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冬の午後、柔らかい陽が差し込む中、僕は自室のデスクに向かっていた。
ヘッドホンの向こうで、若井さんのギターが鳴っている。音源ファイルの名前は「fade_intro.wav」。
「……この入り、ずるいなあ」
呟きながら指を動かし、重ねるように声を吹き込む。
息継ぎのタイミング、子音の立て方、微妙な“空気の隙間”。彼のギターはそれを受け止めて、また広げてくる。
──音に名前はない。でも、誰が弾いたか、歌ったか、分かる気がする。
完成した仮ミックスを添付して、チャットを開いた。
moto_omr:仮歌、入れてみました。ご確認いただけますと幸いです。
……いつも通り、自然と敬語になってしまう。
けれど、すぐに届いた返信は、どこか空気が違っていた。
hwk_46:うわ、やば。鳥肌たった。
てか、仮ってレベルじゃないだろこれ。
「……あ」
つい吹き出してしまう。
ほんの数行のメッセージ。でも、明らかに敬語じゃなくなっていた。
文字の向こうに、人の“声”が聴こえた気がした。
moto_omr:あれ、なんか口調変わりました?(笑)
hwk_46:あ、気づいた?ごめん、つい。
でもそろそろ……敬語やめない?
心臓がドク、と音を立てた。
moto_omr:うん。僕も、そう思ってた。
hwk_46:じゃあ改めて。元貴、ギターに合わせてくれてありがとう。
moto_omr:!
……なんか、変な感じ。でも、嬉しい。
若井の音があったから、僕も歌えたよ。
名前を呼ばれる感覚。
文字に過ぎないはずなのに、それはまるで、掌に触れられたみたいだった。
その夜、俺は録音を終え、何気なく画面を見つめながら独りごちる。
「……元貴か。声だけじゃないな。人柄が、音に出るんだな」
自分の部屋、ギター、弦の震え。
そのどれもが、今は「誰かと繋がっている」という実感を持っていた。
そして、ふと思う。
──会ってみたいかも。
まだ顔も知らない。でも、何時間も音で会話してきた相手。
“moto_omr”じゃなく、“元貴”としての、彼。
夜 ベッドの上でスマホを操作していた。
画面には、若井とのやりとりがずっと続いている。
ギターの細かい奏法、エフェクターの話、ふざけたスタンプの応酬。
文字の波の中に、「誰かを理解したい」という気持ちが確かにあった。
moto_omr:若井って、さ。
曲を作るとき、どこから始めるの?
若井:情景。
たとえば「夕方に雨が降り出す瞬間の空気」とか、そういうやつ。
moto_omr:……分かる。僕も、空の色とか風の音とか、そこから始める。
若井:じゃあ、次の曲は「街が眠る直前」っていうテーマでやってみない?
元貴:うん、やってみたい。
若井となら、見える景色が広がりそう。
名前を交わすたびに、距離がほどけていく。
画面越しの友情が、ゆっくりと、輪郭を持ち始めていた。