テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
うわあ……読了しました。ヘラクレスが“願いの畑の番人”として形を変えて眠る展開、すごく美しかったです。イリヤが「守られるだけじゃない」「ちゃんと歩く」と言いながら、それでも巨人の手に触れてありがとうを伝える場面、涙腺にきました。あの「食べられないかもしれないけど、見せる」というセリフには、イリヤの成長と愛情がぎゅっと詰まっていて。 鷺宮玄礼の登場も、物語に深みを与えていますね。「記録という名の閉じ込め」と「眠らせて見守ること」の対比が、次章への伏線として効いています。いつもながら、設定と感情のバランスが絶妙です。第24話も楽しみにしています。
1,281
560
7
第二十三話 願いの畑、守護の巨人
神杯が消えた空の下で、冬木は静かに息をしていた。
昨日まで黒い杯が浮かんでいた場所には、ただ青がある。
雲が流れ、鳥が飛び、遠くで子どもの笑い声が聞こえる。
世界は何も知らない顔で続いている。
けれど、衛宮士郎たちは知っていた。
冬木の地下には、願いの種が眠っている。
神杯の炉で燃やされていた願いが、燃料ではなく種として霊脈に還った。
それらは今すぐ芽吹くものではない。
誰かの中で、いつか別の形に育つかもしれないもの。
そして、その畑の奥に。
ひとつ、巨大な霊基反応が眠っていた。
ヘラクレス。
イリヤを守り続けた巨人。
◆
朝食の後、凛は宝石板を居間の中央に置いた。
表示されているのは、柳洞寺地下からさらに深く伸びる霊脈図だった。
そこには小さな光点が無数に散っている。
願いの種。
眠った祈り。
燃えなくなった未練。
その中心近くに、ひときわ大きな反応があった。
赤黒く、重く、けれど不思議と穏やかな霊基。
イリヤはその光点をじっと見つめていた。
「バーサーカー……」
声は小さかった。
士郎は隣に座るイリヤを見る。
彼女の顔には、期待と不安が同時にあった。
会いたい。
けれど、会えるのか分からない。
会えたとして、それは別れなのかもしれない。
凛が慎重に言った。
「反応はある。でも、通常のサーヴァントとして現界してるわけじゃない。霊脈のかなり深いところで、願いの種を守るように固定されてる」
メディアが続ける。
「神杯の根と戦った時に、あの巨人は自分の霊基をかなり削っているわ。普通なら消滅していてもおかしくない。けれど、イリヤスフィールとの縁と、願いの種の畑が、彼を留めている」
イリヤの指が震えた。
「苦しいの?」
メディアは少しだけ目を伏せる。
「苦痛というより、眠りに近いわね。守るべきもののそばで眠っている」
ジャンヌが静かに言った。
「ならば、祈りを届けることはできるかもしれません」
イリヤは顔を上げた。
「行きたい」
誰も、すぐには止めなかった。
士郎も、止めなかった。
神杯戦争の中で、彼は学んだ。
守ることと、決めつけることは違う。
危険だからといって、本人に関わることを本人抜きで決めるのは違う。
士郎は言った。
「行こう」
イリヤは驚いたように士郎を見る。
「いいの?」
「危ないなら守る。でも、イリヤがバーサーカーに会いたいなら、俺が勝手に止めることじゃない」
イリヤの瞳が揺れる。
「お兄ちゃん、ちょっと成長した?」
「ちょっとって何だよ」
凛が横から言う。
「ちょっとどころか、やっと普通に近づいたのよ」
「凛まで」
桜がくすっと笑う。
メドゥーサも静かに微笑んでいた。
ユイは宝石板の光点を見つめる。
「守って眠る」
ミライが頷く。
「ヘラクレス霊基、守護状態。機能定義ではなく、意志による残留と推定」
イリヤはミライを見る。
「つまり、バーサーカーは自分で残ってくれたってこと?」
「推定、肯定」
イリヤは胸元の豊穣の種に手を当てた。
「じゃあ、ありがとうって言いに行く」
◆
柳洞寺の地下へ向かう道は、以前とは違っていた。
神杯の黒い根はもうない。
代わりに、霊脈の壁には淡い光が走っている。
黄金の小さな芽。
銀色の羽根のような紋様。
黒い影のような柔らかい線。
