テラーノベル
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異変に気づいたのは、秋の終わり頃だった。
「零くん、今日バイト何時まで?」
朝食を食べながら、
葵生が何気なく訊く。
「今日は休み」
「え?」
「昨日も言った」
「あ……そっか」
葵生は少し気まずそうに笑った。
その時は、 深く気にしなかった。
誰にでもある。
聞き流しただけだと思った。
でも。
そういう“小さいこと”が、
少しずつ増えていった。
⸻
「ねぇ零くん」
「ん」
「私、鍵知らない?」
「右手」
「……あ」
葵生は自分の右手を見る。
そこにはちゃんと、
家の鍵が握られていた。
「やば、最近ほんとダメだぁ」
笑いながら誤魔化す。
⸻
ある日。
ライブ後に駅前で待ち合わせをしていた時。
約束の時間を三十分過ぎても、
葵生は来なかった。
スマホへ連絡を入れても出ない。
少し苛立ち始めた頃、
やっと電話が繋がる。
『……れ、零くん?』
声が震えていた。
「どこ」
『ごめ……っ、ごめんなさい』
雑音。
息を呑む音。
『道、分かんなくなって……』
「は?」
『ここ、どこか分かんなくて……』
泣いていた。
すぐ探しに行くと 、
葵生は駅から徒歩五分の場所にいた。
何度も通った道。
迷うはずのない場所。
「……ごめんね」
帰り道、
葵生は小さく俯いていた。
「最近ほんと変なんだよね」
「疲れてるだけじゃない」
そう言いながらも、
僕の胸の奥には妙な不安が残っていた。
⸻
その夜。
僕が風呂から出ると、
葵生がソファでぼんやり写真を見ていた。
二人で撮ったプリクラ。
夏祭りの日のもの。
「何してんの」
声を掛ける。
葵生は顔を上げる。
それから、
少しだけ困ったみたいに笑った。
「……この時さ」
「うん」
「私、どんなこと話してたっけ」
「覚えてない?」
「んー……なんかね」
葵生は写真を見つめたまま呟く。
「楽しかったのは分かるんだけど」
「細かいこと、思い出せない」
部屋が静かになる。
冷蔵庫の低い音だけが聞こえた。
僕はタオルで濡れた髪を拭きながら、
何でもないように言う。
「そんなもんだろ」
「……そうかな」
「写真残ってるし」
葵生は少し安心したみたいに頷いた。
でも。
その横顔を見た瞬間。
胸の奥で、
言いようのない不安がゆっくり広がっていった。
まるで。
何かが少しずつ、
壊れ始めているみたいだった。
コメント
1件
第4話、読みました。日常のちょっとした「あれ?」が積み重なっていく感じ、すごくリアルで胸が締め付けられました。特に、迷うはずのない場所で道が分からなくなった葵生さんの電話の声の震え方と、写真を見ながら「細かいこと思い出せない」と呟くシーン——あの何でもない口調が逆に怖くて。零くんが「そんなもんだろ」と流す優しさも、何かを知らずにいるもどかしさも伝わってきて、続きが気になります🤍