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結局、アネモネは翌日熱を出した。
夏風邪は馬鹿がひくという迷信があるが、これはあくまで迷信だ。誰が何と言っても。
*
「── アネモネちゃん、起きられます?果物を絞ってきましたよ」
熱のせいでうつらうつらしていたら、ミルラから声をかけられ、アネモネはむくりと起き上がった。
「……い゛ただぎまず」
熱を出して3日目。風邪の菌はアネモネの身体全部を蝕んでいるが、特に喉が気に入ってしまったようだ。
四六時中、ごほごほと咳が出る。寝入る時と、身体を動かした際に無駄に自己主張してくれるから、とても迷惑だ。
「あらあら、無理なさらないで。ゆっくり起きてくださいね」
先日、雷よりも大きな声で怒鳴って、師匠とどっこいどっこいのキツイ口調でまくし立てたミルラはもう何処にもいない。
今はふくよかな身体に良く似合う柔らかい笑みを湛えた働き者の家政婦さんだ。ただ、とても過保護だ。
ソレールの家には一日置きに来て、家事全般を請け負う契約をしているはずなのに、熱を出した日から毎日ここに来てくれ、アネモネの看病をずっとしてくれている。
「とろみのあるスープを作ったら、少しは飲めるかしら?冷ましてあるけれど、気を付けて飲んでくださいね」
文机にコトリと置かれた深みのあるお皿は、僅かに湯気が立っている。
それを匙でゆっくりかき混ぜるミルラを見ながら、アネモネは果実を絞ったジュースをゆっくりと飲み始めた。
人の世話を焼くのが大好きな人種は、どこにでもいる。
そういう人は、総じてお節介だ。こっちの気持ちなど無視して聞いて欲しくない事を、あれこれと問うてくるし、やって欲しくないことも強引に押し付けてくる。
でもミルラは、何も尋ねてこないし、自分ルールを押し付けてもこない。
ただただ弱った身体に優しい食事を出して、喉越しの良い飲み物を届けてくれる。
咳が酷い時は、ベッドで寝ているアネモネの身体を横向きにしてクッションを当ててくれ、熱で剥いでしまった毛布をそっと整えてくれる。
もちろん師匠だって、アネモネが風邪を引いたらほったらかしにすることはなかった。
雑だったけれど看病だってしてくれたし、栄養価の高い食べ物を用意してくれた。
……そう、してくれた。でも今は居ない。二度と会えない。
だからアネモネは、もう望まないことにした。自分が病気になったら、自分で治す。治らなかったら、死ぬだけだ。
手に入らないとわかっているのに、それを欲したいと思うほどアネモネは愚かではない。
でも今、この時間を突っぱねるほどアネモネは強くはなかった。ほんの一時の泡沫のようなものでも、アネモネはこの懐かしい時間に身を委ねたかった。
「……ごちそうさまでした。あの、スープもいただいていいですか?」
「もちろんですよ。さぁ、どうぞ」
ミルラは空になったコップを受け取ると、今度はスープ皿をアネモネに手渡した。
それから空気を入れ替えるために、カーテンを開いて窓を開ける。部屋が一気に明るくなった。
今は昼下がり。爽やかな風が、庭いっぱいに咲いている花の甘い香りを部屋中に満たす。
「すっかり風が秋の香りになりましたね。もうすぐ、秋祭り。アネモネちゃん。それまでには元気になりましょうね」
朝晩涼しくなって、秋の到来を感じさせるころ、王都では毎年祭りがある。
王都で生まれたアネモネだけれど、一度も参加したことがない。行きたいと思ったこともない。でも、
「はい。楽しみです」
あまりにミルラがお祭りを心待ちにしているから、その気持ちに水を差したくなくて、アネモネはにこっと笑って頷いた。