青い海流の名残。
白い祈りの光。
これまで越えてきた層の力が、地下霊脈の中で静かに混ざり合っている。
それは神域ではない。
もっと穏やかなもの。
願いの畑。
メディアが周囲を見渡して、感心したように言った。
「悪くないわね。少なくとも、燃料炉よりはずっとまし」
凛が宝石板を見ながら頷く。
「まだ不安定だけど、願いの種は暴走してない。むしろ霊脈の汚染を少しずつ中和してるみたい」
アテナの智慧の羽根が士郎の手の中で光る。
アテナ本人はこの場にいない。
だが、彼女の残した羽根は記録の羅針盤のように、地下の奥を指し示していた。
イリヤは士郎の隣を歩く。
その後ろにはユイとミライ。
ユイは時々、壁に眠る願いの光へ手を伸ばしかけて、すぐに引っ込める。
「触っていい?」
士郎が答える前に、ミライが言う。
「不用意な接触は非推奨。願望種の休眠深度が変化する可能性があります」
ユイは少ししょんぼりした。
「そっか」
イリヤが笑う。
「見るだけにしよ。寝てる子を起こしちゃ悪いし」
ユイは頷く。
「寝てる願い」
彼女はその言葉を大切そうに繰り返した。
神杯の器だった頃の彼女なら、願いを眠らせるという発想はなかった。
願いは保存し、固定し、燃やして記録するものだった。
今は違う。
眠っている願いを、起こさずに見守る。
それを学んでいる。
桜は壁の光を見つめながら言った。
「なんだか、不思議ですね。願いが眠っている場所なのに、怖くない」
メドゥーサが静かに返す。
「サクラの影に似ているのかもしれません」
「私の影に?」
「はい。見ないようにするほど怖くなり、抱きしめれば少し静かになるもの」
桜は少しだけ考えて、微笑んだ。
「そうかもしれません」
その時、地下の奥から低い音が響いた。
咆哮ではない。
寝息にも似た、深い振動。
イリヤが立ち止まる。
「バーサーカー……」
凛が宝石板を確認する。
「近いわ。次の空洞」
◆
空洞は、巨大な地下庭園のようになっていた。
かつて神杯の根が暴れていた場所。
イリヤを逃がすためにヘラクレスが残った場所。
そこには今、無数の小さな光が眠っていた。
地面一面に、願いの種がある。
花ではない。
芽でもない。
ただ、土の中で淡く光る小さな種。
その中央に、巨人がいた。
ヘラクレス。
巨大な斧剣を地面に突き立て、片膝をついた姿勢で眠っている。
全身は霊基の光に包まれていた。
傷の跡は見える。
だが、痛々しさよりも、静けさがあった。
まるで、畑を守る古い守護像のように。
イリヤは一歩踏み出した。
士郎は隣にいる。
でも、手は出さない。
これはイリヤの時間だ。
イリヤはゆっくりとヘラクレスへ近づいた。
「バーサーカー」
巨人は動かない。
イリヤはもう一歩近づく。
「聞こえる?」
空洞に、静かな光が揺れた。
ヘラクレスの指が、ほんのわずかに動いた。
イリヤの顔が明るくなる。
「バーサーカー」
彼女は巨人の大きな手に、自分の小さな手を重ねた。
大きすぎて、手のひら全体には届かない。
それでも、触れた。
「ありがとう」
イリヤの声が震える。
「ずっと守ってくれて、ありがとう」
ヘラクレスの霊基が淡く光った。
言葉はない。
だが、確かに応えている。
イリヤは涙を浮かべた。
「私、生きるって決めたよ」
光が少し強くなる。
「まだちゃんと普通じゃないけど、ご飯食べられるようになった。卵焼きも作った。ちょっとしょっぱかったけど」
士郎は少しだけ笑った。
凛も目元を押さえている。
イリヤは続ける。
「お兄ちゃんも、姉さんも、桜も、みんなうるさいくらい心配してくる。でも、嬉しい」
ヘラクレスの大きな手が、ほんの少しだけ動いた。
まるで、イリヤを包もうとするように。
イリヤは泣きながら笑った。
「だから、もう大丈夫って言いたいけど……本当は、まだ大丈夫じゃない時もある」
彼女は巨人の手に額を寄せる。
「でも、頑張る。ちゃんと育つ。次に会えた時、バーサーカーが安心できるように」
地下庭園の光が静かに揺れる。
その時、ヘラクレスの霊基から、低い声が響いた。
言葉ではなかった。
