれ? なんか僕、変なこと言ったかな? そう思って口を開こうとしたその瞬間。
「蓮、ちょっと」
不意に背後から硬い声に呼び止められた。なんだろうと振り向いた先には兄である凛の姿。
鋭い眼光がいつにも増して厳しい光を放っているような気がして、蓮の表情から笑顔が消えた。
何だろう? 怒っているのだろうか? 一体なぜ?
皆目見当も付かずに緊張した面持ちで凛と向き合う。
「お前、さっきの演技はなんだ」
いきなり威圧感たっぷりに問われて、蓮は小さく身じろいだ。
先程の撮影では、蓮はいい感じにアクションをこなしていたつもりだが、凛の目には違った風に映ったらしい。
どこかおかしなところがあったのだろうか?
「どういう意味? 僕はちゃんと台本どうりに動いてた筈だけど」
「あぁ。確かに台本どうりだった。だが、それだけだ」
冷たく言い放たれて、蓮は眉根を寄せた。
「それだけって……」
「台本どうりに動く役者が必要なら、わざわざ嫌がるお前を起用なんてしていない。その辺の役者で充分だからな」
「……」
「引退して、裏方作業をしていたお前に白羽の矢が立った理由をもっと考えろ」
「僕が、駆り出された理由――?」
そんなこと、考えたことも無かった。最初に予定していたレッド役が急遽降板したから、仕方なく自分が選ばれたんじゃなかったのだろうか?
それが何故、急にこんなことを言われなければならないのか理解できない。
だんだん腹が立ってきて、蓮は苛立ちを抑えようと深呼吸をする。
「あのさ、そもそも、今回の件は俺にオファーが来たのは代役でだったはずじゃないか。元々出演予定だった奴が来られなくなったから、たまたま空いていた俺が抜擢されただけ。そこを間違えないで欲しいんだけど。一度引退した僕を引っ張り出さなきゃいけないほど、切羽詰まってたんでしょう? それなのに、なんでそんな言い方されないといけないんだ」
少しきつい口調で反論すると、凛は一瞬怯んだものの、すぐに気を取り直したように鼻を鳴らしてきた。
「あれはお前を乗せるための方便だ」
「は?」
何を言われたのかわからず思わず呆けてしまった。
自分をを乗らせるための方便? どうしてそこまでする必要が?
ますます意味が分からなくて困惑する蓮をよそに、凛は尚も言葉を続ける。
「……蓮、お前はもう少し周りを見た方がいい。棗や逢坂に出来ていてお前に出来ていないものが見えてくるはず。今のお前の演技は独りよがり過ぎる」
「あの二人が出来てて、僕だけが出来てないもの? 質問の答えになってないよ。兄さん!」
「俺が今、言えるのはここまでだ。後は自分で考えろ」
「なっ!」
そう言うと、凛は背を向け歩き去って行った。
兄は結局なにを言いたかったのだろうか? 自分に何を求めている?
雪之丞達が出来ていて自分ができていないものとは一体?
「……わかんねぇ」
一人残された蓮は、頭を抱えながら天を仰ぐ。
後半の撮影中、何度もその事を考えてみたが、結局いくら考えても、凛の言葉の意味を理解することはできなかった。
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