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寝台で眠っている明明の精気が弱っているようには感じられない。ひとまず落ち着いて考えてみる。こんな銅鏡をどうやって手に入れたかだ。明明に限って盗みを働く事などありえない。


「老君様。この銅鏡はどこに保管されていたのですか」


「西王母の屋敷じゃ。あまりに死者が多く出た西王母が怒ってな。「これはわたくしが預かっておきます!」と言ってそれきりじゃ。神人の中では西王母が一番しっかりしておるし、それで良いかという事になった」


当時の西王母の怒り様が目に浮かぶ。三清はどこかフワッとしたところがあるから自分が持っていた方が良いとでも思ったのだろう。


「この銅鏡を明明が西王母様の屋敷から持ち出してきたとは考えられません。紅花に銅鏡と保管されていた場所の臭いを嗅がせて、他に誰か触れた者がいないか調べさせてはいかがでしょう」


「ふむ……紅花に」


鼻のきく紅花ならば誰がどの臭いなのか嗅ぎ分けられる。臭いが完全に消えてしまう前に早く。


「その必要はないわ」


「おお、来たか」


「西王母様」


部屋に入ってきた西王母がざっと部屋の中を見回して、老君に話しかけた。


「貴方から報せを受けて、銅鏡を保管していた蔵へ見に行こうと思ったのよ。そうしたら鍵はなかった」


「盗まれたということですか」


「分からない。明明の服を改めてみましょう。女はわたくしだけだから、わたくしが」


西王母が横たわる明明の服を上から順に触れていく。明明は作業をする時はいつも、ひらひらとして邪魔になる袖口を紐で縛っている。その紐を外すとポトン、と鈍い金色をした鍵が落ちてきた。


「鍵、あったわね」


落ちた鍵を拾いあげた西王母。


「違います。明明ではありません」


明明も時には間違いをおかす。それでも西王母に黙って勝手に鍵を盗み出すなど有り得ない。絶対に。


「その根拠は」


「弟子を……明明を信じております故」


睨み合うように西王母と視線を交わす。

威厳に満ちたその顔に、ふっと影がさした。


「わたくしもそう言い切りたいものだわ。……可馨

、貴女も此方へいらっしゃい」


扉の向こう側から可馨も入ってきた。顔にはなんの感情もみられない。ただチラリと明明を横目に見ただけだった。


「わたくしは何日か前に、お前に蔵の掃除を頼んだわね」


「はい。確かに仰せつかりました」


「鍵を渡して、終わったら戻せと言った」


「はい。言いつけの通り、掃除が終わって鍵は戻したはずです」


「これはわたくしの落ち度ね。鍵が戻ったかどうかきちんと確認しておくべきだったのに。毎年の事だからと怠ってしまった。可馨、貴女を信頼していたのよ」


「私を疑っておいでですか」


「わたくしには貴女と明明、どちらがやったのかは分からないわ。颯懔のようにハッキリと否定できないなんて師匠失格ね」


目頭を押えて深く息を吐いた西王母に変わって、老君が穏やかに話しかけた。


「可馨よ。嘘はついてないと言い切れるな」


「…………」


「お前さんも分かっておるじゃろう。この編綴簡に名を綴れば、嘘など直ぐに露呈してしまうことなど。ここにお前さんとそして明明の名を順に書いてみれば真実が明らかになる」


編綴簡には起こった出来事のみが客観的に記されるとされる。三清を前に嘘をつく事は出来ない。


「なんで……なんでなの……! なんで誰も、少しも明明を疑わないの?! ……ええ、そうよ。私がこの銅鏡を持ち出したのよ。でも明明にはちゃんと言ったわ、危険が伴う修行だって。それでもやったのはあの子よ。……颯懔、貴方を早く真人にしてあげたいと思わないかって言ったらね」


「なっ……!」


椅子から立ち上がった俺を、老君が静かに制した。


「大嫌いなの。いい子ぶって純真なふりして、私は少しも汚れてませんってところが。この銅鏡の事は西王母様から聞いていた。だから化けの皮を引き剥がしてやろうと思ったのよ。精気を全て吸い取られてしまえば、明明も私と変わらないただの人の子だったって証明できるでしょ」