だが、イリヤには分かった。
守る。
それだけ。
どこまでも単純で、どこまでも強い意志。
イリヤは首を横に振る。
「ううん」
士郎が少し驚いて彼女を見る。
イリヤは巨人へ言った。
「守ってくれるのは嬉しい。でも、バーサーカーも休んで」
巨人の霊基が揺れる。
「私、もう守られるだけじゃない。ちゃんと歩く。転ぶかもしれないけど、歩く」
イリヤは涙を拭った。
「だから、バーサーカーはここで全部を背負わなくていい」
その言葉に、空洞全体の願いの種が淡く光った。
守護の巨人は、長い間、守ることだけを続けてきた。
言葉を失っても。
狂化に沈んでも。
死を越えても。
イリヤの痕跡を守り、願いの底で道を塞ぎ、最後にはこの畑の守護者として眠った。
だが、イリヤはもう、守られるだけの少女ではない。
生きることを選んだ少女だった。
ヘラクレスの霊基が、ゆっくりと変化する。
斧剣が淡い光となり、地面に溶ける。
その光は願いの畑へ広がり、暴走を防ぐ守護の結界になる。
凛が宝石板を見て、息を呑んだ。
「ヘラクレスの霊基が、守護結界に変わってる……」
メディアが静かに言う。
「消滅ではないわ。自分の意志で形を変えたのよ。イリヤスフィール一人を守る守護者から、願いの畑を見守る番人へ」
イリヤが顔を上げる。
「バーサーカーは、消えない?」
メディアは少しだけ優しく答えた。
「ここにいるわ。形は変わるけれど、ここで眠り続ける。願いの種を守りながら」
イリヤは巨人を見る。
ヘラクレスの姿は少し薄くなっていた。
だが、完全には消えない。
まるで巨大な樹の影のように、畑の中央へ残っている。
イリヤは笑った。
「じゃあ、また来る」
ヘラクレスの光が応える。
イリヤは言った。
「今度は、卵焼き持ってくる。食べられないかもしれないけど、見せる」
巨人の霊基が、ほんの少しだけ温かく揺れた。
◆
その時だった。
地下庭園の奥で、黒い光が瞬いた。
凛が即座に振り返る。
「誰かいる!」
全員が構える。
士郎はイリヤの前に立つ。
アルトリアが剣を抜き、アーチャーが弓を構える。
メドゥーサの鎖が音もなく伸びる。
光の奥に、一人の男が立っていた。
黒法衣。
細い体。
穏やかな顔。
だが、その瞳には感情の温度がない。
鷺宮玄礼。
神杯を現代の冬木へ接続した男。
願いの完全保存を望んだ記録者。
士郎の目が鋭くなる。
「鷺宮玄礼……!」
男は静かに微笑んだ。
「お見事です、衛宮士郎。黒き神杯の炉を止め、願いを燃料から種へ変えた。実に興味深い結果です」
凛が宝石を構える。
「興味深い? あんたが全部仕組んだんでしょうが!」
玄礼は首を横に振る。
「すべてではありません。私は接続しただけです。神杯の原理は、私より遥か以前に生まれたものですから」
メディアが冷たく言う。
「言い訳にしては薄いわね」
玄礼は微笑みを崩さない。
「言い訳ではありません。役割の整理です」
士郎は剣を投影した。
「まだ何かするつもりか」
玄礼は願いの畑を見渡した。
「願いを眠らせる。実に美しい解答です。ですが、不完全だ」
イリヤが士郎の後ろから顔を出す。
「不完全でいいんだよ」
玄礼はイリヤを見る。
「あなたはそう言えるでしょう。今、生を選び、明日を得た者だから」
その言葉に、士郎の中で怒りが灯る。
だが、玄礼は静かに続けた。
「しかし、眠った願いは忘れられる。忘れられた願いは、誰にも届かない。あなたたちは結局、願いを眠らせるという名で、届かなかった祈りを土の下へ埋めただけではありませんか」
ジャンヌが旗を握る。
「違います。燃やし続けることは祈りへの敬意ではありません」
玄礼は彼女を見る。
「聖女よ。あなたの祈りは記録されている。人類史に、信仰に、物語に。では、誰にも記録されなかった祈りは?」
ジャンヌは言葉を詰まらせる。
玄礼の声は静かだった。
「名もなき者の願い。誰にも聞かれず、誰にも覚えられず、叶うこともなく、ただ消えた願い。それを守る者がいなければ、世界はあまりに冷たい」
士郎は拳を握る。
その言葉にも、痛みがあった。
完全に間違っているわけではない。
