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思えば少年は、いつも怪我をしていた。
正直、面倒だった。青い好奇心で私の前に現れては私を嘲笑い、少し撫でると尻尾を巻いて逃げる人間のなんと多き事か。この少年もまた、なにか度量試しなどと語ってやってきた口だろう、と私は思った。
脅かす気にもならなかった。自分を喰らってくれ、などとのたまう姿に苛立ちさえ感じた。本当にお前を喰ってやろうとすれば、泣いて逃げる癖に。
無責任な言葉は、どうしてか、私……「奇跡」という悪魔の意識が生まれたときから嫌いだった。
兎に角、その少年が心底嫌だった。反応するのも億劫だ。元来、私が言葉を発すことが好きでは無かったのも相まって、私が少年と言葉をかわす日は、ついぞ訪れなかった。
少年は次の日も、その次の日もやってきた、
少年との時間はいつも、自分を喰ってくれ、という台詞から始まった。
成る程、軽口でないことはわかった。しかしそれで絆される程、私も青くはない。
そもそも、私は人を喰うのが嫌いだ。弱りはするものの、喰わずとも十分生きてはゆけるのだから…あんなおぞましい行為など、しないに越したことはない。
それに、段々と苛立ちが大きくなっていた、というのもある。
現実逃避に私を使うな。大体、お前が希望を抱く「悪魔に喰われる」という事がどういう事なのか、お前はわかっていないのだ。それがどれだけ深い絶望なのか、お前はとんとわかっていない。
少年の、淀みも濁りもない黒い瞳が私を映す度、そんな思考が頭を満たした。
少年は諦めなかった。
私も、折れる気などさらさら無かった。
けれど段々と、見えてきたものもあった。多すぎる怪我。時折此方に向けられる、窺う様な視線。そして、いつも此処へ訪れてくる時間帯。
明くる日、少年は突然言った。自分を攫ってくれと。相変わらず、悪魔にどんな夢を見ているのだろうか。以前出会った仲間の中には、吸血鬼を気取って人間を攫い、少しずつ喰らってゆく者もいたが…それと少年の言うものは、違う気がした。 意味が分からなかった。否ということは簡単だったはずだ。しかし私は返事をしなかった。
生まれた時から、いつも何か、頭の中というか、瞳の奥というか、とにかくそう云う所に深く深く立ち込めた霧が晴れてくれない。それどころか、少年と出逢った時分から、過ごせば過ごす程濃くなってゆくという厄介具合で。
そんな霧が、私の思考を曇らせたのだ。
…少年が、私の視界から片時も消えなくなった。
その理由が少年がここに居付いたからだけでは無いというのは、本当はとうに解っていた。
ふわりと、影が舞ってゆく。
横腹が燃えるように痛い。これは駄目そうだと本能で感じた。
最期の最期に、なんとまあ自分らしくもない事をしたものだ。皮肉げに罵倒してみても、もう瞳の裏の霧が深すぎて前も見えない。ただ、少年はこれで幸せになるだろうかと、そればかりが気がかりだった。
警官の銃口が私を捉える。痛みで散漫な思考の中、何とはなしにそれを見つめていると、ふいに少年が駆け出した。少年の背中で銃口が隠れる。そして、少年の体が大きく跳ねた。思考の鈍った私でも、何が起こったのかすぐに分かった。
___馬鹿な事を。
私を庇って何になる。二人共々死んでどうする。
文句を言おうにも、喉に言葉が突っかかって出てこない。傷だらけの硝子のように曇り、凪いでいた心が掻き乱される。とてもじゃないが死に際に相応しいものとは言えなかった。こんな心境では死ぬに死ねない。
私が奇跡になってから、初めて。身を焦がす程の激情が私を襲ったのだった。
少年が、私の目の前に崩れ落ちる様に座り込む。私を見つめて、こんな時まで自分を喰えという。けれど、それはいつもとは違う、紛れもなく私の為の言葉。私に生き延びて欲しい……それは、純粋すぎる願い。
だからこそ、私は喰らわない。
もし、私と君が主役の物語が、あるとしたら。
その終わりは幸せなものでなくてはならない。
私は罪を重ねた悪魔だ。きっと地獄に落ちよう。けれど、どうか、君は何時迄も幸せに……そう、生きていてほしいんだ。
君が私の生を願った様に。悪魔もまた、君の生を願いたい。
こんな終わり方を、この物語を読む者達が……私が、許すはずがないだろう?
………私の身勝手な願いを、どうか赦してくれ。