可馨の声が震えているのは怒りか憎しみか、それとも哀しみからなのか。自分には手に入れられないものを明明が持っているから、だろうか。


「……可馨や。明明がどんな夢を見ているのか気にならないかい?」


「見られるのですか」


「見る覚悟はあるかの? 道を外れても正すことも、ましてや助けることも出来ん。ただ死にゆく姿を眺めるだけになるかもしれぬ」


「明明を信じております」


きっぱりと言い切ると、老君が銅鏡を手に取った。


「……分かった。どれ、映してやろう。可馨もきちんと見届けなさい。お前さんがおこした事の顛末を」


目を瞑り意識を集中させた老君は、トントンっと銅鏡の鏡面を指で叩いた。何も映し出さなかった鏡面から徐々に曇りが取れていく。


鏡に映るのはこの部屋の景色ではなく明明。


着ている服はボロ切れ同然。履いているのは靴ではなく草鞋わらじ。いつものように髪の毛を綺麗に結い上げる事も出来ないのか、ただ後ろでひとつに縛って引っ詰めてある。

明明の事だからすぐに自分の身につけているものを、人にあげてしまったのだろう。

どう見ても貧しい身なりをしているのに、その目はらんらんと輝き強い意志が感じられた。


見ていると直ぐに妖や怪、困窮者が現れる。本人は眠って休んでいると思っているようだが、実際には目を閉じた瞬間には朝が来てすぐに起きている、という状態。相当な速度であちらでは刻が進んでいるようだ。


「明明は頑張っておるようじゃの」


「はい」


時に戦場に転がる何百もの骸を埋めて墓をつくり、時に廃れた社やしろの修理をし、流行病の治療に尽力し……。

例え他人に手柄を取られても本人は全く気にする風でもなく、朗らかに笑って見ているだけだった。


思い返せば明明は初めて会った時から「困っている人を沢山助けられる」と言う理由で、仙人になりたいと言っていた。


仙になりたい。



多くの者が願う。それがたとえ俗世で頂点を極める皇帝であろうと。


不老の身となり悠久の刻を謳歌したい。或いは女ならば永遠に若く美しくいたい。


仙になりたいその理由はほぼ一様。


その中にあって明明は、自分の身体の老化が止まった時に「これで時間を気にせず人助け出来るんですね!」と喜んでいた。



俺がこうして遷人の位につけたのはただ運が良かっただけ。


貧しかった俺の両親は口減らしのために、一つ下の弟でもなく2つ上の姉でもなく俺を選んだ。

人一倍よく食べるから、と。


山の奥深くに置き去りにされた時、迎えに来てはくれない事くらい分かっていた。それでも後を追うことは出来なかった。帰ればみんなを困らせる。


葉についた露を飲み、食べられそうな草をむしり取っては食べて吐き出した。

酷い空腹に目眩がして倒れているところを、千里眼を使って俗世を見ていた老君に助けられた。


「ワシの弟子にならんか?」


その問いに二つ返事で了承した。


あの空腹を二度と味わいたくない。その理由だけで。


老君に弟子入り出来たことが俺の幸運。


老君はいつも誰かにこっそり施しを与えては、影から喜ぶ人の姿を見てくすくす笑っていた。


「ほら颯懔、嬉しそうじゃろ?」


そうやって悪戯する少年のように笑う老君を見るのが好きだった。

誰かに感謝されたい、見返りが欲しいと言う発想すら湧く前に、善行をするのが普通だと思わせてくれたのは全て老君のおかげ。


多くの仙がいくら修行を重ねようとも、大体がここで躓き行き詰まる。どんなに口で説明し教えを説いても、心の奥深くにある欲望を無くすのは並大抵のことではない。


それを明明は俺が教えなくとも初めから、仙人に一番大事なものを持っていた。



「待っているからな、明明」



誰も帰ることなくひたすら銅鏡を見続け、明明が眠りについてから一週間が過ぎた。

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