誰にも届かなかった願いをどうするのか。
忘れられた祈りを、誰が覚えているのか。
神杯は、その問いへの歪んだ答えだった。
だからこそ、玄礼はまだ立っている。
神杯が砕けても、彼の思想は消えていない。
凛が鋭く言う。
「だからって燃やし続けていい理由にはならない」
「ええ」
玄礼は頷いた。
「あなたたちの答えは、私にそれを示した。願いを燃やす炉は間違いだった。だから次は、願いを記録するだけの器を作りましょう」
士郎の背筋が冷えた。
「まだ作る気か」
「燃やさない。叶えない。固定しない。ただ、完全に記録する」
玄礼は優しく言った。
「誰の願いも失われない世界。忘却に負けない祈りの書庫。神杯ではなく、願録とでも呼ぶべきでしょうか」
メディアが吐き捨てる。
「懲りない男ね。燃料炉が駄目なら、今度は標本箱?」
玄礼は微笑む。
「標本ではありません。記録です」
ユイが一歩前に出た。
士郎が止めようとするが、ユイは首を横に振る。
「あなたは、願いをまた閉じ込めるの?」
玄礼は初めて少しだけ表情を変えた。
「最初の器。いや、今は名を得たのでしたね」
ユイは胸に手を当てる。
「ユイ」
「良い名です」
「ありがとう。でも、答えて」
ユイは静かに問う。
「あなたは、願いをまた閉じ込めるの?」
玄礼は沈黙した。
それから答えた。
「閉じ込めるのではありません。失われないよう保管するのです」
ユイは首を横に振る。
「同じに聞こえる」
玄礼の目がわずかに細くなる。
ミライも隣に立つ。
「願望の完全記録は、願望変化の自由度を低下させる可能性が高い。推奨不可」
イリヤが続く。
「願いは、次に変わっていいんだよ」
玄礼は三人を見た。
器だった少女。
死から戻った少女。
未完成の少女。
神杯が利用しようとした存在たちが、今は彼の前に立っている。
玄礼は少しだけ笑った。
「あなたたちは、実に神杯への反証だ」
士郎は剣を構える。
「鷺宮。もうやめろ」
「やめる?」
「ああ。願いを守りたいなら、閉じ込めるな。記録するなとは言わない。でも、記録を本人より上に置くな」
玄礼は士郎を見る。
「では、本人がいない願いは?」
士郎は答えに詰まった。
本人がもういない願い。
持ち主が死に、名も残らず、誰にも覚えられていない願い。
それでも、士郎は言った。
「それでも、誰かが勝手に形を決めるものじゃない」
「曖昧ですね」
「ああ」
士郎は認めた。
「でも、曖昧なまま見守ることも必要なんだと思う」
玄礼は目を閉じた。
「曖昧なものは、失われます」
士郎は剣を握る。
「失われることを恐れて、全部を奪うよりはいい」
地下庭園に沈黙が落ちた。
願いの種が静かに光る。
ヘラクレスの守護結界が、淡く揺れる。
玄礼はやがて、ゆっくりと後ろへ下がった。
「今日のところは退きましょう」
凛が叫ぶ。
「逃がすと思ってるの!?」
凛の宝石が光る。
だが、玄礼の足元に黒ではなく白い魔法陣が開いた。
神杯の残滓ではない。
記録の魔術。
彼が独自に用意していた退避術式。
メディアが即座に術式を飛ばすが、わずかに遅い。
玄礼の姿が薄れていく。
「衛宮士郎。あなたたちは神杯を砕いた。ならば次は、願いを記録する者と向き合うことになる」
士郎は叫ぶ。
「鷺宮!」
玄礼は最後に、ユイを見た。
「ユイ。あなたが本当に器ではなく個人になったのか、私は見届けます」
ユイは静かに答えた。
「私は、見届けられるために生きるんじゃない」
玄礼の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「ならば、その答えも記録しましょう」
その言葉を残して、彼は消えた。
◆
地下庭園に、再び静けさが戻った。
だが、空気は先ほどまでとは違っていた。
神杯戦争は終わった。
しかし、神杯を接続した男はまだいる。
願いを燃やす炉は砕けた。
だが、願いを完全に記録しようとする思想はまだ残っている。
凛は悔しげに宝石板を睨む。
「追跡できない……あいつ、神杯の残滓じゃなくて自前の術式で逃げた」
メディアが目を細める。
