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七瀬🍏
◆
紅葉の夜だった。
その日は久しぶりに泊まっていて、同じ甘い空気を吸うのも久々だった。
部屋の明かりは落ちていて、机のランプだけが細く光っている。
「…みつるん」
その声は、いつもより静かだった。
「今日さ」
「うん」
「ちょい聞いていいっスか」
僕は目を瞑ったまま声だけを起こした。
「なに?」
颯くんは少しだけ迷ってから、言葉を選ぶように続けた。
「前に、”もう会えない人もいる”って言ってたじゃないスか」
「……言ったね」
「それ、どういう意味っスか」
部屋が一瞬だけ静かになる。
エアコンの音がやけに大きく聞こえた。
満は少し考えるふりをしてから、いつもの声で答えた。
「そのままだよ」
「そのままって?」
「会えなくなったってこと」
颯は笑わない。
「普通は、そういう時って”引っ越した”とか”連絡取れなくなった”とか言うじゃないスか」
「うん」
「でもみつるんって…」
言葉が一度止まる。
そこから先を言うのを、少しだけためらっているのが分かった。
「”消えた”って感じで言うんスよね」
指が、ほんの少しだけ動く。
でも顔は変わらない。
「そうかな」
「俺、それがずっと、何かで亡くなったんだと思ってて。でも最近、違う気がして。」
視線を外さない。
「…もういいとか、終わったとか、片付いたとか」
呼吸が、わずかに浅くなる。
「全部、なんか変なんスよ」
◆
沈黙。
その間に、満はようやく気づく。
この会話は説明じゃない。
“確認”だ。
颯は続ける。
「でも」
少しだけ声が落ちる。
「それでも俺、今ここにいるじゃないスか」
僕はゆっくりと顔を上げた。
颯くんは笑っていない。
でも、怯えてもいない。
ただ見ている。
「だからさ。
みつるん。」
一拍置いて
「俺もその”消える側”に入ってるっスか」
空気が止まる。
喉が一度だけ動いた。
その瞬間、言葉が出ないことに気づく。
否定も、肯定も、もう同じ意味になってしまっている。
しばらくして、満は小さく息を吐いた。
「……そんなこと、言うの」
少しだけ困ったように笑う。
「颯くんは、そうじゃないよ」
その言葉は優しい。
完璧に優しい。
だからこそ、颯は分かってしまう。
これは逃がす言い方だと。
颯は一瞬だけ目を伏せる。
そして、静かに言った。
「やっぱりさ。
みつるんって、優しいっスよね」
「……うん」
「でも」
顔を上げる。
「優しすぎる人って、だいたい何か隠してるっス」
視界が、僅かに揺れる。
ほんの一秒。
ほんの一呼吸。
その沈黙が、全部を変えた。
満はゆっくり笑った。そうするしかなかった。
「……颯くんは、鋭いね」
その声は、いつもより少しだけ乾いていた。
その瞬間。
颯は理解してしまう。
“当たった”のではなく。
“外せなかった”のだと。
そして満もまた気づく。
もう、この人には誤魔化しの言葉は届かない。
でも同時に
颯は立ち上がらない。
逃げない。
離れない。
ただ、少しだけ声が震える。
「それでもさ、俺…。
みつるんのこと好きっスよ」
◆-颯視点-◆
窓の外では、虫の声が鳴いていた。
エアコンの風だけが静かに部屋を撫でている。
俺は何も言わない。
逃げない。
でも、近づきもしない。
この距離が、少しだけ苦しかった。
満は床に視線を落としたまま、小さく笑う。
「……引くよね、普通」
「……」
「ごめんね」
何に謝っているのかよくわからなかった。
それでも、「うん。」と返した。
◆
しばらくして、満がぽつりと呟く。
「僕さ」
指先で、布団の端を弄る。
「昔から、よく分かんなかったんだよね」
「……なにが」
「なんで人を食べちゃいけないのか」
肩がわずかに揺れた。ズレた会話が怖かったのかもしれない。
でも、黙ったまま聞いた。
「もちろん、病気になるとか、法律とか、倫理とか。
みんな説明してくれた。
…でも」
そこで一度だけ言葉が止まる。
「僕には、”だから絶対ダメ”って感覚が、最後まで分からなかった」
静かな声だった。
言い訳じゃない。
開き直りでもない。
ただ、本当に理解できなかった子供のまま、ここまで来てしまったみたいな声だと思った。
「変だよね」
眉を下げて笑う。
「颯くんたちと違う」
「……」
「だから僕、自分のことすごく嫌いなんだ」
そこで初めて口を開いた。
「……嫌いってレベルじゃなくないスか、それ」
少しだけ震えた声。
怒っているのか、悲しいのか、自分でも分かっていなかった。
満は否定しない。
「うん」
小さく頷くだけ。
「昔からずっと、死にたかったし」
満は続ける。
「なんかね」
笑う。
ひどく静かな顔で。
「僕がいると、世界に変なものが混ざる気がして」
その言葉に、眉がゆっくり歪む。
犯罪者はみんな、頭がおかしいだけだと思っていた。
それなのに。
どうしてそんな、健常者みたいな顔ができるんですか。
「でも」
満はそこで、少しだけ目を伏せた。
「颯くんといると、ちょっとだけ忘れられた」
何も言えなかった。少し、嬉しいと思った。
「食べたいって思わなくなったの、初めてだった」
呼吸が止まりそうになる。
黙ったまま聞いている。
「いや、違うな」
満は自分で訂正する。
「思わなくなったんじゃない」
少しだけ苦しそうに笑った。
「食べたいより、失いたくないが勝った」
◆
夜が静かになる。
「颯くんのこと、食べたいと思ったよ」
満は正直に言う。
「何回も」
「……何回も…。」
「近いから。綺麗だから。温かいから」
その声は震えていない。
だから余計に苦しい。
「でも怖かった」
「……なにが」
「なくなるのが」
満はそこで初めて、
少しだけ泣きそうな顔をした。
俺はたまらなくなって、そっと傍に寄った。
「颯くんまでいなくなったら、僕ほんとに空っぽになるから」
沈黙。
長い沈黙。
そのあと。
ゆっくりと立ち上がり、ベッドが小さく軋む。
満は「ああ、終わった。」みたいな顔をした。
だから俺はニヤッと笑って
そのまましゃがみ込む。
「……みつるん」
1番近く。逃がさないように。
「それ、”好き”って言うんスよ」
「食いたいとか、死にたいとか、そういうの全部ぐちゃぐちゃでも」
ニシシ、と笑ってみせた。
「俺、多分…
そういうみつるんが好きなんで」
その瞬間。
満から大粒の涙が零れ落ちていた。
薄々感じていた違和感。子供のような、宇宙人のようなズレ。
自分を責める癖も、どこか頑固なところも、全部知っている。
初めて自分からキスをした。
肌が触れると、痛みも和らげられている気がした。
◆
みつるんはよく言う。
「時々、これは夢なんじゃないかなって不安になる」
そのたびに、俺が返す。
「もし夢でも、ずっと寝てればいいんスよ。
俺が一生覚めないように、ここにいますから。」
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