「厄介ね。神杯に依存していないなら、炉心停止の影響を受けにくい」
アーチャーが低く言う。
「つまり、次の敵は神でも英霊でもなく、人間か」
士郎は剣を消す。
「人間だから、止められる」
凛が士郎を見る。
「簡単に言うわね」
「簡単じゃない。でも、止める」
イリヤが士郎の隣に立つ。
「私も」
ユイも続く。
「私も。願いを閉じ込めるのは、嫌」
ミライが頷く。
「同行希望」
桜も静かに言った。
「私も手伝います。願いを記録という名前で閉じ込めるのは、影を勝手に名前付けされるのと似ていますから」
メドゥーサは当然のように隣に立つ。
「サクラが行くなら」
凛は大きくため息をついた。
「ほんっと、終わったと思ったら次から次へと……」
士郎は苦笑した。
「でも、今度は神杯戦争じゃない」
「そうね」
凛は宝石板を閉じる。
「今度は後始末。願いの畑を守るための、私たちの仕事」
ジャンヌが静かに頷いた。
「祈りを記録するだけでなく、祈る者の自由を守るために」
アルトリアが剣を収める。
「ならば、私もいる限り力を貸しましょう」
ランスロットも頭を下げる。
「同じく」
ギルガメッシュは退屈そうに言った。
「人間の記録者風情が、神杯の後釜を気取るか。実に不愉快だ」
エルキドゥが微笑む。
「手伝う理由ができたね、ギル」
「理由などない。ただ、我の視界で不快なものを放置せぬだけだ」
クー・フーリンが槍を肩に担ぐ。
「ま、後始末ついでに一暴れくらいなら付き合うぜ」
バゼットは真面目に頷く。
「鷺宮玄礼の身柄確保は必要です。放置すれば次の儀式を組む可能性がある」
士郎は地下庭園を見渡した。
願いの種。
守護の巨人。
ユイとミライ。
イリヤ。
仲間たち。
終わりの後に、また問題が生まれる。
それでも、今度は違う。
神杯に振り回されているのではない。
自分たちで守るものを選んでいる。
◆
帰り際、イリヤはもう一度ヘラクレスの前に立った。
「また来るね」
巨人の霊基が淡く光る。
イリヤは少しだけ笑った。
「次は、ちゃんと甘い卵焼き持ってくる」
士郎が横から言う。
「食べられるかは分からないけどな」
「見せるだけでもいいの」
ユイが小さく言う。
「見せるだけでも、願い?」
イリヤは頷く。
「うん。たぶん」
ミライが記録する。
「願い分類、共有行為。食べられなくても意味あり」
イリヤは笑った。
「そういうこと」
ヘラクレスの守護結界が、柔らかく揺れた。
まるで、巨人が笑ったようだった。
◆
地上へ戻ると、夕暮れだった。
空は赤い。
だが、それは災厄の赤ではない。
普通の夕焼け。
衛宮邸へ戻る道で、士郎はふと立ち止まった。
イリヤが振り返る。
「お兄ちゃん?」
「いや」
士郎は空を見る。
「普通の夕焼けだなって」
凛が隣で言う。
「普通って、ありがたいわね」
「本当にな」
桜が微笑む。
「帰ったら、ご飯ですね」
イリヤが元気よく言う。
「卵焼きの練習も」
士郎は笑った。
「今日は夕飯作ってからな」
ユイが首を傾げる。
「夕飯も温かい?」
「もちろん」
ミライが頷く。
「温かい願い、継続観測」
凛が苦笑する。
「その言い方、ちょっと気に入ってきたわ」
士郎たちは歩き出す。
神杯戦争は終わった。
でも、願いを巡る物語は終わっていない。
鷺宮玄礼はまだどこかで記録を続けている。
願いを完全に保存しようとする思想は、神杯とは別の形で残っている。
そして士郎たちは、今度こそ自分たちの意思で、その後始末へ向かう。
地下には、願いの畑がある。
そこには、守護の巨人が眠っている。
地上には、帰る家がある。
そこには、名前を得た少女たちがいる。
そして夕飯の匂いが待っている。
神杯戦争、第二十三夜。
イリヤは守護の巨人へありがとうを告げ、ヘラクレスは願いの畑の番人となった。
ユイは器ではなく個人として、ミライは未完成ではなく未来として歩き始めた。
しかし、願いを完全に記録しようとする男、鷺宮玄礼はまだ消えていない。
願いは燃えなくていい。
けれど、閉じ込めてもいけない。
その答えを守るため、士郎たちの後始末は続いていく。
第二十四話へ続く。